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世界の悠久

[Jan-24.Tue/15:40]


ピッ、ピッ、ピッ……。

無機質な電子音が、耳に騒ぐ。

それは、ベッドに横たわる一人の少女の、生命を確認する音だった。

私は病室のドアを閉め、少女に近付く。長い黒髪は手入れされていないので、ボサボサだ。

美空(ミソラ)。また来たよ」

少女・ミソラに話しかけながら、私はパイプ椅子をベッドに近付け、座る。隣のチェストには看護師さんが気を利かせてくれたのか、桶とタオルが用意してある。桶の中の水は、体温よりやや高い程度の、程良い温かさだ。

タオルを温水に浸し、力強く絞り、私はミソラの顔を丁寧に優しく拭いてあげる。

ただし。口の周りは拭く事が出来ない。人工呼吸器があるから。

額、頬、首……私はミソラの首を右に左に二〇回程回してやり、素っ気ないデザインの病院着の前をはだけた。ミソラの裸体には、至る箇所に電極テープが貼り付けてあった。

そのテープから伸びるコードは、機械に繋がれている。私は出来る限りそれに触れない様に、やせ細ったミソラの身体をタオルで拭いていく。

テープが剥がれない様にミソラの身体を起こし、腰をゆっくりと曲げる。右肩、肘、手首、指も同じ様に何度も何度も曲げる。左も同様だ。

こうしてこまめに全身の関節を動かしてやる事で、ミソラが目を覚ました際にリハビリしやすい様になるのだ。この四年間、私はテロが起きた毎月この日だけはミソラの看病に来ていた。

「……ねぇ、ミソラ。彼方(カナタ)さんは元気だよ」

ミソラの全身の関節を曲げながら、私は語りかける。

「……今なら、ミソラの気持ち、分かるな。あの人は、とてもとても、……素敵な人」

ミソラの想い人、時津(ときつ) 彼方(カナタ)。小学校の違う少年が、こうして眠っているミソラの初恋なのだ。

経緯は知らない。私がその時津 カナタと出会ったのは三年半も前。そして……今だからこそ、分かる。経緯はどうあれ、惹かれた理由が。

「……ごめんね、ミソラ」

無意識にその言葉が出た。

それから私は色んな事をミソラに話した。学校の事、友人の事、仲間の事、……時津 カナタの事。ひと月に一回しかここには来ないので、話したい事は沢山沢山用意してある。

やがて、病院は閉館の時間となる。泊まる事も可能だが、残念ながら明日は学校なので私は帰る事にした。

病室の引き戸を開け、振り返る。相も変わらず沈黙を保つ眠り姫に向かって、私は――、

「……また、来るね」

――自分の頬を触れば分かる。私は今、嗤っているのだ。

そんな自分が矮小で卑しい存在に思えてならない。自己嫌悪する。









[Jan-25.Wed/15:00]


放課後。冬休みが明ける頃、カナタさんとはあんな別れ方をして以来、ろくに話していない。しかもここ最近はテロも起きないので仕事量も減り、会う機会さえ少なくなった。このままでは不味いと思い立ったが吉日、私はカナタさんの高校の校門前で待ち伏せする事にした。

私は紺色のプリーツスカートからケータイを取り出し、時刻を確認。丁度三時。もうそろそろHRも終わる頃だろう。

まだかまだかと私が立ち惚けたまま待つ事一五分。ようやく校舎の中から大勢の人が吐き出される様にワラワラと出てきた。

その中に時津 カナタの姿はない。私は目の前を行き去る生徒達の中に見逃しがないかと眼を細める。

その中に、一つ。見知った顔がある事に気付いた。

カナタさんではないが、ある意味私よりカナタさんに近い人物に向かって私は手を振った。

「眞鍋さぁん!」

大声で呼び掛けるとこちらに気付き、見知った少女・眞鍋(まなべ) (ツヅミ)が駆け寄ってきた。

「ミサトちゃん。久しぶりー」

眞鍋は近付いて来ながら、軽く微笑む。前に会った時はちっちゃなツインテールだったが、今は学校仕様なのか黒縁のアンダーフレーム眼鏡にボブカットだ。

「お久しぶりです」

私は頭を下げた。

「あぁ。そんなに畏まらなくていいってば。それより、今日はどうしたの?」

「えっと……それは……」

チラリと高校の校舎に目をやる。眞鍋は意外に(失礼)聡く、それだけでピンときた様だ。

「あ〜、そういう事か。残念だけど、時津くんならポーカーの罰ゲームで教室の掃除を一人でしてるわよ」

「ば、罰ゲーム……ですか」

「うん。私と時津くんと、後二人で掃除当番なんだけどね。フルハウスとストレートとフォーカード相手にブタで惨敗。時津くんは晴れて罰当番になっちゃった訳。私は今日バイトだから助かったんだけどね。悪い事しちゃったかな?」

