世界の余韻
「今日は時津くんが――」
「今日も時津くんに――」
「今日が時津くんの――」
姉から聞かされるのは、いつも決まってその少年の事ばかり。私は少し苛立っていた。
姉・美空の話の中心にいるのは、ある事件をきっかけに知り合ったらしい、別の小学校の少年・時津カナタ。私は会った事はないが、コイツが嫌いだった。大嫌いだった。
まるで、姉を占領しているみたいで、殺したくなる程に憎み恨み蔑み続けた。
「それでね、今日の時津くんは――」
そうやっていつもの様に満面の笑顔を向ける美空は、しかしある日突然何も話さない様になる。
都心部爆破テロ。世界中の子供達の畏怖を集める、殺し手にして救い手でもある《神ノ粛正ヲ下ス使徒》が行ったそれは、私から両親を奪い、美空の意識を根こそぎ刈り取った。
現在、美空は病院のICUで眠っている。いわゆる植物人間。
人は脆い。幼いながらにそれを知った私は、多分、それからだろう。どこか壊れていった。
姉は眠り、父と母は死に、元々、両親が離婚していた私達は(とは言っても財産的な問題であり、仲違いをしていた訳ではないので普通に交流はあったのだが)、それぞれ別々の親戚に引き取られた。自動術式なんて異能に目覚めていた私は母方の、魔術とは本当に無縁の姉は父方の。姉と離れ離れになるのは死にたくなる程に嫌な事だったが、仕方ないと納得するしかなかったのも事実だ。あのままでは本格的に野垂れ死んで仕舞う。
しかし数日後、私は何故か親戚につれられ、どこかの施設に連れて行かれ、まるで警察庁の取調室の様な場所に一人で待たされた。そこがどこだったか今では覚えていないが、そこに現れた一人の青年の顔は覚えている。というか、今でもたまに会っている。
梶咲 誠。それが本名かどうかは今でも知らないが、そう名乗った青年は、私に力をくれると言った。とびきりの、復讐の力を。
生まれ持った自動術式、基礎だけ覚えたルーン魔術。更に、現代兵器の知識に技術。
二つ返事で、私はそれを欲した。
[Jan-26.Thu/07:00]
ピピーピピ、ピピーピピ、ピピーピピ……。
「……そして、その後に出会ったのが、」
的部 澄澪、金沢 夕朔、そして……、
「……時津、カナタ」
ピピーピピ、ピピーピピ、ピピーピピ……。
「……大嫌い、『だった』人間、か」
ピピーピピ、ピピーピピ、ピピーピピ……。
「……うるさい」
ピピービガシャン!
……何か、不吉な破砕音が耳に響いた。
「……ん?」
私は、上体を起こして周囲を眺め回す。既に空は明るく、朝だと言う事を物語っている。懐かしくも思い出したくない昔の夢を見ていた私は、いつ起きたのだろうか、寝ぼけていたのだろうかと疑問は尽きないが、ふと先程の破砕音が気になった。
……私の手には、目覚まし時計だと思わしき残骸が握られていた。どうやら握り潰して仕舞ってたらしい。
これも一つの自動術式の弊害だと思う。
私の意志と関係なく『常に能力を展開』しているせいで身体能力が異常なまでに高まるので、私はこれを何とか抑えていなくてはならない。戦闘などで精神が安定しない時や、今の様に寝ぼけたりしていた場合、うまく調律が出来ないでいる。自分の心もコントロール出来ないなんて、私もまだまだ子供だと痛感させられる。
(……いつになれば、あの人の『闇』に到達できるんだろう)
時津カナタ。
私の知る限り、誰よりもあらゆる『闇』に近しい存在だと思う。
友人・的部スミレは言う。時津カナタより私の方がそれらしいと。それは大きな勘違いだ。
『あれ』は、私なんか足下にも及ばない程に心に暗い『闇』を潜めている。私だけではなく、誰と話している時も感じる、身を裂く様な緊張感。昨日だってそうだ。
安心出来ない。
安寧出来ない。
安定出来ない。
しかし、と私は思う。
彼が醸し出す極度の緊張感は、あの日だけは欠片も感じなかった。
三週間前、入院した彼の元へ行った時に会った、長身で金髪碧眼の女性。名も知らぬ彼女と居た時だけは、あれはなかった。
(……なんか。思い出したら腹が立ってきた)
ハァ、と私はため息を吐き、身を起こしてベッドから降り立つ。目覚ましは……壊れたし、新しいのを放課後に用意しようと決意を固め、
とりあえず今は制服に着替える。
……魔法文字と呼ばれる文字を描いた、カードと共に。
[Jan-26.Thu/07:50]
着替え、朝食を済まし、身だしなみを『見る分には見苦しくない程度』に整え、家を出た。
『例の』公園を通り過ぎようとして、不意に時雨沢の事を思い出す。
(そう言えば彼はあの後、大丈夫だったのかな?)
