第三話:生存信号
ヴィンセントは岩陰に巨体を寄せ、体を丸めて吹雪にじっとたえていた。
息をするたびに肋骨が軋み、足は熱を帯び脈打っている。
彼が死を覚悟したのは1時間前だった。
ハーネスとの連結部を断ち切った瞬間、身体からすべての重力が消え去った。
叩きつけられた雪の斜面は硬くはなかったが、柔らかくもなかった。
最初の着地で足に衝撃が走った。
胸にも衝撃が加わり、息を詰まらせた。
その後、彼の身体はずるずると斜面を滑り落ち、やがて平地で止まった。
岩にはぶつからなかった。
だが、それを幸いと言うには早すぎた。
じわじわ身を削るような寒さとの闘いとなった。
南部の太陽の下で生まれ育った彼にとって、寒さは慣れることのない敵であり、最も忌み嫌うものだった。
浅い呼吸を繰り返しながら、這うようにして岩陰に身を寄せると、彼はじっと激痛に耐えていた。
◇
やがて灰色に押し潰された世界の向こうから、微かな電子音が聞こえてきた。
自分を探すビーコンの音だった。
その音はやがて大きく間隔が短くなり、灰色のカーテンを裂くようにぼんやりと何かを映し出していった。
それはやがて人影になった。
ヴィンセントはわずかに口角を挙げた。
そして畏敬と感謝がこもった言葉を吐き出した。
「……本当に馬鹿野郎だ、お前は……ジョージ。」
「馬鹿はお前だ、クソ野郎……」
ジョージはしゃがみ込んだ。
「状況は?」
「足は捻っただけだ。折れてはいない」
「歩行は可能か」
「痛むが……歩ける。胸には触るな。ひでぇ音がした」
「致命傷ではないな」
「ああ」
「南西1キロ先に山小屋がある。廃墟だが、風は防げる。そこまで行くぞ」
「了解。キャプテン」
◇
ジョージとヴィンセントが山小屋に着いたのは、あれから二時間近く経ってからだった。
世界はすでに闇に吞まれていた。
ヘッドライトの光は雪煙に散らされ、数歩先すらかすむ。
足を出すたびに雪面が軋み、どこかで崩れる音がする。
ひとつ踏み間違えば、すぐに底のない闇に堕ちていくだろう。
ジョージはわずかな地形の変化を追い続けた。
視界は頼りにならない。コンパスの向き。風の流れ。雪の締まり。足裏の感覚。
それだけを手掛かりに、足を進める。
ジョージはヴィンセントの腕を肩に掛けたまま、全体重を受け止めていた。
肩が潰れそうに軋んだが、体感は揺るがなかった。
巨体が雪に沈むたび、ジョージは腰を入れて引き起こした。
やがて、暗闇の中に影が浮かんだ。
他の闇より濃い、四角い塊。
小屋だった。
ジョージは確信すると、言葉を発さずに歩を速めた。
ヴィンセントの息は荒く、もう支えがなければ倒れる。
扉に手を掛けるが、凍り付いて開かない。
躊躇はなかった。
ジョージは肩で一撃を加え、錆びた蝶番を軋ませながら闇の中に押し入った。
ジョージは小屋の中を一瞥した。
ヘッドライトの光が丸く狭い輪を描き、室内の輪郭をかろうじて照らし出す。
かび臭い湿った匂いと、アンモニア臭が鼻を突いた。
視線を落とすと、小動物の排泄物と注射器が散乱している。
壁には落書き、部屋の片隅には古い缶詰の空き缶、濡れて乾いて膨らんだポルノ雑誌。
壁は所々腐食しており、隙間風が入り込んでいる。
人間らしい空間ではなかったが、雪と風を辛うじてしのげるだけましだった。
錆びた暖炉の傍らには、薪が三束残っていた。
これは使える。
「ここに座ってろ」
足で空けたスペースにヴィンセントを座らせた。
彼は痛みと疲労で頷くことしかできなかった。
ジョージはバッグからマグネシウム棒と麻紐を取り出し、雑誌の乾いたページを破り取った。
麻紐をほぐし、鳥の巣のようにする。
薪の端をナイフで削り、細かい木片を作る。
マグネシウム棒を何回か擦り、生まれた小さな火種は鳥の巣の中で育っていった。
紙を舐め、木片を噛み、やがて薪に広がっていく。
死んでいた暖炉に、再び火が灯った。
それを確認したヴィンセントは、呻きながら暖炉の前へ身を寄せた。
「脱げ」
ジョージは短く指示を飛ばした。
ヴィンセントは眉間にしわを寄せ、胸を押さえ、喉の奥でクッと笑った。
「俺に、そんな趣味はねぇよ……」
「……そうじゃない、汗でインナーが濡れている。
濡れは命取りだ。脱げ。拭く。」
「分かっている。ちょっと揶揄っただけだ……
相変わらず、口数が少ねぇなお前は……そういうところだよ」
ヴィンセントはウェアに手を掛けたが、胸の痛みに腕が止まった。
「……クソ、動かねぇ。手を貸せ」
ジョージは無言で近づき、ウェアやシャツを引き剥がした。
濡れたインナーもゆっくりと脱がせる。
布が肌から離れると、蒸気が立ち上がり、火に照らされて揺れた。
あらわになった褐色の鎧のような上半身には、いくつものタトゥーが刻まれていた。
ジョージはその一つ一つをなぞるように、手際よく汗を拭いていく。
右胸に会社のロゴ。肩にかつての部隊章。
背には百合の紋章と、3羽の雛に血を与えるペリカン――《《帰れなくなった故郷》》、アメリカ:ルイジアナ州のモチーフ。
左肩には家族の印。
「腕を上げろ」
ヴィンセントは顔をゆがめながらも、声を漏らさず従った。
左腕の内側には、戦死した仲間の名と日付。
手首には父の最後の心電図。
そして左胸の奥には、弟の名と日付。
そのすべてが、過去と現在を刻んでいた。
ジョージはタオルを走らせながら、黙ってそれを受け止めた。
タオルで汗を拭き終えると、替えのインナーを着せ、さらにウェアまで整えた。
「……情けねぇな。まるで老兵だ」
「老兵は生き延びる。死んだ若造よりな」




