世界の見方
[Jan-26.Thu/19:45]
「鬼かテメェは!」
「うるさいとっとと行け!そんでどうにか活路を開け!今日流れる血は明日の礎に、です!」
「流れる血って俺のかァァァあああああ!」
「私も致死量ギリギリ流してんだよ見りゃ分かるだろ!」
私は時雨沢の背中を蹴り、無理に前に押し出す。いくら私が満身創痍だからと言っても、私は常に自身に自動術式がかかっている為に、トンデモ怪力は続くのだ。
ちなみに『今日流れる血は明日の礎に』というのはバチカン一三枢機課の一つ、第八枢機課『ランスロット騎士団』の言葉だ。いや、言葉そのものは既にローマ十字教全域に渡っているが、その発端がと言う意味だ。
「うわっとっと……」
つんのめる様によろける時雨沢は、暗黒光輪と対峙する。ギョロリと見つめる蛇の視線を受けた時雨沢は、ニヘラと不気味な笑みを浮かべ、
「無理!俺三秒で死ぬ!」
こっちに全速力で帰ってきた。
「再三に渡って言わせて下さい。この役立たず」
「あぁ何とでも言えやチクショウ!でも無理なもんは無理なんですよーだ!あんなん相手にしてられっかアッタマおかしいんじゃねぇのお前!?」
「小学生じゃあるまいしバカみたいな開き直りを――ッ『氷城の城壁』五三枚!」
コートの内側から『HAGALL(氷)』の記号が描かれた五三枚のカードが飛び出し、それは一つの巨大な壁を創りあげた。忘れてもらっては困るが、私はルーン魔術師である。
瞬間、
パガン!とけたたましい、まるでコンクリートブロックが真っ二つに割れた様な音が響き、壁が砕けた。暗黒光輪が吐き出した炎弾が直撃したのだ。
「ぐっ……もう、あまり手持ちのカードもないと言うのにッ……!」
「あと何枚ぐらいだ?」
「四〇枚弱」
ルーン魔術は、質をとるか量をとるかによって魔術師としての方向性が決まってくる基本だ。『染め(刻み)』を入れる札を魔術的要素を含む良質な札を使用して、手持ちを少なくして戦術を限定するか。それとも魔術的要素のない悪質な札を使用して、戦術を広める代わりに利便性をなくすか。この二つのタイプに分かれる。
ルーンで敵を翻弄し、隙あらば銃弾なり拳なりを叩き込む戦術を採用している私は、断然後者だ。しかし、カードというのは意外にかさばるので、日常生活の中ではあまり多くを持ち歩いていない今はそれが裏目に出た。大量に使用しても攻撃を一回防ぐ事しか出来ない。
「いや待て、氷……」
ふと何かを思い付いた様に、極彩色が顎に指を添える。暗黒光輪は氷の破片に隠れている私達の様子を窺っていて、攻撃してくる気配はない。
だが、影からちらりと暗黒光輪を見た私は、我が目を疑った。少しだが、首の長さが伸びている。未だ地脈から吸い上げた魔力で召喚はされ続けているらしい。
「手はないですか時雨沢」
「あんなん相手にある訳ゃねぇだろ。忍者をお前らみたいな魔術師野郎と一緒にするな」
「極彩色」
思案していた極彩色は顔を上げ、ふと呟く。
「氷……汝、氷で杖を製造出来ぬものか?」
「杖……」
彼女が言いたい事は何となく分かった。要するに、私のルーンで杖を作り、それを振るって自分が召喚術を行使すると言いたいのだ。
だが、それは建設的ではない。
「無理です。貴女の樫の杖程の呪詛霊杖なんて、私には作れません。せいぜい、一回か二回の行使でロクでもない魑魅魍魎を生み出し、砕けるのがオチです……」
そう呟きながら、私は氷剣を見つめる。ふと視界の先に何かが映った。
