気付いていないシンザーと気付いているウィズモア
「ハトさん、いっぱいいるねぇ」
広場には実に様々な人々がいる。短い眠りから覚めたシンザーは、彼ら彼女らをぼんやりと見つめていた。その中の一人、若い母親が年の頃は2歳ぐらいの男の子に話しかけていた。
「はっしゃん!」
こういう広場にはハトがたくさんいるものだ。それはミゼルカンプ広場に限った話ではない。それでも男の子は目を輝かせてハトを見つめている。これくらいの年の子にとって、世界は知らないことで満ち溢れているのだ。
「ハトさん、おはようだねぇ」
母親は男の子に挨拶をするように促した。そこはこんにちはだろう…シンザーはそう思ったが、細かいことを気にするのは野暮ってヤツだ。
「おあよーございまっす!!」
促された男の子は、ハトさんに元気よく挨拶をした。キーンと響く声とはこのことである。
まどろみから覚めたばかりのシンザーは、この一声でシャキッとした。母親はビクッとしているし、広場で散策をしている人の中にもびっくりしている人がいる。そして、ハトさんはバサバサという羽音を残し、飛び立ってしまった。
「はっしゃん…」
取り残された男の子は、見て分かるほどにシュンとしている。そりゃそうなるだろう…シンザーは少しばかり苦笑してしまった。
「声、大きすぎだよ」
悲しげな男の子を母親が慰める。一部始終を見ていたシンザーは、心和むのを感じていた。
さてと…シンザーは立ち上がると、青空に向かって大きく伸びをした。そして、何の根拠もないが、ある確信を得ていた。この件は王室案件ではない…ロマネラの計画に裏で協力していたのは、ウィズモアの父カルドソだ。
それが分かっただけでも十分だ。あとはシンザーがその結論に至ったことに、カルドソが気付いているのかどうかだが…それはさすがに分からない。だが、いずれ気付くのは間違いない。だから、シンザーはあの爺さんに貸しを作ったと思うことにした。
十分に考え事をしたシンザーは、ミゼルカンプ広場を後にした。この後の予定は決まっている。いつものようにデレインのアパートに不法侵入し、あの気の置けない同僚の帰りを待つことにしよう。
その頃、ウィズモアは何をするでもなく離れでまったりとしていた。ソムニアの用意したワインはすっかり空になっていたが、ウィズモアはあまり酔ってはいなかった。
「大学の課題は…よろしいのですか?」
ソムニアはコップにレモンウォーターを注ぎながら尋ねた。自身はウィズモア専属のメイドだが、ウィズモアに雇われている訳ではない。主はカルドソだ。だから、気にしておいた方がいいだろう。
「ん…大丈夫。そんなのないから」
ウィズモアは特に悪気なく、嘘をついていたことを明かした。
「そ、そうですか…」
これにはソムニアも苦笑してしまう。しかし、ウィズモアが何の考えもなくそんなことをする訳がない。もっともソムニアはそれを聞くようなことはしなかった。そこは自身の立場をわきまえている。
「あのさ…シンザーは王室が絡んでいるかもって言ってたけど、もしかしたら…お父さんが関わってたってことは…ないかな?」
ウィズモアの声が少し震えている。その気持ちはよく分かる。
「そうですね」
ソムニアはそれを否定しなかった。
知っているからだ…ウィズモアがカルドソにテネラニの絵をプレゼントしたことを。その後にカルドソがテネラニの絵を複数枚購入したことを。それを踏まえて考えると、カルドソが関わっていたとしてもおかしくはない。
「どうしたら…いいと思う?」
「何もしなくてもいいと思います」
迷いながら尋ねるウィズモアに、ソムニアは迷うことなく答えた。
本来なら、ウィズモアはどうしたいのか?そう聞くべきところだ。だが、ソムニアは敢えて踏み込み、自身の意見を伝えた。カルドソの立場が揺らげば、ソムニアがここで安穏としていられなくなるかもしれない。それは受け入れられないことだ。
それにあの男も…シンザーも、そんなことをすればどうなるのか分かっているだろう。まず間違いなく閑職に追いやられることになる。そんなバカな真似はしないはず…希望的観測ではあるが、ソムニアはそう思っていた。
「そうだね…そうだよね」
不安が解消された訳ではないが、ウィズモアは納得したようだ。
「そろそろ館の方に戻りましょう」
「ん…分かった」
口調もいつものウィズモアに戻っていた。
疑念が解消された訳ではない。おそらく解消されることはないだろう。それでもウィズモアには、これがどのような罪になるのか…それがよく分からなかった。
決して虚偽の事実を述べた訳ではない。価値のないものを価値あるものと思わせたのなら、それは詐欺になる。でも、テネラニは間違いなく才能のある画家だった。その絵はいずれ高く評価されるだろう。お父さんが関わっていたとしても、それを少し早めただけ。それなら問題はない。
もちろん、この情報をもとにテネラニの絵を購入していれば、多少の問題にはなる。でも、きっかけはウィズモアからのプレゼントで、その可能性はないように思える。そう考えると、ウィズモアは心が軽くなるのを感じていた。




