暴落するチケット
思わぬ遭遇があったものの、その後は特に何事もなくナザリトが営むチケット屋にたどり着いた。ここでは様々なチケットの売買をしている。だから、色んな人がチケットを求めてやって来るし、訳あって売りに来る人もいる。
だが、そんなチケット関連のお客さんよりも、ナザリトが趣味で作っているジンジャーエール目当てで来店するお客さんの方が遥かに多い。それだけここのジンジャーエールが旨いってことだ。
もっともナザリトに言わせると、ジンジャーエール目当ての客の方がほんの少し多い…ということになる。シンザーの見た感じでは、ほんの少しどころの話ではないが。
「そいつは見解の相違ってヤツだ」
いつだったか忘れてしまったが、シンザーに指摘されたナザリトが自信満々にそう言い放った。見解の相違ってのは便利な言葉だな…シンザーは感心しきりだったのを今でも覚えている。
でも、本当はナザリトだって分かっているはずだ。そうじゃなければ、商売人なんかできっこない。だからと言って、チケ屋をやめてジンジャーエール一本でいく気など更々ない。そして、それはシンザーにとっても好都合なことだった。
「こいつが今日の魔法のシロップだ」
いつものようにジンジャーエールを求めてやって来たシンザーとウィズモアに、ナザリトはなんとも言えない色合いの液体を得意げに見せてくれた。何のことはない…それはジンジャーエールの素だ。もちろん、ナザリトのオリジナルブレンドである。
気になるその中身は、カルダモンやシナモンなどのハーブ、それからレモンやオレンジなどの柑橘系のフルーツをブレンドして煮出し、砂糖で味を整えたものである。ナザリトに言わせると、これはスパイスを調合した風邪薬のようなものらしい。故郷で飲まれていた風邪薬を参考にして作っているそうな。
体に優しい味わいのジンジャーエールは、薬膳と言っても過言ではないだろう。スパイスの香りが効いているのに、尖っているということはない。かといって、口当たりのいい穏やかな味という訳でもない。
「優しくて芳醇な味わいね…」
「今日のジンジャーもいい感じにまとまっているな」
ジンジャーエールを飲みながら、ウィズモアもシンザーも満足げに頷いていた。
「その日の気温や湿度を見ながら配合を決めるんだ。それが基本になる。お前さん達が飲んだのは基本のジンジャーだが、買いに来るお客さんに同じ人はいないからな…微妙にアレンジをすることもあるんだぜ」
得意げにジンジャーエールの話をするナザリトを見ながら、やはり本業はこっちだろう…とシンザーは心の中で呟いた。
「でも、上手くいかないこともあるんでしょ?」
「もちろんもちろん。だけど、そういう経験が大事なのさ」
ウィズモアの質問は少し意地の悪いものだったが、ナザリトはむしろそれを望んでいるかのようだ。それでいて向きになって反論するようなことはない。
誰とでも屈託なく話ができる。それがナザリトのいいところだ。それはナザリトにもシンザーにも利益をもたらすことがある…だから、このチケ屋は繁盛しているのだ。
「どうだいファブロス隊は?毎日ブラブラするのも飽きるだろう」
ファブロス隊はシンザーが所属している部隊だ。ナザリトの指摘はもっともなので、シンザーも苦笑するしかない。
「私は好きよ、そういうの」
目をキラキラさせながら答えるウィズモアの言葉に、嘘はないように思える。
ウィズモアはこの3月からファブロス隊に配属された新人だ。と言っても、レガルディア国立魔法大学に通う学生の身でもある。なので、暇な時に手伝う外部協力者という立場だ。
ライラリッジ生まれでライラリッジ育ちのウィズモアだが、それでもこの街について知らないことは多い。この1ヶ月余りのあれやこれやは、ウィズモアにとっては楽しいことばかりだった。
「でも、何でもやる隊は暇で暇でしょうがないだろう?」
「いつも暇そうに見えるが、いつだって忙しいんだよ。それから何でもやる隊じゃなくて、ファブロス隊だ」
聞き捨てならない言葉を連発したナザリトに対して、さすがのシンザーも反論した。
