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龍の通い路 ―― 排水導線(ドレーン)のデバッグ

(……また計算がズレた。物理定数が歪んでいるのか、それとも俺の脳内クロックの同期エラーか)


俺は、ひょろりと細い自分の掌を凝視した。

水面に映る俺の貌は、現場の重労働には到底耐えられそうもない、高精度の工芸品のような線の細さだ。


かつてBIM/CIMの3次元モデルを操り、強面の職人たちを怒鳴り散らして「人」と「土」をミリ単位で制御していた、あの逞しい肉体ハードウェアはどこにも実装されていない。


日向ひむか族の主、アマテラスが居座り始めてから、八雲山の風景は最悪の方向へと変貌リノベーションを遂げていた。

彼らが始めた「聖域の再整備」は、まさに「設計ミス(バグ)」の塊だった。

見た目の優美さや祭祀の導線ばかりを優先し、この土地の保水力や勾配といった、基礎的な物理パラメータを完全に無視しているのだ。


風に乗って漂ってくる、あの鋭利な沈丁花じんちょうげの香りは、俺にとっては耐え難い「異物混入ノイズ」だ。

それは、この地の土や獣の匂いという大切な現場ログを、強引に塗り潰そうとする傲慢な意志そのものだった。


「トシ様、またこんなところで泥遊びですか。……見てください。居住区の床下は、昨晩の雨でもう浸水オーバーフローですよ」


通りかかった老石工が、力なく吐き捨てた。俺の母方のルーツであり、熟練のエンジニア集団である「月読ツキヨミ族」の居住区は、日向族が強行した不整合な設計のせいで、雨が降るたびに地盤不良による浸水が常態化していた。


(……やれやれ。図面も引けない素人のプランに付き合わされる職人の身にもなってみろってんだ)


俺は「無能な四男の泥遊び」を装いながら、木の棒で地面に一本の線を引いた。だが、その線は最新の土木工学から導き出された、最適な勾配を持つ「排水導線ドレーン」だ。


俺の脳内モニターには、周囲の地形の等高線がBIMのレイヤーとして重なり、水流のシミュレーションがリアルタイムで実行されている。


「じいさん、ここに石を並べると、雨水が『龍の形』に見えて面白いぞ。ほら、ここからあそこの崖下まで、こうやって……」


俺は正確に、水の流速を制御するための「粗度係数そどけいすう」を考慮した石の配置を指示した。

老石工は最初こそ鼻で笑っていたが、俺が引いた泥の線――そのわずか数ミリの蛇行が、地形の歪みを打ち消す「整流の急所」であることを、彼の長年の指先が理解してしまった瞬間、職人としての眼色を変えた。


「……馬鹿な。この深さ、この角度……これではまるで、水が意志を持って流れるのを強いているではないか」


彼が俺を見る目は、もはや出来損ないの王子を見るものではなく、得体の知れない高次OSを突きつけられたデバッガーのそれへと変貌していた。


翌日、八雲山を激しい豪雨が襲った。 他のエリアが想定外の浸水オーバーフローに慌てふためく怒号に包まれる中、月読族の居住区だけは違った。

叩きつける雨は、俺が石で組んだドレーンへと吸い込まれるように集積し、設計通りの流速で崖下へとパージ(排出)されていく。 泥水の一滴すらも基礎に侵入させない。その完璧な水理制御ロジックを前に、熟練の職人たちは雨に打たれながら、ただ乾いたままの床下を呆然と見つめていた。


「トシ様の遊びが、現場を救った……」


彼らの間で、俺というリソースに対する評価アセスメントが、畏怖と共に書き換えられていく。 これこそが、俺が仕掛けた最初の**「技術的勝利スモール・ウィン」だった。

職人たちが「龍の道」に沸き立つ中、背後からふわりと、雨の匂いを上書きするような、薬草と焚き火の匂いがした。


「……トシ、そんなに泥だらけになって」


振り返ると、そこには母、カミオオイチヒメがいた。

彼女の細い指先が、俺の頬にこびり付いた泥を、壊れ物を扱うような手付きで拭った。 その温かさは、前世の現場で忘れていた肉親ならではの暖かさだった。


「貴方は、本当にお優しい子。……この土地の悲鳴を、誰よりも先に聞き届けてくれたのね」


彼女はこれを技術ロジックではなく、息子の「慈愛」としてアセスメントしたのだ。その致命的なまでの誤解が、今の俺にはたまらなく心地よかった。


母の柔らかな抱擁が、雨に濡れた俺の冷たい体を包み込む。 彼女の指先が微かに震えているのを俺の感覚ログは見逃さなかったが、今はただ、彼女の体温という名のセーフティプロトコルに身を委ねていた。


「兄様。……水の音が、正しくなりましたね」


傍らで、ミツが静かに微笑んだ。

彼女の銀色の瞳には、周囲の混沌に決して折れない強靭な理知ロジックが宿っている。


(見てろよ、日向の連中。あんたたちがいくら沈丁花の香りで塗り潰そうとしても、この大地の構造コードを知っているのは、俺たちだ……)


泥だらけの拳を握りしめ、俺は技術屋としての意地を熱く再起動リブートさせていた。

だが、その「小さな勝利」の余韻は、突如として八雲山を包み込んだ異様な静寂エラーによって、一瞬で掻き消された。


(……なんだ、このプレッシャーは。大気が、物理的に『圧縮』されてやがる)


俺の現場監督としてのアラートが、脳内で激しく鳴り響く。それは世界の基根ルートそのものを書き換えてしまうような、圧倒的な上位権限の発動――。


ミツが、空の一点を指した。その先にある太陽が、なぜか一瞬、どろりとした不吉な色に濁ったように見えた。


(……嘘だろ。まだバッファ(猶予)はあるはずだ。工期は、俺が管理していたはずだぞ……!)


広間の奥から、日向族の使者たちが一斉に動き出す気配がする。その足音は、かつての現場で聞いた「解体工事の始まり」を告げる地響きに似ていた。


次に発せられる言葉が、俺たちの世界を永遠にデリートする「破滅のパッチ」になることを、俺の全システムが予見し、激しく警告を発し続けていた。

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