それは、世界最強のリボルバー拳銃だ。弾切れで、片手じゃ装填出来ないという理由で捨てていた物だ。どの道、後で回収するつもりではあったが。
しかし、遠い。二〇メートルは距離が開いている。時雨沢の縮地法でも、一足で踏み込める距離ではない。
五〇口径の予備弾薬は持っている。ただ、右手だけじゃ装填に時間が掛かる。だがあの、地獄犬すら殺した力は脅威だ。それに、一つだけ確認し確信した事もある。
魔物や魔獣相手でも、銃で殺せる。
ましてや現代だ。過去の偉人がやってのけた事は殆ど再現どころか上をいく事の出来る現代。
もし。
もしも仮に。
このリボルバー拳銃が、神話に登場したとすれば、果たしてその効力はどれ程のものだろうか。たかだか住人を例外なく悉く刺し殺しただけの住人殺し(オベリスク)とは、どちらが上か。
悪の光輪者とさえ言われた、邪神アンラ・マンユが生み出した最強の竜、その一〇〇分の一にも満たない力で展開した空間防護は、果たして五〇口径の破壊力に耐えきれるのか。
「……極彩色」
「何ぞ?」
「残りのカードは全て貴女に託しましょう。出来る限り強大な魔獣を生み出して下さい」
「無論、承知」
ニヤリと、力なく、しかしどこか心強く、極彩色は嗤う。
「ちなみに時雨沢。貴方は出来る限り多くの影分身で暗黒光輪の目眩ましをお願いします」
「……何か俺の役割地味じゃね?」
「黙れ役立たずの根性なし」
「イェーイなんか余計な一言がプラスされてんぜー!」
半ば自棄に叫ぶ時雨沢。そんなどうでもいい時雨沢は捨て置き、私は四三枚のカードを全て片手サイズの杖に変え、極彩色に手渡す。
「活路は私が切り開きます。『今日流れる血は明日の礎に』、ですよ」
言うが早いか、私達はそれぞれ四散した。
[Jan-26.Thu/19:50]
ブォン、と風を唸り切り裂き猛り狂う暗黒光輪の頭が、時雨沢を三人、押し潰した。それは比喩でも何でもない。
「くそっ、影分身って結構体力使うんだぞ!?」
俗に言う『氣』を実体化させる術というのは、日本を始め各国に様々に存在する。例えばエクトプラズマというのは身体と魂を二分させて操るし、ドッペルゲンガーは『鏡面域』と呼ばれる、魔力ではなく身体力という力を用いた同一存在の簡略召喚術である。
しかしそれは、極彩色が扱う様な召喚術とは違う。『他なる存在を喚び出す』という簡易契約を結ぶ事で、実体化する魔力を簡略的な方程式に当てはめるという一定のプロセスを経由せず、直接氣で実体化させるのだ。それは、言うならば電導体を経由せずに、直接雷を飛ばして電気を通す様なものだ。トンデモない無駄と無理を現実に行う技術なのだ。
「それをポンポンポンポン消しやがって……俺はスライムじゃねぇんだぞ!」
と意気込む時雨沢だが、彼は忍者だ。焔斧槍の様な攻撃に特化した力もなければ、極彩色の様に利便性に長けた力もない。唯一の非現実的な力と言えば、この影分身の術しかない。
(……あ〜、俺って情けねぇ)
心中で呟く時雨沢の両隣を、弾丸の様に掠めていく影は六つ。
「……杖が脆かれば、杖自身に頼らざる術式を整えればよし」
氷の破片の横には、極彩色がしゃがみ込んでいた。その手には氷で作られた片手サイズの杖が握られていて、更に地面には魔方陣が描かれていた。フリーハンドにも拘わらず恐ろしく正確な円形、その中央には五芒星が等間隔に描かれていて、更に中央から螺旋を描く様に文字が無数に書き記されている。
