嘘
「彼と恋に落ちたのは去年の春。桜が満開の頃だった…以前にお二人の出会いを伺った際、ノガラさんはそう答えました」
ノガラは前回と同じように、アトリエと客間を兼ねたような部屋に2人を案内した。シンザーは座り心地のいいソファを堪能しながらそう切り出した。
その上で、あのツバキがレガルディア第15邸宅に植えられているツバキであること。ソブリオという早咲きの品種であること。ソブリオが花を咲かせる時期が、11月の初めから2月の末までであることを伝えた。そこからある事実が浮かび上がってくる。
「桜が満開…ということは4月。お二人の恋愛が始まった時、ツバキは既に散っていたことになりますよね?」
シンザーの真似をした丁寧な口調で、ウィズモアはノガラに尋ねた。これは離れでの打ち合わせ通りだ。
「そうだったかしら…」
ノガラは平静を装っているが、若干の動揺を隠しきれない。
「そもそも本当にテネラニ画伯と恋愛をなさっていたのか…我々は疑問に思っています」
ここでシンザーは率直に自身の見立てを明かした。
「どういうこと?」
それでもノガラはすぐに態勢を立て直した。これはさすがとしか言いようがない。
「お二人は付き合ってなどいなかった。あなたの言葉はすべてが嘘…違いますか?」
一瞬ノガラの目が泳ぐのを、シンザーは見逃さなかった。
「何のために、私がそんな噓を?」
この状況はどう見てもノガラにとって良くないものだ。それを打開するために、ノガラはシンザーに身を寄せてきた。
「これが大人の世界…」
目をキラキラさせながらウィズモアは呟くが、シンザーもノガラも気にも留めない。
「それはあなたがよくご存じなのではないですか?」
シンザーは事務的に言い放った。それはある種の冷たさを感じさせるが、確かな自信があるからだ。
ノガラの画家としての評価はそれほど高くない…それは今朝の離れでの打ち合わせで、ウィズモアが教えてくれたことだ。なぜか妙に嬉しそうに語ってくれたのは、気のせいだろう。
『口さがない人は、彼女の評価は体で買ったものだって言ってるの』
朝の打ち合わせで、ウィズモアはこうも言っていた。そこには多少の嫉妬もあるようだ。その気持ちはよく分かる。
「私が?何を知っているのかしら?どういうつもりか知らないけど、ここまで来ると冗談にもならないわよ」
自身に凄みを利かせてきたノガラの度胸に、シンザーは感心していた。この女を抱きたいと思う男は大勢いるはずだ。
「それはそうですが…」
「不愉快よ!」
尚も食い下がろうとしたシンザーを、激昂したノガラが遮った。あまりの豹変ぶりに、ウィズモアはビクッとしてしまう。
「もう帰って」
シンザーを睨みつけたノガラは、この家から出ていくように言い放ち、立ち上がってアトリエ兼客間を後にした。
「失礼いたしました」
これ以上、ここにとどまることは得策ではない。シンザーはその後ろ姿に謝罪し、ここは素直に引き下がることにした。
「凄かったね…」
ノガラの住居兼アトリエを後にし、十分に離れた所でウィズモアは先程のやり取り…特に最後のアレを評した。
「そうだな」
そうなるのではないかと思っていたので、シンザーに驚きはない。そして、それはシンザーにとって間違いなく朗報だった。
「何にせよ、ノガラがテネラニの愛人だった可能性は低いだろうな」
敢えて断定は避けたが、シンザーはないと思っている。これにはウィズモアもこくこくと頷いた。
それを裏付けるためには、テネラニが本当に恋愛に奔放なタイプだったのかを調べる必要がある。そして、それはシンビネに頼んである。その結果を聞くために、シンザーとウィズモアは『風のささやき亭』へ向かった。
「こっちの調べではそういうヤツはいないな」
開口一番、シンビネは調査結果を教えてくれた。先程のノガラとのやり取りを踏まえると、それは意外なことではない。
「それで?」
シンビネ自慢の3種類のオレンジをブレンドしたオレンジジュースを飲みながら、シンザーは続きを促した。
「数人の女と噂があったのは間違いない。そのうちの何人かは別の街へ引っ越しているから話は聞けてないが、残りの女は割りとあっさり作り話を認めたよ」
オレンジジュースを飲みながら、ウィズモアはこくこくと頷いている。そんなウィズモアに温かい眼差しを注ぎながら、シンビネは調査結果を話した。
「だろうな…」
そうではないかと思っていたので、シンザーは特に驚いてはいなかった。
「ちなみに奥さんのロマネラとも見合い結婚だったそうだ」
「それはそれはまあ…」
これにはその事実を口にしたシンビネも、それを聞いたシンザーも、呆れたように苦笑してしまった。
シンビネの調査結果を踏まえると、テネラニが恋愛に奔放なタイプだった可能性はないと考えていいはずだ。となると、それは誰かの作り話ということになる…その誰かはおそらくロマネラ。だが、確証はない。これは心中にとどめておくべきだろう。
それはウィズモアの心中を慮ってのことでもある。シンザーはシンビネの話を聞きながら、それとなくウィズモアの様子を窺っていた。表面上は平静を保っているように見えるが、内心はどうだろう?信じていたことが嘘だと発覚したのだ。多少のショックは受けているはずだ。
「それで…今どんな感じなんだ?」
この事件はシンビネにとっても気になる事件だ。だから、興味津々でシンザーに途中経過を尋ねた。
「突くべき穴のガードが緩んできたところだな」
今朝のノガラとの一件、それからシンビネの調査結果を踏まえ、シンザーは自信満々で答えた。
「そうか…じゃあ楽しみに待ってるよ」
これにはシンビネも大満足だ。
「突くべき穴…それが大人の世界…」
2人のやり取りを聞きながら、ウィズモアは何やら妄想しているようだ…しかも全開で。
このまま気にしないでおくのは得策ではないだろう…やはりお子ちゃまに大人の世界は早かったようだ。今日もさっさと帰ることにしたシンザーは、ウィズモアに大人の世界と言ったことを少しばかり後悔しながら『風のささやき亭』を後にした。




