邂逅
その後はシンザーが『こむぎのキッチン』で猫パンをパクパクと食べた話や、ノガラの胸をガン見していた話などで、おおいに盛り上がってしまった。そんなどうでもいいことをウィズモアが覚えていたことに、シンザーは苦笑してしまったが、言い分がない訳ではない。
猫パンパクパクはウィズモアの緊張をほぐすため、それからガン見の件は美しいものに罪はない…と反論してみたものの、多勢に無勢で言い負かされてしまった。色々と言われてしまったが、平たく言うともう少し配慮してということのようだ。まあ、仕方がない。
美味しい料理とワイン、それから他愛もない話を十分に楽しみ、打ち上げはお開きとなった。ウィズモアは大学の課題をするとか何とか言っていたので、今日のところはここでお別れだ。
シンザーの足取りは、少しばかりおぼつかなかった。それほど強くはないワインだったので、少し飲み過ぎたのかもしれない。ラヴァリーノ家の離れを後にしたシンザーは、適度な心地よさを感じながら、歩いてミゼルカンプ広場へ向かうことにした。
噴水と白い大理石で有名なミゼルカンプ広場は、ライラリッジを代表する観光地の一つだ。今日も多くの人が散策をしに、広場を訪れていた。そういう人達が休めるように、広場にはシックな東屋やベンチがそこかしこに造られている。
シンザーは木陰に覆われたベンチの一つに腰を下ろした。敢えて馬車には乗らずにここまで歩いて来たので、酔いはすっかり醒めていた。これなら色々と考え事ができそうだ。
ウィズモアには言わなかったが、シンザーはもう一つの可能性があることに気付いていた。ウィズモアの父カルドソ・ラヴァリーノが関わっていたという可能性だ。
カルドソには5人の子供がいる。息子が2人と娘が3人だ。中でもウィズモアは遅くにできた子供ということもあって、蝶よ花よと育てられた。親子関係は良好だ。
そうなると、カルドソがテネラニのことを知っていたとしても不思議ではない。或いはテネラニの絵を所有しているのかもしれない。この見立てが正しければ、カルドソがロマネラの計画に裏で協力していたとしても何の不思議もない。
とは言え、これを調べるのはかなり難しいだろう。父親が絡むこととなると、ウィズモアの協力が得られるかどうかは分からない。上からも何らかの圧力がかかることは間違いない。
それでもその道を突き進むのか?と言われると、そんな価値があるとは思えない。世の中ってヤツは不公平にできているのだ。真実を知りたいという思いはあるが、好奇心は猫をも殺すもの…シンザーは苦笑しながら広場を見やった。
「ハトさん、いっぱいいるねぇ」
広場には様々な人々がいる。その中の一人、若い母親が年の頃は2歳ぐらいの男の子に話しかけていた。こういう広場にはハトがたくさんいるものだ。それはミゼルカンプ広場に限った話ではない。
「はっしゃん!」
男の子は目を輝かせてハトを見つめている。男の子にとって、世界は希望に満ち溢れているに違いない。
「ハトさん、おはようだねぇ」
母親は男の子に挨拶をするように促した。今は昼過ぎだが、細かいことを気にするのは野暮というものだ。
「おあよーございまっす!!」
促された男の子は、ハトさんに元気よく挨拶をした。それ自体は良いことだが、男の子の声は想像以上に大きかった。
シンザーは驚いたことをおくびにも出さなかったが、母親はビクッとしている。広場で散策をしている人の中にも、びっくりしている人がいる。そして、ハトさんはバサバサという羽音を残し、飛び立ってしまった。
「はっしゃん…」
「声、大きすぎだよ」
悲しげにハトさんを見つめる男の子を母親が慰める。一部始終を見ていたシンザーは、ほっこりした気持ちになっていた。
「可愛い坊やね」
いつの間にか隣に座っていた女が、クスクスと笑いながら言った。木陰に覆われたベンチにあっても、その菜の花色の髪はキラキラと輝いているように見える。
「そうだな…」
シンザーは努めて平静を装ったが、内心では驚きを隠せないでいた。この女、いつから俺の隣にいたんだ?
考え事に耽っている時に誰かが近付くと、その時は風が教えてくれるものだ。風を操る能力を持っているシンザーにとって、それは当たり前のことだった。でも、今回は何も教えてくれなかった。こんなことは初めてだ。
それでもシンザーは落ち着いていた。まずはこの女を観察することにしよう。
どこかで会ったことがあるような気がした。同時に初めて会うような気もした。その顔立ちは奇妙なほど印象に残らない。綺麗な女性であることは間違いないが、特徴がないのだ。おそらく街中ですれ違っても気付かないだろう…そんな顔立ちだ。
「この件は王室案件ではないわ」
女の口から出てきた物騒な言葉に、シンザーは怪訝そうな表情を浮かべた。
「真実が知りたかったんでしょ?」
女の言っていることは間違いではない。確かにシンザーは真実を知りたいと思っていた。
「そうだな…でも、なんでそんなことを知っているんだ?そもそもあんたは何者だ?」
シンザーは女を問い詰めるが、女はそれには何も答えず、代わりに奇妙なことを言った。
「不公平ではないのよ」
何だ?こいつは何を言っている?会話が成り立っていないのは明々白々だが、何かが引っ掛かった…そして、その何かを思い出すのに、それほど時間はかからなかった。
それはエリオット通りを博物館の方へ向かっているユリーシャとカレン、それからショウの姿。あの時、シンザーは確かに不公平だろうと思った。だが、それを誰かに言ったことはない。なぜそれを知っている?
「お前は…」
何者なんだ?それを尋ねようとして再び女を見たシンザーは、驚愕のあまり目を見開いた。
燃え盛る炎のような赤い髪。何度も写実画で見てきた赤い髪の女。レガルディアの魔法戦士なら誰もが知っているあの女がそこにいたのだ。
「楽しかったわ。またね」
そう言い残し、赤い髪の女は立ち上がった。
「待て!俺はお前を…」
赤い髪の女を捕らえようとしたシンザーだが、自身の体をピクリとも動かすことができなかった。そして、シンザーの意識は、闇の中に沈んでいった。