即席で創りあげた氷の杖は、樫の杖の様に魔力を介する事は出来ない。杖が脆すぎるのだ。言い換えるなら、六〇ワット用の電線に三〇〇ワットぐらいの電力を流している様なものだ。
しかし、逆に言えば、過度の電力を通さなければ、焼き切れる恐れはない。地脈という変圧器を介すれば、杖は砕けない。
「色彩は紫、術式は五芒星を利用した偶像理論による高圧召喚。喚び出したるは、」
時雨沢の両隣を駆け抜けていったのは、銀の毛皮の狼だ。
「氷狼、か」
「無論、彼の悪戯の神の子孫を喚び出したる訳でなしけり。偶像理論を応用し、力を分岐させし形。ふん、言わば十字架の様な物よ」
「それにしても、悪魔の犬といい地獄犬といい氷狼といい……お前は俺に何か恨みでもあんのか?」
「これは異な事を。汝を駆逐せん為に極東に派遣されし余に其を言うか」
一〇の分身体と、六の氷狼が暗黒光輪に襲いかかる。が、まるで見えない壁に阻まれる様に、バジンと激しい音を立てて弾かれた。
「……どうでもいいけどさ、お前のその馬鹿な喋りは何なの?古語としても狂ってるぞ」
「なんと?様々なメディアを介し勉学に独学で勤しみし余が間違うておると言うのか?」
「かなり」
時雨沢の言葉に、かなり本格的に凹む極彩色。悪い事をしたかな、と時雨沢は思いつつも、影分身に供給する氣の密度を高める。
気付けば、肩で息をする自分がいた。消されては再び影分身を再構築する作業は、想像以上に徒労して仕舞う。
「まだか、桜井!」
叫ぶ声も、自覚出来る程に弱々しい。舌打ちをしながら、背後を振り返った。
そこには、大きなリボルバー拳銃を右手で構えた少女がいた。
漆黒の髪は満ちゆく月に照らされ、その姿は神々しささえ感じてならず、時雨沢は思わず見とれて仕舞う。
「今、ようやく弾込めを終えたところですよ」
歌を謳う様な軽快さで語る少女は、リボルバー拳銃の撃鉄に親指をかけた。
[Jan-26.Thu/20:00]
全く、左腕が使えないというのはなかなか厄介だ。これからは気を付ける事にしよう。
今日流れる血は明日の礎に。その言葉は、つまり『教訓はしっかり学ぼう』という意味だ。誰かの犠牲を踏み越えていけ、という意味では決してない。
撃鉄を下げ、構える。先程、地獄犬を葬った際はちょっとした興奮状態に陥っていた為に覚えていないのだが、これ程までの大口径を片手でブッ放すのは、なかなか勇気がいる。女子供なら、両手を使っても肩を脱臼しかねない反動なのだから。
だが、それはあくまで『普通の』女子供ならの話だ。私は違う。自動術式なんて特異体質の女は『普通の』女子供になんか該当されない。
(……傍迷惑な話ですね)
それでなくとも、昔は血腥い教会の魔術師として、今は硝煙とメンテナンス油臭い特殊部隊員として生きているのだ。一般とか普通と言った言葉を当てはめようとする方が甚だしい。
(……ま、どれもこれも、私が望んで進んだ道ですし。今更嘆く事が一番甚だしいですし)
笑う。自嘲する。
肩の力を抜き、反動を殺す体勢を整え、暗黒光輪を改めて見据え、引き金を引いた。
ガゴォン、という爆音と同時に襲いかかる衝撃。私はそれを去なし鋤かし騙し殺し、もう一度引き金を引く。
弾丸は吸い込まれる様に暗黒光輪に飛来し、空間防護に突き刺さる。ただそれだけ。貫く事はない。流石は天使クラスだと、こんな状況でなければ拍手したいくらいだ。
(……だったら、)
貫くまで撃てばいい。何度も引き金を引く。
