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ハッキングの罠 ―― 叛逆のデッドロック

(……現場の空気が、完全に腐りきってやがる。腐敗臭バグの発生源は、もはや隠しきれないレベルにまで達していた)


八雲山の至る所に、日向族が持ち込んだあの鋭利な沈丁花じんちょうげの香りが充満している。

それは、俺たち月読族が数代にわたって積み上げてきた「石工と月の知恵」というレガシーな仕様プロトコルを、力ずくで上書き(オーバーライド)して消し去ろうとする、強烈な「敵対的プログラム」の匂いだ。


かつてこの国という巨大な現場の中枢で、設計と管理を一手に担っていた俺の叔父たちは、今や実行権限(ルート権限)を完全に剥奪され、窓際のリソースとして隅へと追いやられていた。

ヒムカの連中が仕掛けてくるのは、武力による突撃ではない。言葉の端々に毒を潜ませ、こちらの誇りを「旧弊なバグ」として処理する、巧妙な「論理的ハッキング(ロジカル・ハッキング)」だ。,


議事堂の裏手、湿った土が剥き出しになった排気口の側で、俺は泥の硬度を確認するように足先で地面を叩いていた。日向族の侵食によって、この「現場」の地盤は日に日に緩んでいる。


俺の脳内モニターには、このままでは遠からず一族という名の構造物が倒壊するという予測データ(シミュレーション)が、冷徹なグラフとなって表示されていた。

 その時、背後の暗がりから、ひどく不安定なノイズ(足音)が近づいてきた。


「……トシか」


 振り返ると、そこに立っていたのは叔父だった。

かつて八雲山の巨大な石組みを設計し、一族の「技術の要」としてルート権限を振るっていた男だ。だが、今の彼の貌には、熟練の設計士としての面影はない。無精髭に覆われた頬はこけ、瞳には日向族への憎悪という名の「致命的なバグ」がべっとりとよどんでいる。


叔父は、俺が一瞥し、鼻を鳴らした。その動作一つにさえ、かつてのリソース(権限)を奪われた者の卑屈な攻撃性が混じっている。


「いつまでそうして、泥の味を確かめている。ツキヨミの血を引く者が、あのような白い衣を纏った『監査人』どもの前で、ただの残土として扱われることに耐えられるのか」


叔父の声は、調整の狂った重機のアイドリング音のように、不快な振動となって俺の鼓膜を叩いた。

彼は俺の細い肩を、骨が軋むほどの力で掴み、強引に物陰のさらに深い闇へと引きずり込んだ。その手のひらからは、鉄錆と、安酒と、そして隠しきれない死の予感が混じった「敗北のログ」が伝わってくる。


「トシ、見ていろ。……俺たちがいつかこの理不尽な仕様書を、根底から書き換えてやる」


暗がりのなか、叔父が鉄器を握りしめ、充血した瞳で俺に囁いた。

その手は、かつて巨石を切り出した熟練の職人のそれではなく、追い詰められた敗残兵の無様な震えを帯びている。


なぜか俺の意識(OS)は、この世界の言葉を、前世の現場で使い慣れたIT・土木用語へと勝手に変換して処理してしまうらしい。

叔父が吐いた泥臭い「反逆の誓い」さえも、俺の脳内インターフェースを通過した瞬間、無機質なシステムの書き換え(オーバーライド)という実行命令として出力された。


その直後、俺の脳内モニターには「致命的なエラー(Fatal Error)」のアラートが赤く点滅した。

叔父たちが計画しているのは、検証も準備も不足したまま強行する「叛逆」という名の無謀なパッチ当てだ。だが、それは既に日向ヒムカ族が配置した「ハニーポット(罠)」に完全に捕捉され、実行ログまで取得されていることに、怒りに焼かれた彼らは気づいていない。


現場監督マネージャーとしての俺のアラートは「今すぐ止めろ」と脳内で鳴り止まないが、十一歳の脆弱なハードウェアは、叔父の放つ死の予感にフリーズして動くことすらできなかった


(やめろ。それはあいつらの計算通りだ。……実行ランすれば、再起動リブートすら叶わない強制終了シャットダウンが待っている……!)


