プロジェクト・オーナーの宣告
(……一歩動くたびに、全身の関節が摩擦係数を無視して軋むような異音を上げている)
意識が覚醒し、この「トシ」という少年の体に馴染むにつれ、全身の打撲痕が致命的なエラーログを脳内に吐き出し始めた。
前世の工事現場で足場から落下しかけた時ですら、これほどまでの絶望的な痛みは味わわなかった。
あちこちが紫色の痣になり、浅い呼吸を繰り返すだけで、喉の奥に鉄錆に似た血の味がせり上がってくる。
「……兄様、無理をしないで」
部屋の隅で俺の衣の裾を掴んでいるのは、妹のミツだ。
まだ幼い。現代なら小学校低学年くらいの子供だ。
そんな幼い「未熟なインターフェース」に、血と薬草の匂いが混じった看病を強いている自分に、猛烈な嫌気がさした。
壁に立てかけられた、歪な銅鏡に目を向ける。
そこに映っていたのは、現場の重労働には到底耐えられそうもない、高精度の工芸品のような線の細さを持つ少年の姿だ。
現場監督として日焼けし、荒れる職人たちを怒鳴り散らしていた俺の面影など微塵もない。
(……十歳くらいか。現場なら、まだスコップの持ち方どころか、安全帯の締め方すら教えられない低スペックな年齢だ。こんな脆弱なハードウェアで、どうしろってんだ……)
「――トシ! 死んでいないなら、とっとと面を出しやがれ!」
広間の外から、鼓膜を劈くような野太い声が響いた。かつての現場で聞いた重機のアイドリング音よりも荒々しく、有無を言わせぬ「強制終了(強制立ち退き)」の圧がある。
迎えに来た従者の目は、廃棄物を見るように冷たかった。
俺はミツに、努めて冷静に「大丈夫だ」とだけ告げ、震える膝に力を込めて立ち上がった。
向かうのは、八雲山の中心部。幾千年の歳月を刻んだ巨石が、天を突くように組まれた荘厳な広間だ。
足を踏み入れた瞬間、空気が物理的な重さを持って俺の肺を圧迫した。
それは軽油の臭いでも溶接の火花の熱気でもない。もっと根源的な、圧倒的な「暴力という名の旧OS」が放つ圧力だ。
(……っ!)
思わず息を呑む。
広間の中央、岩壁のような体躯をした一人の男が座っていた。
どうやら俺「トシ」の父、らしい。
彼が一呼吸するごとに、周囲の気圧が目に見えて変わるような、圧倒的な物理的出力(覇気)を感じる。
強烈な獣の匂いと、戦場を吹き抜けてきた乾いた風の匂い。
彼がただそこにいるだけで、石造りの広間全体が、重低音の振動に支配されているように錯覚する。
(……落ち着け。ただのクライアントだ。無理難題を吹っ掛けてくる、タチの悪いプロジェクト・オーナーに過ぎない)
34歳の現場監督としての理性は、極めて冷静に目の前の男を分析していた。
だが、その「熟練の思考」とは裏腹に、11歳の脆弱なハードウェア(肉体)は、目の前の巨きな存在を前にして、文字通り「制御不能なオーバーヒート」を起こしていた。
「トシよ。……貴様、また兄たちに遅れを取ったそうだな」
地響きのような声が、俺の骨を揺さぶる。
その瞬間、俺の意識は「怖くない」と判断しているにも関わらず、膝が、指先が、歯の根が、ガタガタと異音を立てて震え出した。
肉体が、過去に刻まれた暴力の記憶ログを勝手に再生し、強制的に恐怖のアラートを吐き出しているのだ。
「武芸ができぬだけではない。月読の血のせいか、泥をいじり、わけのわからぬ世迷言を吐きおる。王の血を引く者が、土民のように地盤を這いつくばるとは。貴様は我が一族の誇りを汚すつもりか」
現代人としての俺は(ブラック企業のパワハラ社長かよ)と鼻で笑おうとしている。
だが、心臓の鼓動はエンジンのレッドゾーンを振り切り、全身は冷や汗で濡れている。
意識の実行権限を無視して、肉体が「この男には勝てない」と完全に屈服してしまっているのだ。
「情けない奴だ。貴様のような出来損ない、我が一族に必要ない。……二度と、俺の前で無様な姿を晒すな」
父は俺から興味を失ったように、視線を外した。
広間の中心に取り残された俺の足元には、兄たちに蹴られた時に付いた泥が、まだこびり付いている。
三十四歳、現場監督。かつては数億の予算と最新ITで数百人の人間を動かしていたはずのプライドは、今、冷たい石の床の上で、文字通り粉々に打ち砕かれていた。
俺は何も言い返すことができず、ただ唇を噛み締め、その場に平伏した。
泥の冷たさと、ガタガタと震えの止まらない、十一歳の無力な肉体。
最強の父に「ゴミ」として「パージ(解雇)」されたこの「絶望」こそが、俺の、本気の古代日本生活の、真の始まりだった。
(……いいだろう。見てろよ、クソ親父。あんたが信じているその『武』ってやつだけが、世界を回す唯一の仕様じゃないってことを、俺が叩き込んでやる……)
意識(OS)は決して折れていない。 その乾いた独白だけが、今の俺を世界に繋ぎ止める唯一の**「復旧用のアンカー」**だった。