最後の一発を同箇所に狙いをつけて放った瞬間、ビギィと、形容のしようがない異質な音を立てて空間が『裂けた』。非現実な表現で申し訳ないが、それはまるで、見えない時空に亀裂が走る様に、暗黒光輪の目の前の空間に蜘蛛の巣の様な裂け目が広がった。
迎撃するかの如く暗黒光輪は私に向かって口を開き、黒炎の塊を撃ちだしてきた。今度は逆に飛来する弾丸を、しかし私は避ける事が出来ない。世界最強のリボルバー拳銃の反動のせいで、体勢が崩れているのだ。
「桜井!」
「汝はあれを広げろ!ここは余が……!」
時雨沢が引き返すよりも早く、私に向かって六匹の氷狼が駆け寄ってきた。
一匹が私の腰に体当たりし、残りの五匹が炎弾に向かって飛び込む。ほんの僅かに速度を殺した、しかし威力は決して衰えていない炎弾は、私が氷狼に移動させられた直後に氷狼を焼き尽くした。断末魔の悲鳴さえなく、炎弾は背後の雑木林に着弾し、爆発した。炎上するどっかの誰かの雑木林。ご愁傷様。
ザリリリ、と時雨沢は暗黒光輪の空間防護の前まで縮地法で移動し、腕を捻りながら掌底の構えをとる。
そのまま、一閃。
骨法術というのは、どんな体勢からでも一撃必殺の威力を捻り出す特殊な格闘技法だ。そこに隙は決してなく、その一撃は大木をも穿つと言われている。
「俺のダチに何してやがんだトカゲぇ!」
掌底は、亀裂の入った空間防護を一撃で砕いた。まるでウィンドウガラスが地震の震動で割れる様に、粉々に砕け散る。
「今だ!行け、極彩色!」
「無論、承知!」
駆け出す極彩色。苦しげに嘶く暗黒光輪めがけて、走る。
その距離は、僅か八メートル。
不意に、首を振って迎撃する暗黒光輪。すぐ近くにいた時雨沢は防御の暇もなく、吹き飛ばされる。
距離は六メートル。しかし、その距離はたった少し、暗黒光輪が首を振っただけでいともたやすく迫っていた。思わず足を止める極彩色。
確かに彼女が指先一つでも触れれば暗黒光輪は異界卸し(キャンセラー・シェム)によって消し去る事が出来る。だが、だからと言ってその凄まじい光景に恐怖しない人間などいない。考えてほしい。寸前でブレーキをかけるからと言って、動じる事なく時速一〇〇キロで走る一〇トントラックの進行方向に立てるだろうか。
「く、っぁ……!」
恐怖にひきつる極彩色だが、暗黒光輪の凄まじい猛攻は急ブレーキをかけた様に減速した。
「ぐぅ、あぁあああ!」
足を止める極彩色を追い抜いた私は、持てる全力を全身に注ぎ、暗黒光輪に体当たりした。自動術式は決して万能ではない。たかが身体能力を自動的に高めるだけの特異体質であり、ドラゴンなんて馬鹿げた生き物を止めれる程の怪力が生まれる訳ではない。あくまで人間レベルの規格の話だ。
(だからって、諦めてたまるか!)
そんなちっぽけな事情で、私が諦める訳にはいかない。時雨沢も極彩色も、自らの身を持って止めようとしているのだ。私が諦める訳にはいかない。
「こ、ンの、ォォオ!」
痛む左腕に握らせた、氷剣。全身を使って暗黒光輪を止めつつ、私は氷剣を投げつける。それはちょっと気を逸らせる事が出来れば、という気休め程度の行為だったが、効果はあったのか暗黒光輪は動きを止めた。
暗黒光輪の紫の眼孔を貫くという、壮絶な効果が。
ほんの一瞬の出来事。しかし、漆黒の竜の動きは確実に止まった。
ザッ、と私の両隣に誰かが立つ。
「やれ、極彩色」
銀のアシンメトリーの髪を揺らす時雨沢と、
「承知」
銀のウルフカットの髪を靡かせる極彩色。
褐色の指を暗黒光輪の鱗に添わせ、極彩色は目を瞑り、
「汝は汝の世に還れ」
告げ、
異界卸し(キャンセラー・シェム)を発動した。