心配にもなる。何故なら彼は、世界十指に入るだろう魔術師・極彩色に狙われているのだ。……まぁ、昨日のやり取りから察するに、近日中に再び強襲しにくるのは確実として、昨日に行動を起こすとは考えにくいし、考え過ぎか。
「……まぁ、念の為に一応、顔ぐらいは見ておきますか」
確か、時雨沢の家はこの近所のアパートの筈だ。詳しい場所は知らないが、そこは地元民の勘で捜し当てるしかないだろう。
公園を抜け、住宅地が並ぶエリアをテキトーにぶらつく。登校時間はまだあるとはいえ、見つからなかったら放っておこうと心に誓っていると、見知った顔を発見した。
身長は一九〇強。髪は金色で全体的にベリィショートだが、襟足だけが肩胛骨の辺りまで伸びている。眉毛は抜いていて殆ど面影はなく、耳には数えるのが億劫になる程に大量のピアス、下唇に一つピアスを開けたその男は、私と同じ中学校の制服姿にも拘わらずに堂々とタバコを吸いながら歩いていた。
その男は私と同学年で、学年首席を争っている少年だ。身長一九〇強の男を『少年』と形容するには些か抵抗があるが、一五歳である以上は『少年』でしかない。
不良・秋良 ヒルベルド。その奇抜すぎる容姿故に教師達からは忌み嫌われている存在だ。その人となりの器量を見極められず、嫌うしか出来ないのは愚としか言いようがない。私は彼をそれなりに気に入っている。
「ヒルベルド。こんなトコで何をしているのですか?」
「うわぁっと!……って、何だ桜井か」
「未成年はタバコを吸うなとは言いませんが、制服姿だと学校の品位を貶めるので遠慮しなさい」
私はヒルベルドの手からタバコを奪い取り、それを地面に落として踏み消す。ヒルベルドは、まるでおあずけを喰らった犬の様に渋面のままこめかみを掻いた。
無言のまま、私は手を差し出す。ヒルベルドは舌打ちをしながらポケットからタバコの箱を取り出し差し出してきた。私はそれを握り潰し、近くに配置してあるゴミ箱に投げ捨てる。見事にゴール。
「……で、何をしているんですか?」
「学校に登校してんだよ。学生の本分だろ?」
「学生ならタバコなんて吸わない様に。というか貴方が普通に学校に登校するとは珍しい」
「そりゃな。もうすぐ期末だし、勉強しときてぇ」
……相変わらず、顔に似合わず殊勝な事を言う奴だな。
「……あ、それはそうとヒルベルド。貴方、時雨沢の家がどこにあるか知りませんか?」
「あん?タクミの家?そりゃそれなりに仲いいから知ってっけど、何で?」
「……まぁ、昨日、色々あったので少し心配で」
「ふぅん?」
よく分からない、という表情のヒルベルド。
「まぁいいや。ほら、こっちだついて来い」
「感謝します」
[Jan-26.Thu/08:15]
「いやビックリ」
駅から出た時雨沢は、私とヒルベルドを交互に見ながら呟いた。
「朝、学校の友人が迎えに来るんだもんよ。何の朝イベントかと思ったよ。何?さっきのはCG回収ポイント?」
「朝っぱらから何を訳分からん事言ってんだお前?脳味噌腐ってんのか?」
