世界の改変
[Jan-26.Thu/19:00]
「うがふッ!!」
時雨沢の拳を、腕でガードしたとは言え、足を動かせない状況で受け流す事も出来なかった極彩色は、凍り付いた足下の氷ごと吹き飛ばされた。五メートルは吹っ飛んだだろう。
ガリガリガリと地面を滑走する極彩色。折れた……というより砕けた樫の杖は宙を舞い、離れた場所に落ちた。
「樫の杖はもう使い物にはならねぇな。ホラ、出せよ、奥の手を」
「汝……己が何をしたか理解しておりてか?」
弱々しく立ち上がりながらも、極彩色の眼光は輝きを増す。あらゆる負の感情が渦巻く視線は、次の瞬間に驚愕に染まる。
何故なら、自らが喚び出したサラマンダーが、自分に向かって迫ってきたからだ。
「……召喚した事により生まれる主人と従僕、そういう枷を失った獣は、まず自分を使役した術者を殺そうとする訳ですね」
私が冷静に判断を下す間も、サラマンダーはとんでもない速度で極彩色に接近していく。二メートルは超える巨体だというのに、考えられない速さだ。
火の粉を撒き散らす裂咥。極彩色は目を細め、スッと音もなく手を掲げ、
「消えろ」
呟いた瞬間にサラマンダーの裂咥に触れ、まるで映画のフィルムの一コマを切り離した様にサラマンダーの巨体が消えた。今度は私と時雨沢が驚愕した。
「……言うた筈よ。余は召喚師、暴走せし獣に対し、切り札を持つと」
その言葉に、時雨沢が苦い顔をした。
異界卸し(キャンセラー・シェム)。使役魔術の術者ならば誰もが使える基本中の基本の技術だ。術者のコントロールを外れた召喚獣を無力化する技だが、先日はそのアレンジスキルに時雨沢は影分身の術を解かれた。
「……其に我が力を見たいのであらば、見せてやろう」
言いながら、極彩色は腰に巻いたアタッチメントである長い袖を解き、右腕の袖に取り付けた。着ている漆黒のローブは、右手側の袖だけが、だらりと膝まで届いている。ローブの裾と同じ長さだ。
「色彩は極彩。用途は『場に備わるあらゆる存在の全自動召喚』。余の魔力はスイッチ同然であり、初動と終止に必要であるのみ。地脈より魔力を吸い上げ、完全自立で起動し続ける『これ』は、理論上で言えば天使だろうが神だろうが召喚せしめん」
「……やけにペラペラ喋るじゃねぇか。魔術師は自分の手の内を明かさないんじゃなかったのか?」
「無論。然し、ただ死に逝くだけでは味気なかろう?しかと我が力を理解し、絶望し、そして死ね」
私は身構える。氷剣を持ち直しながら、ついでにふと気付く。
「……時雨沢、貴方……」
「……あぁ、やっぱ分かっちまったか」
時雨沢はこめかみに脂汗を浮かべながら、呻く様に答えた。私は愕然として彼を見る。
そう。今まで全く気付かなかったのだが、時雨沢は極彩色を殴り飛ばした後、粉雪の上に立っていた。
粉雪の正体は、私の最高術式である潰える世界。それは回避も防御も不可能、ただその領域のみに作用する完全攻撃型の魔術。その意味は、『凍結させ、束縛し、私になぶり殺しにされる』事を指す。
つまり現在の現状、時雨沢の状況は――、
「……ごめん、俺ちょっと動けない」
「貴方はバカですかアホですか成る程バカでアホなんですねこの役立たず!!」
「……喜劇は終わりしか?」
聞こえてきた低い声に、私と時雨沢は同時にギクリと肩を震わせる。
だらりと垂れ下がった袖。極彩色はつまらない物を見るかの様な視線を向けたまま、呟く。
「我が名は極彩色。推して参る」
声と同時に、極彩色の袖から、獣のシルエットが生み落とされた。
世界で一〇の指に入るだろう最強クラスの魔術師の本気が、動けない時雨沢やたかがルーンの基礎を覚えただけの私に襲いかかる――ッ!
