三話 収穫祭(二年目)3
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。
そしてふと我に返ったとき、時間の経過に驚き、名残惜しさを感じてしまう。
腕相撲で盛り上がった後、少しだけアルコールを含みながらお互いの近況や馬鹿話で盛り上がっていたが、気づけば辺りはすっかりと暗くなりかかっていた。
収穫祭の準備は着々と進み、集まった人の数は一部を除きほぼ全員揃っているだろうか。
あちこちで焚き火が灯り、いよいよ宴が始まろうとしていた。
昨年と違い、隣にいたタニアの姿が今年はない。
もちろん出産ゆえにしかたがないことだが、そのことがどうも物寂しい。
その代わりにダンテやカタリーナ、ピエトロといった弟子たちが寄り集まってくれていた。
筵の上に脚を放りだして座るダンテに、カタリーナが銅杯を手渡している。
その姿を見ていると、まだ式も上げていないのに、早くも夫婦生活が板につき始めているようだ。
「そういえば、冬が明けたら披露宴なんだよね」
「おう、俺様と合同になるんだぜ」
「そうか、ダンテと一緒か……」
「あら、エイジ親方、なんですかその顔は。なにか文句が?」
「いーや、なにもないよ。弟子と一緒だと思うと、ずいぶんと遅い印象を与えてしまうなと思っただけさ」
「ああ、そうっすよね。俺も来年には結婚するわけっすから、かなり遅いっすよね」
「そうか、ピエトロが結婚するんだよなあ……」
この島の平均的な結婚年齢は十五前後。
遅くとも二十歳までには相手がいることが普通だ。
ダンテはなんだかんだでまだ十代だ。領主の息子という立場を考えれば、十分許容範囲だろう。
対してエイジは三十前。
明らかに結婚適齢期を超えている。
披露宴であるから遠方からも人が来るようだが、そのときに疑問に思われるのは避けられないだろう。
まあ、それを言ってしまうと、そもそもエイジの正体が分からないことになる。
島全体から代表が集まるのだ。エイジがどの村にも属していなかったことも分かるだろう。
そう考えると頭が痛かった。
「でも、ダンテはナツィオーニの町でやらなくて良かったのかい? カタリーナも二人ともナツィオーニの町の出身だろうに」
「良いんだよ。俺様はしばらくあの町に戻るつもりはねえんだ。それにカタリーナの親父さんは何とかつれてきてくれるだろうし」
「そうですねえ。お父さんもダンテ君が相手と知ったら安心する……うーん、町の評判から考えたら余計心配するかしら?」
「うるせえよ。ちゃんと来たら挨拶するから安心しとけ」
カタリーナが首を傾げると、ダンテがムキになって反論する。
姉さん女房とはいうが、どうも夫婦の主導権はカタリーナが握っているようだった。
もちろん対外的には男性を立てることは忘れていない。
この辺りは時代によるものだろう。
「ダンテは鍛冶の仕事を全部身につけたら、どうするつもりか考えてるのかい? カタリーナが夫婦として生きていく以上、妊娠や出産で鍛冶に従事できない時もあるだろうし、独り立ちするにしたって、どこでやるつもりだとか考えているかい?」
「いや、正直わからねえ。言っちゃ悪いが、最初はまともに覚えるつもりもなかったからな」
「それは最初の宴会の態度を見たら分かるよ」
「すまなかったな。ありゃ」
ポリポリと恥ずかしげに頭をかくダンテ。
こんな殊勝な態度を取る男だっただろうか。
男子三日あわざれば、刮目して見よとは言うが、ダンテの成長は著しいものがある。
これも愛のなせる技なのだろうか。
「ところで当日の披露宴ってのは、何をするんだい? 私はあまりこの島の風習には詳しくないんだ」
「うん? まあ、顔見せてひたすら酒を飲んで、あとは新郎が一芸を見せるくらいか」
「い、一芸!?」
「なにをそんな驚いているんだ?」
「い、いや」
古代から中世に伝わる新郎新婦の祝い方は、村によって千差万別だ。
なかには披露宴会場から新居まで妻を担いで走り、村中の未婚男性から追いかけられて逃げるといったものもあるし、各家庭の小物を新居に贈るという心温まるもの。
言葉をはばかるが、新婦の「共有」を行うようなケースもある。
そのほか世界では嫁が頭を剃りあげたり、背中に刺青を入れたりと、枚挙に暇がない。
そんな突拍子もない場合に比べれば、新郎が一芸を見せることなど易しい方だろう。
ダンテは力自慢を見せるために、大岩を持ち上げると教えてくれた。
とはいえ、自分に何が出来ただろうか。
エイジは頭を悩ませた。
一芸、一芸かあ。
考えこむエイジに麦酒が配られる。
冷え込んできた空気の中、暖かな飲み物はありがたい。
喉を鳴らして飲み下すと、腹の奥がかあっと暖かくなった。
その後しばらくして、広場が一瞬ざわめき、そして静まり返った。
どうやらアデーレが壇上に上がる準備を終えたらしかった。
気付けば陽の光はすっかりと消え去り、あたりに夜の帳が下りている。
篝火が辺りを照らし、真の暗闇が薄衣を剥ぐようにして照らされ、真っ白な衣装に包まれたアデーレの姿を形どった。
炎が揺らめくにつれて、衣装の陰影が移り変わり、ゆらゆらと波のように浮かび上がっては消えていく。
浮かび上がっては消える姿は泡沫のようだ。
――シャン
――シャン
――シャン
アデーレが歩みを進める。
歩く度に錫杖はつられるようにして澄んだ金属音を闇夜に響かせる。
その一瞬の音の後には静寂。繰り返される一定のリズム。
その後ろを儀式に参加する女がついていく。
村長のボーナ、女衆のまとめ役であるジェーンの手には供物がある。
去年と違うのは、その後ろにタニアがいないこと。
年老いた雌牛が男衆に引っ張られていく。
壇上に上がったアデーレが、錫杖を振り回した。
足元を支店に、グルリと体を回転させる。
錫杖の先についた円環は遠心力に纏められ、音もなく中空に弧を描く。
美しい真っ白な衣装の裾がふわりと舞い上がり、錫杖に倣うようにして円を描き始めた。
篝火が音を立てて火花を散らす。
アデーレの背がしなるように反らされ、舞は観ている者の息を詰まらせるほどに激しくなっていく。
くるりくるり――。
アデーレ―の足元は乱れない。一点を常に保ち続け、いつまでもその場で回り続ける。
錫杖と背筋は今まさに高々と掲げられ、その先を祭壇の奥底へと向けている。
ふぉん、ふぉんと加速と減速を繰り返す錫杖が空気を払う音を立てる。
やがて舞を終えたアデーレが膝をつき、一度高らかに錫杖を鳴らす。
「この地におわします豊穣の女神に、この一年の恵みの慈雨に感謝いたします。来る収穫の春にも変わらぬ慈愛を願い奉ります」
静かに頭を垂れ、村の衆がそれに続く。
二度目という余裕からだろうか。
去年と同じはずの動作が、今年ははるかにはっきりと見える。
それは確かに、神聖な儀式だった。
神の存在を奉りながらも、心の何処かでは完全に信仰していないエイジとは、また違う。
神が在る、と心から信じているが故の、篤い信心を前に、否応なくエイジの背は粟立った。
久しぶりに地の文の練習も兼ねて、描写に力を入れてみました。
どんなもんでしょう?
イメージできていれば嬉しいのですが。
青雲を駆ける3巻、おかげさまで重版も決まり、オリコンランキングにも15位で入っておりました。
ご購入くださった方に、この場にて厚く御礼申し上げます。