人が作るもの、AIが作るもの
初期に「AIで書いたような文章ですね」というコメントをもらったことがある。
褒め言葉ではなかったと思う。
その頃のわたしは、「AI」を自分で使うなんて現実として捉えられていなかった。
次に思ったのが、「AIっぽい文章」って、なんだろう、ということだ。
コメントをくれた人は読んでいるのだろうか? どういう生活の人かしら?職業は?
当時のわたしにとって、AIというものはそれほど遠い存在だった。
「PCにお招きするのに、いくらかかるんだろう」
そんなことを本気で考えていた。
人が作るものと、機械が作るもの。
違いはどこにあるのだろう。
機械、と言うのは少し違う気もする。「AI」を機械と呼ぶのには、抵抗がある。
わたしはそう感じる。
けれど便宜上、ここではそう呼ぶ。
考えているうちに、ふと思い出した。
玉ねぎのみじん切りだ。
手で切った玉ねぎ。
フードプロセッサーで刻んだ玉ねぎ。
どちらが良いのか。手で切ったほうが美味しいと言われている。
食べ比べたことがないから、わからない。
わたしはフードプロセッサーを使う。
早い。楽。泣かなくて済む。
しかも均一だ。
炒め玉ねぎだってそうだ。
鍋の前にずっと立って、木べらで混ぜながら飴色になるまで頑張る人もいる。
けれど、わたしは電子レンジを使う。
三回分くらいまとめて作る。
飴色とまではいかない。料理研究家に見せれば眉をひそめられるかもしれない。
でも家庭の味としては十分だし、美味しい。
少なくともわたしには……それでいい。
では、手縫いとミシンはどうだろう。
こちらはもっと面白い。
ミシンは、最初から「便利な道具」として存在している。
縫い目は揃う。早い。きれいだ。
少なくとも、わたしの手縫いよりずっと整っている。
なのに、ミシンで縫った着物は、少し低く評価される。
手仕事には価値がある。
時間をかけたこと、技術があること、そこに人がいること。
それを私たちは感じ取る。
では、文章はどうだろう。
AIが書いた文章。
人が書いた文章。
どちらが良いのだろう。
おそらく、ここで「人間の文章が尊い」と言い切るのは簡単だ。
けれど、わたしは少し迷う。
なぜなら、わたしはフードプロセッサーを使うし、電子レンジを使うし、ミシンも使うからだ。
便利なものを否定しながら、その恩恵だけ受けるのも違う気がする。
もちろん、違いはある。
手で切った玉ねぎには不揃いさがある。
手縫いには揺らぎがある。
文章にも、たぶんある。
言い淀み。
癖。
少し回り道する思考。
妙に個人的な怒りや優しさ。
そういうものが、人間らしさなのかもしれない。
でも、だからと言って「AI」が悪いとも思わない。
むしろ、「道具が増えた」のだと思っている。
台所にフードプロセッサーが並んだように。
縫い物をする時、当然のようにミシンを引っ張り出すように。
PCの中に「ChatGPT」がスタンバイしている。
使うかどうかも、どう使うかも、人間に委ねられている。
たぶん、これから先、「AIっぽい文章」という言葉の意味も変わっていくだろう。
ミシン縫いが当たり前になったように。
電子レンジ料理が家庭に溶け込んだように。
気がつけば、当たり前の風景になるのかもしれない。
そして、わたしは思う。
この時代に、この場所に居合わせたことは、幸運なのではないかと。
誰かが道具を使いこなしていく瞬間を見ている。
人と機械の関係が変わる瞬間を見ている。
自分が変わる瞬間を見ているのだと。
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