眞鍋はペロッと舌を出しながら呟く。

意外だった。まさかカナタさんがそんな賭けをやるなんて。少なくとも私達の間柄では、私とカナタさんは性格的には近しいとばかり思っていたのに……。

「っと。ごめんね。あんま話し込んでる暇ないんだ。それじゃ私、急ぐから」

「あ……はい。それでは」

今度一緒に遊ぼうねー、と言葉を残し、眞鍋は駅方面へ走っていった。その背中を眺めながら、私は手を振りながら思う。

(やはり……私は何も知らないんですね)

カナタさんの『裏』の顔を知っている分、少なくとも普通の友人よりは知った気になっていたのだが、こういう時、厭に無知を意識して仕舞う。そしてそれは――とてつもなく、胸に突き刺さる。痛い。

先程まで、待ってる間はワクワクしていたのに、今ではただひたすらに待ち遠しい。一分一秒が胸に刻まれる奇妙な感覚。校舎の中に乗り込もうとする心を抑えつけるのに必死で、他の事をあまり考えていられない。

(……まだかな)

早く。

早く。

早く。

時間が過ぎるのが遅く感じる。

嫌だった。他の人が時津 カナタという存在を、私が知らない一面を知っているのがとても嫌で嫌で、一刻も早く会いたかった。会って、色んな事を話したかった。

――それが裏切りだと知って尚、その気持ちだけは抑えられない。

(……まだかな)

陽が傾き、気付けば三時をとおに上回り、四時に近くなった頃、ようやく校舎の昇降口から人影が現れた。じっくりと目を凝らすが、遠過ぎて顔の判別がつかない。

でも……それでも、分かる事がある。

何度となく見ている寝癖の様な髪型。歩き方の特徴に、荷物の背負い方。仕草、振る舞い。

その人影は間違いなく時津 カナタだ。両隣には友人とおぼしき人影がいて、笑っている。

人影はやがて人となり、はっきりと顔が見える。カナタさんと、男子生徒が一人と女生徒が一人。楽しげに笑ったり、男子生徒にヘッドロックをかけたり、スリーパーホールドをかけられたり。

知らない『時津 カナタ』の姿が、そこには存在した。

やがて三人組が校門に近付いたところでようやく、カナタさんは私の存在に気付き、友人二人に片手を挙げて『ごめん』のポーズを取りながら私に近付いてきた。

「何の用?」

内緒話をする様に顔を寄せ、途端に険しい顔をするカナタさん。分かりきった事ではあったが、私は気付かないフリをして答える。

「たまには一緒に帰りませんか?」

「却下。見ての通り友達と帰ってんの。帰るならお一人でどうぞ」

ぶっきらぼうな物言い。こういう言い方をされると、流石にカチンとくるものがある。が、私はそれでも引く気はない。

「構いませんよ。どうせ同じ方向なんですし、一緒に帰りましょう」

「僕が構う。というか、他の奴にも言いたい事ではあるんだが、あんまり僕の日常に関与するのはやめてくれ。まぁ夕朔(ユーサク)とはたまに遊ぶ程度に趣味は合うからアイツは友人として認めてるし、澄澪(スミレ)は……ほら、あの女の子。あの子の友達だから最近は会ってはいるんだが。でも僕と君に接点はない。悪いけど、帰りたいなら他を当たってくれ」

