世界の一通
[Jan-25.Wed/18:30]
ドロリ。極彩色の身体は粘液じみて溶け、跡形もなく消え去った。まるで全身が影になった様な錯覚さえ覚える。
「ほう。影を使った移動術、ですか。ローマの魔術に特別詳しい訳ではありませんが、とりあえず高位魔術である事に間違いはなさそうですね」
私は呟きながら、未だ尻餅をついている男へ手を差し伸べる。
「怪我はありませんか、時雨沢?」
「……何で、お前が魔術師なんだよ」
彼の言いたい事は分かる。どうして同級生が魔術の世界にいるのか、と言っているのだろう。
「過去の話です。女の子には秘密がいっぱいあるのです。詮索は野暮ですよ?」
「……しかも、俺の正体を知ってやがるしよ」
「そんな事はありません。人狼という事は知っていましたが、まさか甲賀忍者だったとは驚きです」
灰色銀狼……もとい時雨沢は私の手を掴み、立ち上がってズボンについた埃を払う。何となく不服そうな表情だ。
「……そんで?極彩色の奴はどこに行ったんだ?」
「分かりません。私は『元』ロシア十字教なので、ローマ十字教の術式は知りませんよ?そもそも追跡の様な複雑な術式は苦手なので、しかもあんな高位魔術の追跡なんて、私には不可能です」
「何しに来たんだお前は?」
「助けられといてお言葉ですね」
適当に時雨沢をあしらいながら、私は学校指定の鞄を近くのベンチに放り出していた事を思い出した。中には人に見られてはマズい大切な物が入っているというのに。
ルーン文字が書かれた一枚の紙のカードを取り出し、
「氷剣」
カードが砕けると同時に、私の手の中には六〇センチ程度の氷の剣が握られている。時雨沢は感心した様子で氷剣を見ていた。
「ルーン魔術……だっけか?スゲぇな」
「そんな事はありません。ルーンは特に魔術の才能のない者でもそれなりに扱える魔術ですし。媒介となるカードだって、ゲームカードの表面を漂白した上にマジックで文字を書いただけです。この氷剣も初歩の魔術に変わりありません」
「いやぁ、それでもだよ。だって忍者なんてそんな事出来ねぇし」
「ほう。火遁の術、と言って口から火を吐く事は出来ないのですか?あれは常々見てみたいと思っていたのですが」
「忍者マンガの見すぎだバカ。そもそも忍者の五方遁術ってのは火・水・土・木・金から成り立っていて、マイナーなものを言えば天遁、暗遁ってのもある。文字通り遁(走)術って意味で、忍者が逃げる為の技術なんだよ。しかもその為の道具が必要だ」
そこに何か嫌な思い出でもあるのか、時雨沢はため息を吐きながら頭を抱えた。私はふと、鞄を取りに行く事を思い出してベンチに早足で駆け寄る。
ある程度、魔力の放出があれば関知出来る程度に鍛えられてはいるが、どうも極彩色からのアクションがない。世界十指と聞いていたからどんな強さかと思っていたから、少しばかり拍子抜けだ。
(それとも……何か仕掛けている……?)
探知・察知・関知の能力の低い私では、何か仕掛けていたとしても気付かないだろう。相手は何せ、世界十指に入る程に最強の魔術師なのだから。
何にせよ油断するつもりは元よりないが、相手が凄腕の魔術師である以上はその警戒心も無意味な気がしてならない。むしろ、広範囲に気を分散させるよりは自らの間合い・本間に氣を凝縮させるべきかも知れない。
(まさか、大切な者を守る為だけの魔術師としての修練が、こんなところで役に立つとは……いやはや、人生とはバカに出来ないものですね)
今や私は『魔術・格闘・特殊技能』の三つを習得している。戦闘技術だけで言えば、世界十指の魔術師たる極彩色をも上回るかも知れない存在に昇華しているのだ。
尤も、魔術は金輪際使う気はなかったが、状況が状況なだけに致し方がない。
(……そう思いつつも、どうしてもルーンを刻んだカードだけは手放せなかった訳ですが)
或いは、私は逃げているのかも知れない。
「おい、桜井。あんまボサッとしてんなよ!?」
「貴方に言われなくても分かってますよ」
集中、集中、集中。
重心より半径一・五立方メートルの本間、半径七メートルの総間を氣で埋め尽くす。伊達でも酔狂でも何でもなく、これが私の間合いなのだ。跳ぶだけならば、助走・予備動作なしに一〇メートルは行ける。
しかし、来ない。
私の知る魔術師というのは、自己に絶対の自信を持つ者が多く、故に猪突猛進な性格が主だ。特にローマ十字教は異端に対してとんでもない嫌悪を感じている為に、軽視する傾向がある。私が『元』ロシア十字教と名乗ったからには、油断する程ナメると思っていたのだが……。
私の思考は、突然頭上から降り懸かってきた『白い何か』によって中断された。
いや、降り懸かるというよりは、落ちてくる――ッ!
