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第三話:生存信号

 ヴィンセントは岩陰に巨体を寄せ、体を丸めて吹雪にじっとたえていた。

 息をするたびに肋骨が軋み、足は熱を帯び脈打っている。


 彼が死を覚悟したのは1時間前だった。

 ハーネスとの連結部を断ち切った瞬間、身体からすべての重力が消え去った。

 叩きつけられた雪の斜面は硬くはなかったが、柔らかくもなかった。


 最初の着地で足に衝撃が走った。

 胸にも衝撃が加わり、息を詰まらせた。


 その後、彼の身体はずるずると斜面を滑り落ち、やがて平地で止まった。

 岩にはぶつからなかった。

 だが、それを幸いと言うには早すぎた。


 じわじわ身を削るような寒さとの闘いとなった。

 南部の太陽の下で生まれ育った彼にとって、寒さは慣れることのない敵であり、最も忌み嫌うものだった。

 浅い呼吸を繰り返しながら、這うようにして岩陰に身を寄せると、彼はじっと激痛に耐えていた。



 やがて灰色に押し潰された世界の向こうから、微かな電子音が聞こえてきた。

 自分を探すビーコンの音だった。


 その音はやがて大きく間隔が短くなり、灰色のカーテンを裂くようにぼんやりと何かを映し出していった。

 それはやがて人影になった。


 ヴィンセントはわずかに口角を挙げた。

 そして畏敬と感謝がこもった言葉を吐き出した。


「……本当に馬鹿野郎だ、お前は……ジョージ。」

「馬鹿はお前だ、クソ野郎……」


 ジョージはしゃがみ込んだ。


「状況は?」

「足は捻っただけだ。折れてはいない」

「歩行は可能か」

「痛むが……歩ける。胸には触るな。ひでぇ音がした」

「致命傷ではないな」

「ああ」

「南西1キロ先に山小屋がある。廃墟だが、風は防げる。そこまで行くぞ」

「了解。キャプテン」




 ジョージとヴィンセントが山小屋に着いたのは、あれから二時間近く経ってからだった。

 世界はすでに闇に吞まれていた。

 ヘッドライトの光は雪煙に散らされ、数歩先すらかすむ。

 足を出すたびに雪面が軋み、どこかで崩れる音がする。

 ひとつ踏み間違えば、すぐに底のない闇に堕ちていくだろう。


 ジョージはわずかな地形の変化を追い続けた。

 視界は頼りにならない。コンパスの向き。風の流れ。雪の締まり。足裏の感覚。


 それだけを手掛かりに、足を進める。


 ジョージはヴィンセントの腕を肩に掛けたまま、全体重を受け止めていた。

 肩が潰れそうに軋んだが、体感は揺るがなかった。

 巨体が雪に沈むたび、ジョージは腰を入れて引き起こした。


 やがて、暗闇の中に影が浮かんだ。

 他の闇より濃い、四角い塊。

 小屋だった。


 ジョージは確信すると、言葉を発さずに歩を速めた。

 ヴィンセントの息は荒く、もう支えがなければ倒れる。


 扉に手を掛けるが、凍り付いて開かない。

 躊躇はなかった。

 ジョージは肩で一撃を加え、錆びた蝶番を軋ませながら闇の中に押し入った。


 ジョージは小屋の中を一瞥いちべつした。

 ヘッドライトの光が丸く狭い輪を描き、室内の輪郭をかろうじて照らし出す。


 かび臭い湿った匂いと、アンモニア臭が鼻を突いた。

 視線を落とすと、小動物の排泄物と注射器が散乱している。


 壁には落書き、部屋の片隅には古い缶詰の空き缶、濡れて乾いて膨らんだポルノ雑誌。

 壁は所々腐食しており、隙間風が入り込んでいる。

 人間らしい空間ではなかったが、雪と風を辛うじてしのげるだけましだった。


 錆びた暖炉の傍らには、薪が三束残っていた。

 これは使える。


「ここに座ってろ」


 足で空けたスペースにヴィンセントを座らせた。

 彼は痛みと疲労で頷くことしかできなかった。

 

 ジョージはバッグからマグネシウム棒と麻紐を取り出し、雑誌の乾いたページを破り取った。

 麻紐をほぐし、鳥の巣のようにする。

 薪の端をナイフで削り、細かい木片を作る。


 マグネシウム棒を何回か擦り、生まれた小さな火種は鳥の巣の中で育っていった。

 紙を舐め、木片を噛み、やがて薪に広がっていく。

 死んでいた暖炉に、再び火が灯った。


 それを確認したヴィンセントは、呻きながら暖炉の前へ身を寄せた。


「脱げ」


 ジョージは短く指示を飛ばした。

 ヴィンセントは眉間にしわを寄せ、胸を押さえ、喉の奥でクッと笑った。


「俺に、そんな趣味はねぇよ……」

「……そうじゃない、汗でインナーが濡れている。

 濡れは命取りだ。脱げ。拭く。」

「分かっている。ちょっと揶揄からかっただけだ……

 相変わらず、口数が少ねぇなお前は……そういうところだよ」


 ヴィンセントはウェアに手を掛けたが、胸の痛みに腕が止まった。


「……クソ、動かねぇ。手を貸せ」


 ジョージは無言で近づき、ウェアやシャツを引き剥がした。

 濡れたインナーもゆっくりと脱がせる。


 布が肌から離れると、蒸気が立ち上がり、火に照らされて揺れた。


 あらわになった褐色の鎧のような上半身には、いくつものタトゥーが刻まれていた。

 ジョージはその一つ一つをなぞるように、手際よく汗を拭いていく。


 右胸に会社のロゴ。肩にかつての部隊章。

 背には百合の紋章(フルール・ド・リス)と、3羽の雛に血を与えるペリカン――《《帰れなくなった故郷》》、アメリカ:ルイジアナ州のモチーフ。

 左肩には家族の印。


「腕を上げろ」


 ヴィンセントは顔をゆがめながらも、声を漏らさず従った。

 左腕の内側には、戦死した仲間の名と日付。

 手首には父の最後の心電図。


 そして左胸の奥には、弟の名と日付。


 そのすべてが、過去と現在を刻んでいた。

 ジョージはタオルを走らせながら、黙ってそれを受け止めた。

 タオルで汗を拭き終えると、替えのインナーを着せ、さらにウェアまで整えた。


「……情けねぇな。まるで老兵だ」

「老兵は生き延びる。死んだ若造よりな」

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