「部隊が同じ。これは接点にはなりませんか?」

「なりませんね。どんな部活にも付き合う友人と付き合わない友人ってのがあるだろ。それと同じだ」

分かったか、とカナタさんは告げると、再び友人達の輪の中に入っていった……が、

不意に友人の一人――男の方――が私に近付いてきた。カナタさんが袖を掴んで制止するが、男子生徒はそれを振り切る。

「膝までの長い黒髪……もしかして君、桜井(さくらい) 美里(ミサト)ちゃん?」

ニッコリと、肩まである長い茶髪を五分分けにした男子生徒は、軽薄そうな笑顔を浮かべてきた。私は頷きつつも男子生徒の後ろのカナタさんへ視線を送る。

「やっぱそっか。ツヅミから『長い黒髪のお人形みたいに可愛い娘』って聞いてたからさ。膝に届くぐらい黒くて長い髪の娘、ってそんな奴いる訳ねーって思ってたけど、ホントにいたんだねー。お兄さんビックリだ」

「眞鍋さんを知ってるんですか?」

ケタケタと笑う男子生徒は急に笑いを止め、改めて私に向き直りながら、芝居のかかった素振りで片膝をつく。お辞儀をする様に頭を下げ、左手を伸ばして私の右手をとる。

「初めまして。私は真北(まきた) 昂太(コウタ)。ツヅミのカレシって言えば分かりやすいかな?」

ピンときた。そういえば眞鍋にはカレシが居たとか言っていた。確か一二月二三日の事だ。

コウタと名乗る男はカナタさんと女生徒を手招きし、告げる。

「いいじゃん。一緒に帰ろうぜ。俺は別に迷惑じゃねぇしさ、ちょっとツヅミの話聞いてから会ってみたかったし」

私の中で、コウタの『軽薄な男』という称号が『救いの神』に変わった瞬間だった。

カナタさんはあからさまに顔をしかめ、もう一人の女生徒と私の目が合って……。

「……」

「……」

眼帯をした背の小さな少女と目が合った瞬間、私の中の何かが暴れ回った気がした。心なしか、カナタさんの腰が引けた。

……出会った瞬間に、分かる事がある。女の勘なんて生易しいものではなく、これは予感だ。私と眼帯の少女は互いに視線を逸らす事なく、どちらが先と言うでもなく手を差し出す。

「……初めまして。『カナタさん』の友人の桜井 ミサトです。いつも『カナタさん』がお世話になってます」

私は『』にアクセントを置きながら挨拶をした。眼帯の少女は一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、気にした様子もなく言う。

「……初めまして。時津さんの『クラスメイト』の(みずのと) 千鳥(チドリ)です。お世話だなんてとんでもない。私の方こそ『いつも』時津さんに『よくしてもらって』ますし」

ガッシリと掴み合う手と手。私達は視線を逸らす事なく、ニヤリと口端をつり上げて嗤う。

「……何なんだ、この不穏な空気は?」

「よかったじゃねぇのカナタ」

よく訳が分からない、と言わんばかりに困惑するカナタさんの肩に、ポンとコウタの手が置かれた。

しばらく私達が握手を交わす間、軽い静寂というか重い沈黙が流れるが、それを壊したのはニンマリと笑ったコウタだった。

「おおっと俺ってば用事あるの忘れてたぜじゃあなカナタ!」

句点をつける事なく早口にそうまくし立てると、コウタはそそくさと駅とは逆方向の商店街へと消えていった。あまりに早業な展開にポカンと口を開けたまま微動だにしないカナタさん。

「……僕も帰っていいかな?夕飯の支度しなきゃだし?」

「さ、帰りましょうかカナタさん」

「そうですね、帰りましょうか時津さん」

私はカナタさんの左側に、癸はカナタさんの右側につき、それぞれの腕をガッシリと掴む。逃走経路を断たれたカナタさんは、私達の手によって連行される宇宙人よろしくズルズルと引きずられた。









[Jan-25.Wed/16:05]


電車に揺られ、自宅に最も近い駅に降り立った私達は、近くの喫茶店『チヌーク』に立ち寄る事となった。嫌な思い出でもあるのか、癸は心底から顔を歪め、カナタさんは世界が終焉を迎える瞬間の様な、形容しがたい表情でグッタリと肩を落とした。

「……その反応がやたらと気になるのですが?」

「ハハッ。気にしなくていいですよ」

「そうそう。気にすんな」

二人はカラカラと無表情のまま、口端を歪めてニヒルな笑みを浮かべた。……私一人だけが置いてけぼりを喰らった様な気がして、非道く気に入らない。

やがて片目を眼帯で隠したオールバックのウェイターが厨房から現れ(癸を見た瞬間、何故か嫌な顔をした)、私達を案内するや否やさっさと消えた。何やら感じの悪いウェイターである。