「押しつぶす気か!」
時雨沢が叫ぶ。
白いソレは、巨人だった。体長三メートルはありそうな、白い鎧を着た何か。
白い鎧は白い篭手に握り締めた白い大剣を振りかざし、一閃。あまりに唐突な事態に身動き出来ていない時雨沢もろとも吹き飛ばさんと言わんばかりに、ソレは力強い一撃だ。
――が、
「私と力比べでもするつもりですか?」
――甘い。
ルーンで創られた氷剣を構え、大剣めがけて振り上げる。
交錯する二つの剣。
ズゴン、と。あまりの重量に足下の地面が沈下し、周囲が隆起した。
しかしそれでも、白い鎧の剣は、私の氷剣に受け止められたままだ。
「うぁあっ!」
かけ声と共に、私は白い鎧をはじき返した。地面に倒れた白い鎧を見据え、時雨沢は嘆息吐く。
「な、ンだよ、ありゃあ……」
「聖霊騎士。古代の遺跡に出没して秘宝を守っている聖霊ですよ。発祥はイギリスのコーンウォールですが、私はケルトの『円卓騎士の大釜』を護る『虐殺の騎士』をイメージしたものじゃないかと考えています」
「そ、そんな事聞いてねぇ――!」
「『赤』の色彩に長けた樫の杖を使ってエヒリヒダンを喚び出すならまだしも、『黒』のダンディドッグに『白』の聖霊騎士……全く、極彩色という術式は便利なものですね」
魔術に於いて、色彩とは属性を表す重要な要素の一つだ。属性とはつまり指し示す『方向性』の事で、例えば、青の色彩の魔術ならば水の属性となる。
色彩の違う術具で魔術を行使するのは、適応しない配線をむりやり使っている様なものだ。
「ローマ十字教も厄介な物を内包してますね……。っと、いけない。私はすでにロシア十字教を辞めた身でした」
「そんな事より、アレ。どうするよ?」
「無論、叩きのめす」
私は新たにルーンカードを五枚取り出しながら、簡潔に答えた。
小説や漫画では『ルーン文字』と一括りにされる事が多々あるが、実は一概にはそうとは言えない。
大まかに分けて、二四字からなる旧ルーン、一六字からなる新ルーンというのがある。更に分類すればルーンの原型たるゲルマン・ルーン、五〜一二世紀にイギリスで使用されたアングロサクソン・ルーン、ブリテン島に広まったスカンジナビア・ルーン、デンマークのデンマークフサルク・ルーン、スウェーデンのノルウェイフサルク・ルーン。
私が最も得意としているのは、魔術的な要素が高いゲルマン・ルーンだ。
「Imperiumous dictator, deus voxis timor, sollers inpetus glacies frigus mors(私は支配者であり断罪者、神の声に恐れ、我が氷により凍死せよ)」
カードを目の前の聖霊騎士に向けてトランプカッターの様に一斉に投げ、私は囁く。
「IS HAGALL(氷柱)」
五枚のカードは空中で五本の氷柱と化し、聖霊騎士に飛来する。巨大な剣を振るって二本を弾いたが、残る三本は右胸、左腕、左脚に突き刺さった。
たった一瞬の隙。それさえあれば充分。
『たった』五メートルの距離を一足飛びで詰めた私は、氷剣を一閃。ザン、と聖霊騎士の片腕を斬り落とし、振り向き様にもう片方を裂く。私の身体が丸々入りそうな程に巨大な腕が剣ごと地面に落ちると同時に、私の持つ氷剣が砕けた。
(ふむ……やはり聖典の祝福を受けていない『ただの厚紙』ではこの程度ですか)
せめて羊皮紙でもあればよかったのだが、すでにロシア十字教を離反して一般人となった『はぐれ魔術師』の私には、そうそう手に入れるすべがない。対テロ特殊部隊と女子中生を掛け持ちしている私が一般人かどうかと問われると、ちょっと困って仕舞う訳だが。
(まぁ何にせよ、これで終わりなんですけどね)
私と聖霊騎士。お互いに剣を失って仕舞った訳だが、私にはそんな事関係ない。
左手に力を込め、裏拳気味に振るう。ただそれだけの軽い動作。
だった筈が、聖霊騎士の鎧を打った瞬間、《ズガシャァン》と、砕けた。
「ふむ。……このところ、どうも力の加減が難しいですね。ことさら『戦闘』となると、全身に魔力を帯びる『自動術式』の体質は便利なんですが、使い勝手が悪いですね。どうにかして制御出来ないものか……」
