表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第四話:体温の記憶


 ジョージはツェルト(簡易テント)を張り、開口部を暖炉に向けた。

 マットを膨らまし、寝袋を出した。

 ヴィンセントに応急処置を施し、胸を圧迫しないよう慎重にテーピングを巻く。

 鎮痛剤と抗炎症薬を与え、寝袋に押し込み、ツェルトの中に寝かせた。


 ジョージもタオルで体を拭いた。刃物のような背中の線が一瞬だけ、炎に浮かんだ。


 露わになったその背中は、鎧のようなヴィンセントとは対照的だった。

 獣のような静かさがあった。

 無駄を極限まで削ぎ落した肢体。

 盛り上がりよりも密度で語る。

 浮き出る肩甲骨、どこにも逃げ場のない硬質な背筋。

 無数に走る深い傷跡。そして“印”。


 疲労は確実に刻まれている。

 だがその体に刻まれたのは、限界ではなく「限界の超え方」だった。


 服やウェアを着た。

 手に持った二着分のインナーを絞ると、ポタポタと水分が滴り、床に黒い斑点を描いた。

 それらを広げ、暖炉の近くに干す。


 振り返ると、ヴィンセントの瞼が落ちかけていた。

 ジョージは寝袋の傍らにしゃがみ込むと、低く、乾いた声で言った。


「……寝るな。死ぬぞ」


 頬を叩いて起こす。

 ヴィンセントは笑いながらいつものように皮肉を吐いていたが、顔はこわばり、息はまるでハツカネズミのように浅く、細い。

 時々その動きが止まりかける。

 褐色の肌は不自然に沈んでいた。


 ――この夜を越せるかどうか。


 ヴィンセントは痛みと疲労で限界に達し、体温も落ちている。

 巨体は本来ならば寒さに強く、熱を炉のように絶え間なく生み出すはずだ。

 だが、今はその燃料となる酸素を肺が拒んでいる。


 酸素が尽きれば、糸はぷつりと切れる。そこから先に帰り道はない。


 暖炉に火はあるが、隙間風から入り込む冷気で、外気との差はわずかだった。

 屋内の寒さはマイナス五度程度だろう。火の明かりは揺れていても、ぬくもりには程遠い。


 ジョージはザックを開けた。

 中には乾いた食料が、数日なら持ちこたえられる程度に収まっている。

 だが目の前の相棒に「数日後」はなかった。

 明日さえも夢見る余裕があるかどうかだ。


 ならば賭けるしかない――この一晩に。

 ありったけの資源を彼に。


 次に金属製カップ二個で外の雪を掬い、それぞれにフリーズドライのスープを放り込んだ。

 火にかけるとすぐに白い湯気が立ち上り、野菜の甘みとチキンの香りが鼻を掠めた。


「起きろ。飲め。」


 頬を叩き、ヴィンセントの目の前にカップを差し出す。


「……自分で飲む」


 ヴィンセントは体を起こし、震える手でカップを受け取った。

 息で冷ましながらも唇を慎重につけ、飲み込む。

 熱いスープが喉を通り、わずかに荒い呼吸が和らいだ。


「うめぇ……生き返るな……」


 ジョージはその様子を一瞥だけすると、自分もスープに口付けながら暖炉に視線を戻した。


 薪はあるが、朝までは持たないだろう。

 彼は周囲を見回し、椅子を倒し、踏み抜いた。

 古びた木材を手早く解体し、予備の薪として寝袋のそばに置いた。



 ジョージは下穿き一枚だけを残して、再び服を脱いだ。

 乾いた食料を抱え、そのまま無言でヴィンセントの寝袋の中に潜り込む。

 彼のウェアのチャックを開け、肌を露出させる。


 肋骨を避け、脇の下へ腕を滑らせると、そのままヴィンセントの左脇腹の下に――大動脈に額を当てた。心音も確認できる。

 かすかに汗と火の匂いが鼻をかすめた。


 さらにジョージは、太腿の内側にも脚を絡め、差し込んだ。

 鼠径部にも太い血管が通っている。

 冷たい巨体にじわりと熱が移っていくのが分かった。


 黒い肌と淡い肌。

 長く丸太のような手足と、短く引き締まった肢体。

 釣り合わない二つの体格が、ひとつの布の中で重なり合った。


「……何してやがる……お前、冷えるぞ……」

「俺は元々冷血だ。少しくらい冷えても変わらん。

 ……それより社長を生かす方が先だ」


 ヴィンセントの視線がわずかに彷徨った。


「Bo|dy-to-Body Rewarming《体温共有法》か……。

 懐かしいな……。 軍の生存訓練じゃ他の野郎とやらされたが……。

 お前との新婚ごっこは想定外だ……」


 ジョージは少し鼻から息を吐いた。


「こんなゴミ溜めが新居ってんなら、即離婚だな」


 ヴィンセントの体が小刻みに揺れる。


「……クソ、くすぐってぇ。

 こんな密着、女でも嫌がるぞ。フツー」

「俺は嫌じゃない。生かすためなら」

「……昔からそうだな。何も持たねぇで、全部背負う」


 ジョージは答えなかった。

 代わりにチョコバーの包装紙を破ると、それをヴィンセントの口元に持っていく。

 彼はわずかに、首を振った。


「……お前が食え」


 ジョージは一口かじった。

 弱く首を振る大男に、ジョージは押し込むように差し出した。

 観念したように、ヴィンセントは静かに嚙み砕いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