[Jan-26.Thu/19:10]
双眸は荘厳なイメージの金。体毛はあらゆる光を拒絶した漆黒。光沢が一切ない姿は、まるで絵に描いた獣の様にのっぺりとしている。
「……おいおい、コイツァ」
「……地獄犬」
現れたのは、冥府女帝の飼い犬と言われている地獄犬だった。
渋面を作る私と時雨沢を余所に、極彩色の袖からは次から次へと地獄犬が生み落とされていく。やっとそれが止まった時、その場に現れた地獄犬は五体に達した。
「……?」
一方で極彩色は訝し気な表情を浮かべていた。まるで、予期せぬ事態に出会したかの様な表情だ。
しかし私にはそれを気にしていられる余裕はない。何故なら、どっかの人狼が私の罠に囚われたせいで、私はそれを守りながら戦わなければいけないからだ。
「もう一度言いますよ、この役立たず」
「言われると思ったよチクショウ!」
その叫びを合図にした様に、地獄犬の群は私と極彩色の中間地点にいる時雨沢に襲いかかった。それはテレビでよく見る、狼の群が獲物に襲いかかる群狼戦術の様に。
「私が三体しとめます!貴方は二体を何とかして下さい!」
「この状況で無茶言うな根暗!」
「無茶でも何でもやれよテメェ!あと根暗言うな!」
時雨沢に飛びかかる地獄犬の群の前に飛び出した私は、一体に蹴りを入れその反動で一体に体当たりを当て更に一体に氷剣で斬りつける。残り二体が来る前に、横っ飛びに避けて事なき事を得る。
こういう時、自動術式がある事がなんとも嬉しいと感じる。
時雨沢に迫る二体の地獄犬。向こうは勝手に何とかしてくれるだろう。同じ犬だし。
「テメェは後で覚えてろ」
何故バレてる?
グルルと唸りながら起きあがる地獄犬は三体。これは少々……世界十指の魔術師相手に図に乗り過ぎたかも知れないとプチ後悔。
(……勝てるとは思いにくいですが、)
私は、嗤う。
(負けるつもりはないんですよ!)
氷剣を握り締め、私は駆けだした。
[Jan-26.Thu/19:15]
(……どういう事だ?)
極彩色は訝し気な表情で、灰色銀狼と氷使い、そして自らの極彩の術式を眺める。彼女はとあるイレギュラーに驚いていた。
極彩色の二つ名の所以はこの袖……アタッチメントだ。今はスイッチを切った状態であり、自動召喚は行っていない。
広い袖の中には、糸が張り巡らされており、三次元的な魔法陣を表している。ただ図を書く二次元でなく、三次方陣(3Dテクノラシート)という高位術式の一つ。
そこに、些細で致命的な違和感を感じる。本来、この術式は周囲に存在する聖霊や魔物を無造作に寄せ集め、術者の意志に関係なく強制力を持って召喚する術式だ。例えば近場に浮遊霊がいればそれを実体化させるし、それが天使や神でさえも理論上では召喚する程の魔術。
にも拘わらず、何故、ケルトの飼い犬が喚び出されたのか。そこに違和感を感じる。
(……偶然、地獄犬が居合わせたのか。はたまたはこの地に何かあるのか)
考えても分からない。極彩色は思考を中断し、かぶりを振った。
今考えて分からない事はその後も分からないし、分からないからと言って気にする事でもない。極東の島国に派遣されたのは異端審問官としての責務であり、長居するつもりもない。
故に、無駄に思考を働かせる意味も意義もない。
(ただ、世界を脅かす敵を滅する為に、余はここにいる)
それだけの話だ。
[Jan-26.Thu/19:15]
剥き出しの牙が襲いかかる。
引き裂く爪が振るい立てる。
吹き飛ばす巨体が迫り来る。
「うぁあああああ―――――――ッ!」
一喝し、私は左の拳を握り締めながら、振るう。ゴシャッ、と鈍い音と同時に重量三〇〇キロはあろう地獄犬の巨体が吹き飛ぶ。