「……あのさ。聞くまでもないんだが、やっぱりここの支払いは僕なワケ?」

「当然です」

私はキッパリと答える。こればかりはいくら相手がカナタさんでも譲れない、アイデンティティというかポリシーの様なものだ。

「こんのッ……いい加減にしねぇと犯して埋めるぞコラ……ッ!」

「ハッ」

いやまぁ、その既成事実には少し引かれるものもあるが、やっぱそんなのは嫌だし。

「は、鼻で笑われた……」

「貴方が私に勝てるとでもお思いで?」

「すいませんでした」

……冗句のつもりが謝られた。

「そ、それじゃ……とりあえず注文しますね」

「ぐっ……結局、僕が払う事に決定なのかよ……女ってのは傲慢すぎて嫌になんダヴヘッ!」

躊躇なく、私はカナタさんの脇腹に軽く正拳突き。とは言っても座った状態での一撃なのでさほど効果はないのだが、カナタさんはテーブルに突っ伏したまま動かなくなった。

「……今のは、時津さんが悪いと思いますよ?」

苦笑いを浮かべた癸が小さく呟く。

特に罪悪感はなかった。









[Jan-25.Wed/Unkown]


少年――と形容するにはふさわしくないが、身長一九〇弱もの長身の男子中学生ならば少年と形容するしかない。

髪は全体的に赤く、所々に入れられた黒いメッシュが目立つ。前髪は右が長く左が短い、いわゆるアシンメトリーと呼ばれる髪型で、少年の端整な顔立ちを際立たせている。

複数の男女で歩いていたが、不意に赤髪の少年は立ち止まり、振り返った。他の少年少女も彼に続く。

振り返った先――まだ陽が落ちる前の騒がしい雑踏のさなかに立っている女。黒いローブの左胸には白い十字架が刺繍されていて、それは膝まである長い裾に届く程に伸びている。肩には金属のショルダーパッドが装着されている。

まるで、RPG等のゲームに出てきそうな服装。もし彼女が出るとすれば恐らく、魔術師という職業がふさわしいだろう。

そう。女は、魔術師然としていた。

肌は浅黒く、対照的に髪は銀ではなく真っ白。そして女の顔には表情が欠片も見えず、のっぺりとしたマネキンの様に思えた。

「……悪いね。ちょっと用事が出来た」

赤髪の少年は取り巻きの少年少女にそう告げ、女に近付いていく。ただならぬ気配を感じたのか、友人達はそのままどこかへと姿を消した。

「……俺に何か用かい?」

明らかに日本人ではない事は分かっているのだが、赤髪の少年は敢えて日本語で訊ねる。女は一言も答えず、右手を差し出す。

女が身に纏っている黒いローブは、左の袖こそ普通だが、右の袖は異様に長かった。右の袖だけ膝を越える程に長く、そして先がゆったりとしている。人一人くらいなら包み込めそうだ。

だらりと袖を垂らしたまま、女は告げる。

「……灰色銀狼(シルバーアッシュ)とは、汝に(たが)う事ないか?」

赤髪の少年は驚いた。かなり間違った古語っぽいが、まさか日本語を喋れるとは思っていなかったし、何より――灰色銀狼(シルバーアッシュ)という言葉を知っていた事に、驚いた。

「……へぇ。俺の事、知ってるんだ?」

「如何にも」

「じゃ、逆に訊ねるけどさ。……アンタ、教会の人間かい?」

「如何にも」

ウルフヘッドの女は、右手を差し出したまま答える。

「……何者だ?」

「余の名はアンデル・ランダンデル也。いや……極彩色(ランダムカラー)と名乗った方が、汝に聞き覚えはあるか?」

再び。今一度、赤髪の少年――灰色銀狼(シルバーアッシュ)は驚愕した。

極彩色(ランダムカラー)

それは、その二つ名は、裏の世界では知らぬ者がいないとされる程の、世界で一〇本の指に入ると言われている魔術師の名。

「その命、もらい受ける」

極彩色(ランダムカラー)がそう告げた瞬間、灰色銀狼(シルバーアッシュ)は全速力で人混みの中に逃げ出した。

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