侵食される現場 ―― 致命的な仕様変更(アップデート)
(……工期の管理が、これほどまでに絶望的な現場は初めてだ)
「……また計算がズレたな。物理定数が歪んでいるのか、それとも俺の脳内クロックが焼き付いているのか」
俺はひょろりと細い自分の掌を凝視して、乾いた独白をこぼした。
この半年の間に、八雲山の風景は劇的に、そして最悪の方向へと変貌を遂げていた。
父スサノオとヒムカの主アマテラスの「和解の結婚」という名の敵対的合併。それによって、この聖域にはアマテラス族――いわゆる「日向族」の人間が、寄生虫が宿主のシステムを食いつぶすような勢いで増殖し続けていた。
視界を占拠するのは、出雲の泥臭い土着の仕様を塗り替えていく、日向族の純白の衣。
それは、現場で嗅ぎ慣れた軽油やアスファルトの匂いとは真逆の、洗練された、だが鼻を突く「沈丁花」に似た香水の匂いだ。
彼らが歩くたびに広がるその香りは、俺にとって「管理された清潔さ」という名の暴力、即ち強引な消臭プロトコル(強制上書き)に他ならなかった。
一方で、俺の母方のルーツである「月読族」の立ち位置は、日ごとにデリート(削除)の淵へと追い詰められていた。
もともと石工や金属加工という高度な専門技能を独占し、この現場の「心臓部」を担っていた技術者集団である彼らは、今や日向族が持ち込んだ新しい祭祀や政治体制の影に隠れ、使い捨ての「余剰リソース」として扱われ始めている。
「トシ、お前もいつまで泥をいじっている! ツキヨミの血を引く者が、ヒムカの犬どもの前で膝をつくなど、見ておられん!」
屋敷の裏で、叔父が吐き捨てるように怒号を上げる。
それは「調整不足のノイズ」となって、俺の脳内モニターを不快に揺らした。
母カミオオイチヒメは、そんな弟を悲しげな瞳で制しながら、静かに俺の怪我を看病してくれる。
だが、母の細い指先が以前よりも微かに震えているのを、俺の「アセスメント(現状評価)」は見逃さなかった。
これは単なる派閥争いではない。現場の主導権(ルート権限)を完全に奪われ、自分たちの存在価値そのものを消去されようとしていることへの、根源的な恐怖ログだ。
「兄様、……空の動きが、また速くなった気がします」
俺の隣で、ミツが、砂の上に描いた複雑な星図を指でなぞりながら呟いた。
彼女の異能――暦を読み、目に見えない「時間の綻び」を見つけ出す力は、この半年でさらに鋭利に研ぎ澄まされていた。
彼女が導き出す「真実の時間」と、この世界が強いる「ツクヨミ暦」の乖離。ミツはそのズレを、まるで崩落寸前のトンネルに走る微細な亀裂を見つめるような、絶望的な眼差しで注視している。
(……この現場の設計思想そのものが、壊れ始めているんだ)
そんなある日、俺は一族の古老から、この国の継承にまつわる致命的な「仕様」を教えられた。 それは、長男が家督を継ぐ現代の常識とは真逆の、「末子相続」という特殊なプロトコルだった。
「一番下に生まれた子供が、すべてを継ぐ……。だとすれば、現在、そのライセンスを持っているのは……」
俺の視線の先には、庭で黙々と計算を続けるミツがいた。
「王子」と呼ばれる、あの傲慢で屈強な兄たちではない。
ましてや、出来損ないの四男である俺でもない。
現時点でのスサノオの末子であるミツこそが、この一族の、そしてこの聖域の正統な「当主(管理者)」としての実行権限を有しているのだ。
(だからこそ、あいつらはミツという名の『重要資産』を恐れ、同時に利用しようとしているのか)
八歳のミツは、今の俺にとっては神々しい女神などではない。
ただ一人、狂った暦の真実に怯え、俺の背中に隠れる守るべきリトル・シスター(妹)だ。
「末子」という名の特権。
それが、この日向族との権力抗争において、どれほど危険な「標的」になるか。
俺は現場監督として、最も重要な資材――「ミツの安全」という名のリスク管理に、頭を焼かれるような思いで頭を悩ませていた。
だが、状況は俺のシミュレーションを遥かに上回る速度で、致命的なシステムエラー(クラッシュ)へと向かっていく。
その日の朝、八雲山の空気は、いつにも増して重苦しい圧力に包まれていた。
広間に集められた一族の前に、アマテラスの側近たちが、勝ち誇ったような、冷徹な微笑を浮かべて現れた。
「皆のもの、心して聞くが良い。……アマテラス様が、スサノオ様の子を授かられた」
その布告が響いた瞬間、広間は墓場のような静寂に塗り潰された。
月読族の重鎮たちは、まるでメインサーバーの電源を唐突に引き抜かれたかのように顔を蒼白にし、膝を折った。
アマテラスの懐妊。
それは、単なる慶事ではない。スサノオの血筋に、「新たな末子」という名の、上位互換の仕様変更が実行されることを意味していた。
もし、日向族の血を引く子が生まれ落ちれば、現在の末子であるミツの継承権は一瞬で上書き(デリート)される。それどころか、月読族の血を引く俺たちは、文字通りこの現場から「産廃」としてパージ(解雇)される運命が確定するのだ。
俺は、広間の隅でミツの小さな肩を抱き寄せた。
彼女の身体は、冬の枯れ木のように激しく震えていた。その瞳には、父スサノオの背後に張り付いた、逃れようのない「死の予兆」が、より濃く、より鮮明に投影されていた。
「……工期が、完全に狂い始めたな」
アマテラスという名の「冷徹なプランナー」が仕掛けた、月読族抹殺のためのカウントダウン――「最終納期」が、今、最悪の形で設定された。
(……笑わせるな。勝手な仕様変更で、俺たちの現場をスクラップにされてたまるか)
口の中に広がるのは、屈辱と焦燥が混じった、鉄錆のような血の味。 この圧倒的な無力感――この「絶望」こそが、俺の技術者としての魂を、再び激しく、そして熱く再起動させていた。