「さぁ?ヤドリバエでも住み着いているのでは?」
「お前ら、もうちょっと友人を大切にしようよ」
ちなみにヤドリバエとは、蝶や蛾のサナギに卵を植え付け、サナギの養分で孵化し成長する寄生蠅の事。実際に見ると、孵化の瞬間はかなりエグい。一週間はまともに物が食べれなくなるので要注意。
「です」
「だからお前らさ、異次元の会話はやめようぜ。な?」
何やらヒルベルドが疲れた顔をしていた。『そういやアイツもたまにこんな会話するよな』とか訳の分からない独り言も呟いたが、私には何の事だか分からない。
「それはそうと……壮観ですねぇ」
「何の話だ」
時雨沢は元からファッションやスタイルのセンスも良く、ヒルベルドはちょっと強面だが派手でワイルドな印象。しかも二人は身長一九〇センチ台の長身……この二人が揃えば、嫌でも周囲の注目の的だ。
「……ミサト。両手に花って感じだね」
落ち着いた、幼く高い声の筈なのに、発音に歳相応の響きが見えない。
「セイカ!」
背後から不意に私に話しかけてきたのは、クラスメイトの浅野 青果だった。
身長は一三〇半ばとかなり小柄だが、金の髪に碧の瞳は明らかに日本人ではなく、まるで精密なビスクドールを彷彿とさせる。前髪をヘアバンドで纏めているのがどことなく幼く見え、同性の私から見ても背徳的な妖艶ささえ映る。聞いた話だと、クォーターだとからしい。
「桜井に俺にヒルベルドに浅野……まさに学校の人気者を一括りにした様な布陣だな。登校姿のCG回収か。さぞ絵になるだろうなぁ。挿し絵をお見せ出来ないのがマジ残念だ」
「だから貴方、さっきから何を言ってるんですか?」
というか、コイツ自分の事を人気者と豪語しやがりましたよ?自意識過剰にも程がある。
ちなみに人気の理由は、時雨沢は人を惹き付けるカリスマ性、ヒルベルドは強面のインパクト、セイカは人形の様な容姿故で、私は成績。ぶっちゃけ私も自分は注目される方だとは思うが、この三人と共にいたらかなり『薄い』方だと思う。むしろこの三人は濃すぎる。
自動術式やルーン魔術がある私がここまで『薄く』なるとは。
「……くっ、なんたる屈辱!」
「何で泣いてんの?」
「いえ別に」
そんな話をしながら、私達四人は日常的に登校した。
[Jan-26.Thu/12:30]
四限目の終令と同時にヒルベルドと時雨沢は立ち上がり、学食に向かって駆けだした。別に、この学校は優等生が集っているので、マンガの様な学食戦争なんて起こらないのだが(逆に言えば、戦争ではなく紛争程度なら起こる)、本当に元気で現金な奴らだ。というかヒルベルドが行けば周りが席を譲るものだと思う。
そんな仕様もない事を考えながら私は鞄を漁り、不意に思い出した事がある。
(……そう言えば、)
今日、私は弁当を作っていない。昨日のゴタゴタや、夢で見た過去に予想以上に辟易していたのか、弁当を作るのを忘れた。これはゆゆしき事態である。
(……今日は学食、かな?)