時間差で迫る二体。片方は身を捻って何とかかわしたが、もう一体の爪が私の肩を裂き、今度は逆に私が吹き飛ばされた。というか押し倒された。
『ゥルル、グヲゥ!』
ベチャリと涎を私の顔のすぐ隣に散らしながら、地獄犬の牙が力強く迫る。
「ぐっ!」
氷剣を投げ捨て、地獄犬の上顎と下顎を手で押し止める。拮抗する力。
「こ、の……犬っころ風情が、」
のし掛かる地獄犬の腹部に足を当て、力の限り蹴り飛ばす。
「私を食べようなんて、七五〇〇万年早い!」
そのまま、勢いに任せて巴投げ。ギュオン、と風を唸らせ、地獄犬を投げ飛ばせた。
が、先程、私が突進を避けた地獄犬が横合いから噛みついてきた。左腕が『食われた』。
「ぐが、ぁぁあ!」
噛み千切られる前に、私は力任せに左腕を振るい、持ち上げ、地獄犬を振り切る。ズルリと肉が牙によって抉られる、厭な感触と音。
「ふぐ、ぅう、ぅあぁ……」
痛い。痛い。痛い。
激痛に、涙が流れそうだ。痛い。しばらく左腕は使えない。痛い。血の臭いが鼻をつく。痛い、痛い、痛い。
どんどん思考が激痛に埋め尽くされる中、目の前に立ちはだかる三体の地獄犬。ダメージがない訳ではなさそうだが、少なくとも私を喰らう気力はある様だ。
「……、殺す」
我知らず、気付かない内に私は呟いていた。
もう、秘匿主義なんてどうでもいい。この犬畜生は殺す。私のもう一つの力を以て殺す。
絶対に殺す。
激痛は、忘れた。
「……殺す。殺す。殺す、殺す、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」
私に傷を負わせた。それは万死に値する大罪だ。だから殺す。理由はそれだけで充分だ。
「殺す!」
コートの内側に仕舞っていた、私のもう一つの力を取り出す。
銀に輝くフォルム。これは、私が趣味で購入した、最強クラスの拳銃だ。
12.7ミリ、つまり五〇口径のリボルバー拳銃。44マグナム弾や454カスール弾、480ルガー弾なんか目じゃないくらいに、これは威力だけで見れば文字通りの最強。
「死ね」
ドゴゥン!轟音。
バジュンと鈍い音を立て、一体の地獄犬の頭が潰れた。
同時に、私の全身にとんでもない衝撃が走る。この怪物は、大の男が両手を使っても扱えるかどうかというレベルなのに、それを私は右手一本で撃ったのだ。流石の自動術式でもこの衝撃を抑えられないらしい。
だが、いつもは旧式の突撃銃を全自動で速射している私にとっては、この程度の衝撃は茶飯事だ。大した事はない。
「……クク」
嗤い声が聞こえた。どうやらそれは、無意識の内に私の喉から漏れたらしい。人体に於いて痛覚は快感と似ていて、極度の激痛はある種の脳内麻薬を生み出すらしい。
「……クク、ッハハ!フフフハハハ、アッハハハハハハハハハハハハ!」
止められない嗤い。それは宵闇の公園に轟き、響く。
「ククフ、祈りなさい。神でも魔王でも誰でもいい。貴方の大切な者に、ただ祈りなさい。赦しを乞いなさい!」
嗤いながら、私は続け様に引き金を引いた。
大口径の拳銃の引き金は、驚く程に軽かった。
[Jan-26.Thu/19:20]
「フゥ、危なかったぁ」
顎を伝う汗を拭いながら、時雨沢は足下に転がる二体の地獄犬を見下ろした。既に息絶え、動かない。
忍者の必修科目に、骨法術という体術がある。忍者の体術と聞くと、チョコマカと動いて早さで翻弄する様な印象だが、骨法術とはどんな体勢からでも一撃で敵を葬るという、隠密に向いた体術である。江戸に存在した御庭番などの、護衛に特化した忍者は、この体術を体得した者ばかりだったと言う。