生まれ持った体質とは言え、どうも納得がいかない。いや、お陰で大口径の突撃銃を扱えるのだが、どうも仲間内で怪力キャラとして成り立っているのは納得いかない。
「ス……スゲェ。何者だよテメェは……」
時雨沢は霧の様に消えゆく聖霊騎士を見つめながら嘆息吐く。
「女の子は秘密がいっぱいなんですよ」
「いや、そんな戯れ言はイラナイ」
「さて……そんな事はどうでもいいのですよ」
私は新たに取り出したルーンカードから氷剣を作り出し、
「茶番は終わりにしましょう、極彩色!」
叫ぶ。
「もう小手調べはよいでしょう!?出てきなさい!このままでは埒が明かないと思いませんか!?異端狩り(アンチマーヴェリック)を咎めるつもりはありませんが、私の目の前では例え聖魔だろうと、誰一人殺させはしません!」
そう。
私はもう、誰も殺させる訳にはいかない。
「……雑魚風情が、侮る事なかれ」
声は、すぐ足下から聞こえた。
ズルリと、極彩色は陰から生える様に身を出しながら、私のすぐ目の前に立つ。一七〇を軽く越えているだろう長身で銀髪のウルフカット、さらにゲームにでも登場しそうなローブを着た姿は、異様を通り越して滑稽だ。
「汝の様な下級魔術師が、戯れ言をぬかすか」
「済みませんね戯れ言で。ですが……貴女が灰色銀狼を殺そうとする限り、私は全力を以て阻止させて頂きます。決着をつけましょうか」
「……フン。興が削がれた。……灰色銀狼、今宵は見逃さん」
ローブを翻し、極彩色は私達に背を向けた。
「しばしその命預けん。逃げるも結構だが、余はこの世の果てまで追跡せし」
「言いたい事はそれだけですか?」
背を向けたまま去ろうとする極彩色の背中めがけ、私は氷剣を投げる。それは我ながら見事に、極彩色の背中に突き刺さった。
「なバッ、不意打ち!?」
「敵に背中を向ける方が悪いのですよ」
顔を青冷めた時雨沢が驚愕に目を剥くが、私は気にしない。卑怯だとか冷酷だとか言う罵倒は、時に犯罪者を射殺しなければならない特殊部隊員には欠片ほども悪口にはならない。
「っつかお前、これって殺人じゃねぇか!」
時雨沢は極彩色の死体に駆け寄りながら叫ぶ。
「よく見なさい。それはフェイクです。本体はとっくに逃げ出してますよ」
私が言うと同時に、極彩色の死体が霧の様に消えていく。どんな術式の魔術なのか、まるでさっぱりだ。
「ま、それはそれとして。私はそろそろ帰りますね。どうやら彼女は『影』を使った移動術を使用するので、夜道には十分にお気を付け下さい。私は夕飯の支度があるのでこれで失礼します」
「いやいやいや待て待て待て。何事もなく去ろうとすんなそこ」
その場を立ち去ろうとした私の手を掴む時雨沢。……と同時に膝を折って崩れ落ちた。今更だが、時雨沢は脳震盪を起こしていただったのだ。
「……カッコ悪い」
「うるせぇ!」
普段からカッコつけている分、こういう情けない部分を見られて恥ずかしいのだろう。人気者はやたらとつらそうだ。
「待て……とりあえず、全てを説明しろ。……お前の事を」
「ナンパはお断りですよ」
「ふざけるな。真面目に答えろ」
「か弱い女の子の過去を詮索するのは野暮というものですよ」
「それもまぁ、色んな意味でふざけるな」
茶化してみたが、どうやら本気らしい。私はため息を吐き、時雨沢の手を振り払った。
「では私に付いてきて下さい。夕飯でも食べながら説明しましょう」
あまり過去について話したくはない、というか思い出したくはないのだが、そうでもしなければ日常が魔術師という事に納得しないだろうし、仕方がない。
再び歩きだそうとした私の手を、再び時雨沢が掴む。
「……何ですか?」
「……立てる様になるまで待ってくれ」
……何だかなぁ。
[Jan-25.Wed/19:00]
ようやく脳震盪が抜けたらしく、時雨沢は千鳥足になる事なくしっかり立ち上がった。
「さぁ行こうか」
「……貴方は、そういう所がなければ、もっといい男なんでしょうけどね」
「どういう意味だ」
「そういう意味です」
私は笑いながら、鞄を持って歩きだした。
「……っと、そうそう忘れるところでした」
不意に思い出し、私は振り返る。
「買い物に行くので荷物持ち、よろしくお願いします」
「……えっ」