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強制再起動(リブート)

視界は、どろりとした赤黒い闇に塗り潰されていた。

意識の奥底で、警告灯アラートが鳴り止まない。

後頭部を焼くような熱い疼きは、物理的な破損を知らせるエラーログのように、ドクドクと不快な同期シンクロを刻んでいる

(……おい、工期はどうなった。コンクリートの打設は……まだ完了報告が出てないだろ……)


指先を動かそうとして、脳がパニックを起こした。

あるはずの感覚が、ない。

数千、数万回と握りしめてきた、使い慣れたiPadの重みがない。


指先一つでBIM/CIMの三次元モデルを回転させ、ミリ単位の構造を透視していた、あの「万能感」という名のインターフェースが消失している


代わりに脳に流れ込んできたのは、圧倒的な「拒絶」の感触だった。 「ぐちゃり」という、不快な音と共に顔の半分が冷たい土に沈む。口内に広がるのは、現場の埃っぽさとは違う、生々しい鉄錆の味――血の匂いだ


(……クソ。なんだ、この地盤は。締固めが甘すぎる。こんな泥濘ぬかるみ、現場なら即座に不適合報告(NCR)モノだぞ……)


プロとしての思考が、反射的に現状認識アセスメントを開始する。

だが、その「熟練のソフトウェア」を実行しようとした瞬間、凄まじい違和感が俺を襲った。


重い。

自分の腕一本を持ち上げるだけで、肺がひしゃげ、心臓が爆発しそうなほどの負荷ロードがかかる。

記憶の中にある俺の肉体は、夏場に数百人の職人を怒鳴り散らし、炎天下の現場を一日中駆け回ってもびくともしない、強靭な「現場屋ハードウェア」だったはずだ


だが、今、俺を突き動かしているのは、その百分の一の出力も出せないような、あまりにも細く、あまりにも頼りない、「子供」という名の脆弱なプロトタイプだった

「……が、あ……っ」


喉から出たのは、職人を震え上がらせたあの野太い怒号ではなく、掠れた、幼い、無力な悲鳴だった。

脳内には、現場で嗅ぎ慣れた軽油の臭いや、火花を散らす溶接の熱気が鮮明に残っている。

耳の奥ではまだ、巨大重機のアイドリング音が地響きのように鳴り響いている


それら「三十余年の稼働実績」という名の巨大なログが、目の前の「泥を舐めるだけの現実」と激しく衝突コンフリクトし、思考回路を濁流となってかき乱していく。


(違う。こんなはずじゃない。俺は……俺の現場は、どこへ行った……!?)


iPadも、安全靴も、ヘルメットもない

あるのは、少年特有の鋭すぎる痛覚と、泥にまみれた細い指先。そして、頭上から降ってくる、近代建築の論理を一切持ち合わせない傲慢な男たちのノイズだけだった


熟練の意識(OS)が、互換性のない脆弱なハードウェアに強制インストールされたことで生じる、魂の軋み。


俺は、自分が誰なのか、ここがどこなのかという「根本的な仕様」さえ見失い、ただ泥の冷たさに翻弄されるしかなかった。


ただの震えと吐き気。

それが、俺の新しい「現場」の、最悪の着工合図だった


「おい、死んだふりか、トシ! これくらいの衝撃で情けない奴だ」


「立ってみろよ。王の血を引く者なら、その無様なスペックを少しはアップデートしてみせろ」


頭上から降ってくるのは、聞き覚えのない、だが耳障りなほど尊大で傲慢な男たちのノイズだ。

見上げれば、そこには近代的な建築現場のコンクリートも鉄骨も存在しなかった。


あるのは、朝靄に濡れた下草の青臭い匂いと、遥か天空を突くほどに巨大な、幾千年の歳月を刻んだ巨木たちが風に鳴る、重厚で荘厳な地響き。

ここはどこだ。少なくとも、俺の知る現場ではない,。


「やめ……ろ……。ここは、どこの現場だ……」


自分の口から漏れた声が、驚くほど幼く、そして震えていることに戦慄する。


「あ? 現場だと?」


「何をわけのわからぬバグを。頭でも狂ったか、トシ」


男たちが冷酷に嘲笑った。

毛皮を纏った太い脚が、無慈悲に俺の華奢な肩を踏みつける。


後頭部を打った岩肌の冷たさが、これが悪夢ではなく、紛れもない「現実という名の物理法則」であることを、痛覚を通じて俺の脳に叩き込んでくる。


最新ITで「人」と「土」を制御する。

そんなデジタル世代の自負が、暴力に粉砕されていく。


「父上がお呼びだ。こんな出来損ない引きずっていけ」


誰かが俺の髪を乱暴に掴み、力任せに引きずり始めた。

湿った地面の突起が、少年の薄い皮膚を容赦なく削り取っていく。


(痛い。寒い。誰だ。お前たちは誰なんだ。俺は、三十過ぎの『現場監督』だったはずだ……)


かつて数億のプロジェクトを動かしていた技術者としてのプライドが、理不尽な暴力という名の致命的なバグによって、物理的に粉砕されていく。


この惨めな屈辱の味こそが、俺の新しい人生における最初の絶望であった。

引きずり回される苦痛と、記憶の混濁による激しい眩暈。

意識が再び深い闇へと沈みかけ、全システムのシャットダウンを覚悟した、その時だった。


「――そこまでになさい、お兄様方!」


凛とした、それでいてどこか鈴の音のように透き通った声が、喧騒の中響いた。

それまで俺を地面に縛り付けていた暴力的な重圧が、ふわりと消失する。

泥にまみれた右の頬に、驚くほど温かく、柔らかな手のひらがそっと触れた。


「……大丈夫。私がここにいます。もう、誰も貴方を傷つけさせません」


視界の端に映ったのは、淡い光を纏っているかのような、神秘的な少女の姿だった。

その瞳に宿る、神聖なまでの慈しみ。

そして、今後の未来を見通しているかのような、深く、静かな孤独を孕んだ光。


なぜか、この見知らぬ少女の腕の中にだけは、魂の底から安らぎを感じた。

彼女が誰なのか、今の俺には分からない。けれど、この温もりだけが、今の俺にとって唯一の、この理不尽な世界と繋ぎ止めるための「復旧用のアンカー」だった。


前世の三十四年、今世の十一年の記憶。

その二つが脳内で激しく火花を散らしながら、脳内に混ざっていった。

その結果一つの結論を導き出そうとしている。


愛する者を守れず、暴力に怯え、平伏して眺めるだけの「脆弱な存在」。

それがこの世界における俺の「初期設定」なのだと。


だが俺の中の「現場監督」は、まだ死んじゃいない。

俺は、彼女の衣服から漂う、雨上がりの森に似た清冽な香木の匂いを吸い込みながら、抗いようのない深い眠りへと、ゆっくりと意識を沈めていった。


(……ああ、そうだ。まずはこの『現場』の現状認識アセスメントから始めなきゃな……)


思考が言葉にならない断片コードへと分解されていく。 俺の中の現場監督が、最期の力で「再設計」のコマンドを叩こうとしたが、指先一つ動かす権限すら残っていなかった。


「兄様……! トシ兄様!」


遠のいていく意識の中で、少女の悲鳴のような叫びが聞こえた気がした。

急速に体温が奪われ、視界の隅から完全な暗転が広がっていく。 最後に感じたのは、頬を濡らす彼女の温かな涙の感触だけだった。


俺のシステムは、修復不能なエラーを吐き出しながら、音もなく深い闇へと強制終了ブラックアウトしていった。


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