とは言っても、必殺が通用するのは相手が人間である場合の事であり、それがそのまま地獄犬に通用する訳ではない。人間が素手で勝てる動物は三〇キロ程度、つまり三〇〇キロを超えるだろう重量の地獄犬二体に、動けない現状で勝利出来たのは奇跡に近い。というか奇跡そのものだ。
「奇跡は起きるから奇跡、って言うのはやっぱ本当だったんだな」
誰もツッコむ者のいないボケは寂しいものである。
苦無を取り出し、しゃがみ込んで足下の粉雪による凍結を砕こうとする。サク、と刺した瞬間に苦無が凍った。動かない。諦めた。
(……どんなに頑張っても足は動かねぇし、どうしたもんかね)
そんな時雨沢の思考は、大砲の様な轟音にかき消された。驚きのあまり尻餅をつく。
「な、何だ!?」
極彩色がまた何かしでかしたのか、と時雨沢が睨み付けるが、その極彩色でさえも驚愕していた。
続いて聞こえてくる嘲笑。破壊し破滅し破砕し破綻した嗤いが木霊する。更に続いて、今度は断続的な轟音。何かがバジュンと潰れ弾け爆ぜる音も同時に聞こえる。
その轟音の先。そこには、『誰か』がいた。
右手には大きなリボルバー拳銃。左腕からは真っ赤な血が痛々しいまでに零れ落ち、その笑みは凄惨。
彼女は決して、時雨沢の知っている同級生ではない。そして魔術師でもない。
(……あれは、本当に桜井ミサトか?)
尻餅をついたまま、時雨沢は目の前の光景を見ていた。
[Jan-26.Thu/19:20]
リボルバー拳銃の装弾数は六発である。それはこの大口径も例外ではない。
(……弾切れ、か)
感情が急激に冷める。同時に腕に痛みが走る。出血量もあまり楽観出来る具合ではないし、とりあえず応急処置としてルーンカードを腕に貼り付け、凍結させる。
改めて、私は周囲を見渡す。私が撃ち抜いた地獄犬三体は完全に絶命し、極彩色は後ずさり、時雨沢は尻餅をつき、その足下には地獄犬が二体、倒れている。どうやら大した怪我もなく無事らしい。
……と言う事は、つまり、粟を食ったのは私だけと言う事か。
「……フフ」
この短時間で何度目だろう、思わず笑いが込み上げる。但し先程からと同等の、どこか感情の壊れた笑いではない。
これは、内からくすぶり燃え上がる怒りだ。
「……全く。私の楽しい(予定)の一時を妨げた挙げ句、この仕打ち。もう、何でしょうね。世界が私の敵に回ったという事でしょうか?上等ですね。ククク、クフ、クフフフフ!あらおかしいフフフフフ!」
実際は巻き込まれたというよりは首を突っ込んだ気がするし、私の実力のなさが原因だとかいうツッコミも来そうだが、そんな些細な事はどうでもいい。ただこの、自分でも分かる程に理不尽な怒りをぶつける矛先が欲しい。
「……汝は、一体、何者ぞ?」
極彩色が訊ねてくる。
「……私ですか?私は、」
右手に持つ、カラのリボルバー拳銃を投げ捨て(どうせ左手がこれじゃリロード出来ないし)、その辺に投げ捨てた氷剣を拾い上げる。
「対テロ特殊部隊《聖骸槍》が一人、焔斧槍」
氷剣の切っ先を極彩色に向け、私は続ける。
「兼、『元』ロシア十字教魔術師、住人殺し(オベリスク)」
それが、今の私を表すのに一番ふさわしい言葉だと思う。
気合い入れてアップしたツインテールは、ゴムで留めた訳ではないからいつの間にかいつものストレートに戻っているし、お気に入りの服はボロボロだしコートはズタズタ。どれもこれもみんな纏めて極彩色が悪い。そう思ってないと、精神の均衡が保てないくらいにやってられない。
「……さぁ、極彩色。祈りなさい。貴方の大好きな創造主に向かって」