切り裂かれた絵
「キャーーーー!!!」
耳をつんざくような女性の悲鳴が、辺りに響き渡る。誰も彼もがそちらを見やった。そして、信じられない光景を目の当たりにした。男が、寄り添うツバキを切り裂いていたのだ。
「おい!」
近くにいた人が切り裂き男を咎め、取り押さえようとする。釣られて動こうとしたウィズモアを、シンザーが服の裾を引っ張って制止した。
あんなことをすればどうなるのか?それは切り裂き男も重々承知している。だから、次の行動は誰よりも早かった。切り裂き男は、この状況に唖然としていた男を人質に取ったのだ。
「近寄るな!」
こうなってくると迂闊な手は取れない。指示を求めるようにシンザーの顔を見上げるウィズモアに対して、シンザーは服の裾を引っ張り続けることでウィズモアを制止する。
ここは下手に動かない方がいい…パッと見は優男だが、百戦錬磨の魔法戦士であるシンザーには、この後の展開がある程度読めていた。その通りになるのであれば、この立ち位置は悪くない。
この状況で主導権を握っているのは、間違いなく切り裂き男だ。だが、それは長くは続かない。それが分かっている切り裂き男は、人質を突き飛ばして奥へ逃走した。
「おい、待て!」
義憤に駆られて切り裂き男を追いかけようとする人もいるが、その行く手を阻むように黒い霧が噴出する。動くのは今だ!
「ウィズモア、ここは任せたぞ!」
強い口調で後を託したシンザーは、切り裂き男を直接追わずに表の出入口から外へ出ることを選んだ。
出入口付近には他にも人がいる。黒い霧を煙と勘違いし、火事が起きたと思い込んで右往左往している人もいる。シンザーは流水の動方・緩流と急流を完璧に使いこなし、一陣の風のように人々の間をすり抜け、誰よりも速く外に出た。
ダンッ!
ここでシンザーは流水の動方・激流と自身が持つ風を操る能力を使い、空高く舞い上がった。こんな真似ができるヤツはそうはいない。シンザーが知る限りでは、自分以外ではティアリス・バルザロサだけだ。
歳は1つしか離れていないのに、やたらと先輩面をする女だったな…ティアリスのことを思いだし、シンザーは笑みを浮かべた。子供のようなキテレツな話し方をするので、子供扱いしてやったらボッコボコにされてしまった…今となってはいい思い出である。
昔に思いを馳せたのは一瞬のこと。シンザーは追悼展が開催されている建物の裏手に回った。そこにも黒い霧が充満している。あの切り裂き男はなかなか派手にやっているようだ。
だが、それはシンザーにとっては予想通りのことだった。そっちがそう来るのなら、こっちはこうだ!シンザーは風を操り、黒い霧を上空に吹き飛ばす。これで視界は確保された。
裏手に面している通りでは、この非日常の出来事にあたふたしている人がいる。だが、まったく気にも留めず、脱兎の如く走る男もいる。服装を見れば分かる…間違いなくあの切り裂き男だ。
シンザーは流水の動方・激流と風を操り自身を押すことで、一気に空を駆けた。あっという間に切り裂き男との距離を詰めたシンザーは、下の様子を窺いながら街道に下り立った。
「もう逃げられんよ」
切り裂き男と並走しながら、シンザーは軽口を叩く。だが、切り裂き男は止まらない。シンザーのことなど眼中にないようだ。
「パーフェクト無視って酷くないか?」
シンザーは苦笑しながら抗議するが、やはり切り裂き男は無反応で止まりそうにない。もう詰んでいるのに、それを頑なに認めようとしない切り裂き男に呆れつつ、シンザーはこの男を無理矢理止めることにした。
バチッ!
切り裂き男の腕に触れたシンザーは、痺れる電撃の一撃をぶち込んだ。悪く思うなよ…警告してやったのに止まらなかったのはお前なんだからな。
これでもう動けないだろう…切り裂き男がぶっ倒れる様を想像しながら、シンザーは速度を緩めた。だが、予想に反して切り裂き男は止まらなかった。
どうなっていやがる?呆気に取られたのは一瞬のこと。すぐさまシンザーはこの状況を分析しにかかった。
あのPMDはたいして高性能ではないはずだ…にも拘らず、痺れる電撃の一撃が効いたようには見えなかった。気合いで乗り切ったのか?そういう実例がない訳ではないが…まあいい。無理矢理止める方法なら他にもある。
シンザーは鏡界から魔法剣を取り出した。と言っても、今回使うのはムチだ。だから、これは魔法剣ではなく魔法鞭だな…そんなどうでもいいことを考えながら振るわれたムチは、切り裂き男の両足に巻きついた。
ドタッ!ズザザザザーーー!
両足の自由を奪われたとあっては、さすがの切り裂き男も走り続けることはできず、派手にこけてしまった。それでも切り裂き男に観念した様子はなく、起き上がって逃げようとする。
「往生際の悪いヤツだな…」
ここまで諦めの悪いヤツは始めてだ。これにはさすがのシンザーも感心してしまう。しかし、何もしなければムチの拘束を解き、再び逃げ出しそうだ。
そんな馬鹿げた事態を招く訳にはいかない。シンザーは束縛の魔法で切り裂き男をぐるぐる巻きにした。もう逃げることなどできやしない。にも拘らず、切り裂き男はまだもがいている。
何か…おかしくないか?諦めるということを知らないかのような切り裂き男の行動には、誰もが異常を感じることだろう。
でも…何が?困惑しながら切り裂き男に近付いたシンザーは、あることに気付いてハッとした。それを確かめるべく、鏡界から短剣を引っ張り出し、切り裂き男の腕に突き立てた。
この状況を遠巻きに見ている野次馬達が、息を呑むのが分かる。本来なら派手に出血するところだ…だが、そんなことは起きなかった。そのまま腕を切り裂くと、中から出てきたのは綿と砂利。間違いない…これは精巧に作られたゴーレムだ。
「コイツは一本取られちまったな…」
あの切り裂き男は追っ手がかかることを見越して、替え玉のゴーレムを用意していたのだ。そして、シンザーはまんまと引っ掛かり、ゴーレムを追い掛けてしまった。
こいつは始末書もんだぜ…苦笑しながら立ち上がると、折よく魔法戦士とその従者がやって来た。おそらく巡回している最中にこの騒ぎを聞きつけたのだろう…丁度いい。このゴーレムはこいつらに運んでもらおう。
「ファブロス隊所属の一位武官、シンザー・アーチバルドだ。コイツをファブロスの拠点に運んでおいてくれ」
自身が持つ一位武官の階級章を見て、シンザーの正体を知った2人は、直立不動になってしまった。
あとはこの2人に任せて、画廊に戻ることにしよう。さすがにウィズモアのことが心配だ。シンザーは踵を返してこの場を後にした。