喉まで出かかった警告を、子供の喉が飲み込む。

前世のプロ意識が「今すぐ止めろ」と叫んでいるのに、この幼い肉体は、絶対的な権威である「叔父」という存在に、恐怖でフリーズして動けない。

この「自己矛盾コンフリクト」こそが、今の俺を苛む最大の「絶望」だった。,


やがて、運命の時刻デッドラインが訪れた。

叔父たちが武器を手に立ち上がろうとしたその刹那、静寂は物理的な「干渉音」によって無慈悲に引き裂かれた。


「――全プロセスの停止を確認。……叛逆の実行ログは、既に取得済みだ」


霧の向こうから、ヒムカの守備兵たちが、月光を反射する冷たい鉄の刃を構えて現れた。彼らが纏う純白の衣は、夜の闇の中で不自然なほど鮮明に発光し、俺たちの泥臭い土着の仕様を「削除対象」として射抜いている。


「なっ……なぜだ! まだ何も始めてはおらんぞ!」


叔父の叫びは、虚しく夜気に吸い込まれた。

ヒムカの指揮官は、感情の欠片もない瞳で俺たちを見下ろした。


「着工前にバグを特定し、デバッグ(排除)する。……それが我らヒムカの最適化プロトコルだ」


一瞬の沈黙の後、凄惨な物理的制圧が始まった。 鼻を突くのは、踏みにじられた泥の生臭さと――即ち地盤不良のサインと、火花を散らす金属が触れ合う焦げた臭い。

そして、肉を断つ不快な音と共に広がる、鉄錆に似た生々しい匂いだ。


「あがっ……が、ぁ……!」


目の前で、叔父が長槍に貫かれ、石畳の上に崩れ落ちた。

彼の瞳から光が消え、システムが完全に「シャットダウン」されていく。


その最期の瞬間まで、叔父は自分がなぜ負けたのかさえ理解していなかっただろう。彼は最後まで「武」という古いOSで戦おうとし、ヒムカの「情報」という最新OSに完敗したのだ。

俺は、その光景をただ見ていることしかできなかった。


現場監督として、事故を未然に防げなかったという猛烈な敗北感。

大切なリソース(一族)を、自分の不手際でスクラップにしてしまったという、胸を掻き毟るような自責の念。それは肉体的な損傷ではなく、何も成し遂げられなかった無能な自分への、魂からのアラートだった。


(……笑えない冗談だ。三十過ぎの現場屋が、設計図の一枚も守れず、ただ身内がデリートされるのを眺めてるなんてよ)


周囲では、生き残った月読族の者たちが、泥の中に膝を突き、理解を超えたヒムカの論理への畏怖と絶望に震えている。彼らの瞳に宿るのは、もはや反抗の意志ではなく、自分たちのアイデンティティが根底から消去されていくことへの、根源的な恐怖だ。

,

ヒムカの兵士たちが、俺に視線を向けた。

その瞳には、子供に対する慈悲などない。

ただ、この現場に存在する「未処理の残土」をどう処理すべきかという、事務的な確認のログだけが走っている。


俺は唇を噛み締め、泥にまみれた自分の掌を凝視した。

叔父の返り血が、俺の指先を汚している。この冷たい感触こそが、俺がこの人生で最初に直面した、底なしの「絶望」であった。


(……いいだろう。全部、バックアップに取ってある。この屈辱も、叔父さんの断末魔も、ヒムカの連中の冷徹な効率主義も……すべて俺のメモリに刻み込んでやる)


俺の中の現場監督が、絶望の底で静かに「再設計リノベーション」のコマンドを叩き始めた。

今は、この崩落を止めることはできない。

だが、この廃墟の中から、いつか必ず、誰もが跪くような圧倒的な「国家OS」を竣工させてみせる。


俺は、少年のハードウェアを、プロの意地という名のソフトウェアで無理やり駆動させ、闇の中へと消えていく一族の背中を、その目に焼き付け続けた。

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