今までずっと自前の弁当だった私は、実は学食というシステムを一度も利用した事がない。まぁいい機会だし、ここいらで視野を広げるのも悪くはないかも知れない。
私は鞄から財布を取り出して立ち上がり、クラスを見渡してセイカを探す。いた。異様に目立つ容姿をしている彼女を見つけだすのはなかなか簡単だ。
セイカは誰とも話す事なく、黙々と本を読んでいた。真昼の陽光を浴びて本を読む美少女というのは絵になるが、どこか取っつきにくい『話しかけるなオーラ』が展開されている。
いつもと言う訳ではないが、大抵は私はセイカと昼食をとっている。今日は弁当を忘れたので学食で食べる旨を告げなければいけない。
「セイカ」
「ん?どうかしたのミサト?」
ハードカバーに栞をはさみ、セイカは顔を上げた。先程の険しい雰囲気は欠片もなく微笑む。
「今日は弁当を忘れて仕舞ったので、学食で食べようと思うのですが……」
「そうなんだ。それじゃ行こうか」
逡巡する事なく、セイカは笑って鞄から小さな弁当を取り出した。
「……いいのですか?貴女は、騒がしい場所は嫌いなのでは?」
「う〜ん……確かに好きじゃないけど、でも一人で食べるのも何だか味気ないし」
だから平気、とセイカは笑う。本当に、私達にしか見せない笑顔は清々しいまでに可憐で、同性の私でさえもドキッとさせられる。
「それじゃ行こうか」
「……は、はい」
弁当箱を胸に抱えたセイカが歩きだし、私はその後に続く。……あれ?いつの間にか主導権が変わってない?
[Jan-26.Thu/12:35]
「……ハァ。ッたく、平和だねェ」
『何の話ですか?』
「焔斧槍の話だよ。極彩色とヤり合ッた翌日だッてのに、何でもねェ様にクラスメイトと飯食いに行きやがッたよ」
『そうですか。では監視を続けて下さい。海銛槍の一員としての自覚を持って』
真っ白な髪をハードワックスで逆立てて固めた、耳に無数のピアスをあけ剃り尽くした眉毛の部分にピアスを四つ開けた少年・真闇槍は、双眼鏡から目を離しながらケータイで通話していた。相手は海銛槍の一人である雹月槍だ。
彼は現在、桜井ミサトの通う学校の屋上にいた。と言っても不法侵入ではなく、あくまで一人の生徒としてだ。このエスカレーター式の学校は、中等部と高等部に分かれているので、焔斧槍の監視に適しているのだ。
「神殺槍、雷双槍、紋知槍と違ッて、『こっち側』の焔斧槍の監視は一人じゃ面倒だ。とッとと合流してェなァ」
『そうですね。魔術師達は常に他人より多く魔力を精製している為に、迂闊に近付けば気付かれて仕舞いますからね。……もっとも、ルーン魔術の基礎しか知らず、索敵能力のない焔斧槍に気付かれる様では魔術師を引退しなくてはいけませんが』
「『染め(刻み)』と『抜き(埋め)』の原理を理解してる以上、一概にただの素人とは言えねェ訳なンだけどな……」
ルーン魔術という魔術はよく魔法文字と呼ばれ、文字を組み合わせて意味を作るのではなく文字自体に意味がある。しかし、文字の意味を存分に引き出す為には文字の書き順や角度なども重視される。
『染め(刻み)』とは正確に文字を書き記す事、『抜き(埋め)』とは書いた文字に魔力を注ぐ事を指す。今日び、おまじない等でも有名なルーン文字だが、『染め(刻み)』と『抜き(埋め)』が正しく理解できていない以上はそれはただの記号に過ぎず、意味はない。
この『染め(刻み)』と『抜き(埋め)』の技術の体得は意外と難しく、誰でも用意に行える訳ではない。それを踏まえた上で『ルーン魔術師』と言えるのだ。
『それでは。私も神殺槍の監視がありますので切りますよ』
「……了ォ解」
ピッ、と通話を切り、真闇槍はケータイを無造作にポケットにねじ込み、ため息を吐いた。
(……どォしてこの俺が、監視なンざしねェといけねェンだッつゥ話だよな。キャラ違ェッつの)
元来戦闘向きな彼にしてみれば苦痛以外の何物でもないのだろう。しかしこれが仕事なら仕方がない、と半ば諦めながら学食に足を向けた。