「だって」
ウィズモアがクスクスと笑いながらナザリトの見解を求めた。
「俺がそう言ってるんじゃあないよ。みんながそう言っているんだ」
「だが、ここにいるのはお前だけだ」
ナザリトは上手く弁解しようとするが、そうは問屋が卸さないと言わんばかりにシンザーに事実を指摘されてしまった。
「そいつは見解の相違ってヤツだ」
見解の相違も何も、ここにはウィズモアとシンザー以外にはナザリトしかいない。とは言え、ナザリトにいつもの決め台詞を言われたとあっては、シンザーも引き下がざるを得ない。
「よしっ、今日は俺のおごりだ!」
それでも何かを期待するような笑みを浮かべるシンザーに、ナザリトはガハハと豪快に笑いながら言った。
「やったー!」
ジンジャーエールを片手に、ウィズモアは小躍りしそうなほどに喜んでいる。してやったりのシンザーだが、ここへ立ち寄った本当の目的を忘れたりはしない。
「ところで…何か変わったことでもあるかい?」
何かあると思って聞いた訳ではない。これはシンザーにとって挨拶のようなものだ。
「もちろん…あるよ」
少しばかり意地の悪い返しをするのが俺のいいところ…などとナザリトは言っていたが、特に何も期待していなかったシンザーは、その答えに少しばかり驚いてしまった。ウィズモアも興味津々という風だ。
「それがコイツだ…」
シンザーとウィズモアの注目を十分に集めたところで、ナザリトは1枚のチケットを取り出した。それは絵画展のものだった。
「情熱の天才画家、テネラニ追悼展」
ナザリトからチケットを受け取ったシンザーは、特に意識するでもなくその名を読み上げた。
「テネラニ…か」
その名に聞き覚えはあったが、どこで聞いたのかは思い出せなかった。ここで助け船を出してくれたのがウィズモアだ。
「テネラニって…あの心中したテネラニだよね?」
それを聞いてシンザーも思い出した。確かにそういう事件があった。捜査に関わった訳ではないので、印象が薄かったのだ。
「そう、そのテネラニだ」
「それで…このチケットがどうかしたのか?」
ナザリトが肯定したことで、テネラニのことは何となく分かったが…問題はこのチケットだ。何がおかしいのか?それが分からなければ、判断しようがない。
「ウチに流れてくる枚数がね…ちょっと普通じゃないんだ。おかげでコイツはとんでもなく暴落している」
確かに何かおかしなことが起こっている…それはウィズモアにだってわかる話だ。でも、その裏にあるものは、シンザーにも分からなかった。
「今はどれぐらいなんだ?」
この手のチケットは、正規ルートで買えば2000リガは下らないはずだ。
「100リガだよ」
「それはそれはまあ…」
ナザリトとの付き合いが長いシンザーには分かる…これはとんでもない値段だ。
「暴落にも程があるだろうに…」
「まったくだよ」
さすがに呆れてしまったシンザーだが、ナザリトはそこまで困っている訳でもなさそうだ。ここはチケ屋ではなくジンジャーエール屋だからな…もちろん、そんなことは言わなかったが。
「誰がそんなにたくさん持ち込んでるんだ?」
チケ屋は裏の世界にも通じている。だから、シンザーは足繁くここに通っているのだ。
「老若男女、実に様々だね。コイツは俺の勘だが…何でも屋が関わっているような気がするな」
「何でも屋か…」
チケ屋のナザリトは裏の世界のことに詳しい。そのナザリトの勘を軽んじることは得策ではない。
「そのチケット、2枚貰えるか?」
シンザーが指で弾いた100リガ硬貨2枚が、クルクルと回転しながら綺麗な放物線を描き、ナザリトの上着の胸ポケットに収まった。
「いい腕してるね。ありがとさん」
負けじとナザリトも2枚のチケットを弾こうとしたが、上手く指に乗せることもできず、諦めてシンザーに手渡した。
ナザリトの挑戦を微笑ましく見守っていたシンザーは、こくりと頷きながらチケットを受け取った。受け取ったチケットの1枚をウィズモアに渡し、2人はチケ屋を後にした。




