第四話:体温の記憶
ジョージはツェルトを張り、開口部を暖炉に向けた。
マットを膨らまし、寝袋を出した。
ヴィンセントに応急処置を施し、胸を圧迫しないよう慎重にテーピングを巻く。
鎮痛剤と抗炎症薬を与え、寝袋に押し込み、ツェルトの中に寝かせた。
ジョージもタオルで体を拭いた。刃物のような背中の線が一瞬だけ、炎に浮かんだ。
露わになったその背中は、鎧のようなヴィンセントとは対照的だった。
獣のような静かさがあった。
無駄を極限まで削ぎ落した肢体。
盛り上がりよりも密度で語る。
浮き出る肩甲骨、どこにも逃げ場のない硬質な背筋。
無数に走る深い傷跡。そして“印”。
疲労は確実に刻まれている。
だがその体に刻まれたのは、限界ではなく「限界の超え方」だった。
服やウェアを着た。
手に持った二着分のインナーを絞ると、ポタポタと水分が滴り、床に黒い斑点を描いた。
それらを広げ、暖炉の近くに干す。
振り返ると、ヴィンセントの瞼が落ちかけていた。
ジョージは寝袋の傍らにしゃがみ込むと、低く、乾いた声で言った。
「……寝るな。死ぬぞ」
頬を叩いて起こす。
ヴィンセントは笑いながらいつものように皮肉を吐いていたが、顔はこわばり、息はまるでハツカネズミのように浅く、細い。
時々その動きが止まりかける。
褐色の肌は不自然に沈んでいた。
――この夜を越せるかどうか。
ヴィンセントは痛みと疲労で限界に達し、体温も落ちている。
巨体は本来ならば寒さに強く、熱を炉のように絶え間なく生み出すはずだ。
だが、今はその燃料となる酸素を肺が拒んでいる。
酸素が尽きれば、糸はぷつりと切れる。そこから先に帰り道はない。
暖炉に火はあるが、隙間風から入り込む冷気で、外気との差はわずかだった。
屋内の寒さはマイナス五度程度だろう。火の明かりは揺れていても、ぬくもりには程遠い。
ジョージはザックを開けた。
中には乾いた食料が、数日なら持ちこたえられる程度に収まっている。
だが目の前の相棒に「数日後」はなかった。
明日さえも夢見る余裕があるかどうかだ。
ならば賭けるしかない――この一晩に。
ありったけの資源を彼に。
次に金属製カップ二個で外の雪を掬い、それぞれにフリーズドライのスープを放り込んだ。
火にかけるとすぐに白い湯気が立ち上り、野菜の甘みとチキンの香りが鼻を掠めた。
「起きろ。飲め。」
頬を叩き、ヴィンセントの目の前にカップを差し出す。
「……自分で飲む」
ヴィンセントは体を起こし、震える手でカップを受け取った。
息で冷ましながらも唇を慎重につけ、飲み込む。
熱いスープが喉を通り、わずかに荒い呼吸が和らいだ。
「うめぇ……生き返るな……」
ジョージはその様子を一瞥だけすると、自分もスープに口付けながら暖炉に視線を戻した。
薪はあるが、朝までは持たないだろう。
彼は周囲を見回し、椅子を倒し、踏み抜いた。
古びた木材を手早く解体し、予備の薪として寝袋のそばに置いた。
◇
ジョージは下穿き一枚だけを残して、再び服を脱いだ。
乾いた食料を抱え、そのまま無言でヴィンセントの寝袋の中に潜り込む。
彼のウェアのチャックを開け、肌を露出させる。
肋骨を避け、脇の下へ腕を滑らせると、そのままヴィンセントの左脇腹の下に――大動脈に額を当てた。心音も確認できる。
かすかに汗と火の匂いが鼻をかすめた。
さらにジョージは、太腿の内側にも脚を絡め、差し込んだ。
鼠径部にも太い血管が通っている。
冷たい巨体にじわりと熱が移っていくのが分かった。
黒い肌と淡い肌。
長く丸太のような手足と、短く引き締まった肢体。
釣り合わない二つの体格が、ひとつの布の中で重なり合った。
「……何してやがる……お前、冷えるぞ……」
「俺は元々冷血だ。少しくらい冷えても変わらん。
……それより社長を生かす方が先だ」
ヴィンセントの視線がわずかに彷徨った。
「Bo|dy-to-Body Rewarming《体温共有法》か……。
懐かしいな……。 軍の生存訓練じゃ他の野郎とやらされたが……。
お前との新婚ごっこは想定外だ……」
ジョージは少し鼻から息を吐いた。
「こんなゴミ溜めが新居ってんなら、即離婚だな」
ヴィンセントの体が小刻みに揺れる。
「……クソ、くすぐってぇ。
こんな密着、女でも嫌がるぞ。フツー」
「俺は嫌じゃない。生かすためなら」
「……昔からそうだな。何も持たねぇで、全部背負う」
ジョージは答えなかった。
代わりにチョコバーの包装紙を破ると、それをヴィンセントの口元に持っていく。
彼はわずかに、首を振った。
「……お前が食え」
ジョージは一口かじった。
弱く首を振る大男に、ジョージは押し込むように差し出した。
観念したように、ヴィンセントは静かに嚙み砕いた。




