面接
「申し訳ありません!」
私は急いで頭を下げて謝った。
もし相手が日本人だったら、本当に土下座していたかもしれない。
『失敗したときこそ、態度が物を言うんだ!』
人間である以上、失敗は避けられない。真の実力とは、失敗しないことではなく、失敗をどう収拾するかにかかっている。
『もちろん、この扉を今すぐ修理できるわけじゃないけど……だからこそ、実際の解決よりも、誠意を見せることが大事だ』
うろたえて何もできないよりも、すぐに謝って、責任を取る姿勢を見せる。それが肝心だ。
「この扉、社員用ローンを使ってでも、できるだけ早く修理を……」
「はっはっは。よい、よい。放っておきなされ。どうせ壊れる運命じゃったんじゃよ」
ギルドマスターは笑いながら、私の言葉を遮った。
「扉が古かったのじゃ。実は明日取り替える予定だったんじゃよ。だから、気にせんでええ」
『……効いた!』
「ありがとうございます!ご恩は決して忘れず、もっと一生懸命働きます!」
ギルドマスターの言葉をそのまま受け取れば、どうせ壊れる扉だったから騒ぐ必要はない、という話になる。
だが、仮に私が黙って壊れた扉を持って突っ立っていたら、果たして同じように済んだかどうか……それは誰にもわからない。
『古くなった扉だったという事実を隠されて、私に責任を押し付け、労働契約で不利な条件を呑ませようとすることもあり得た』
面接も交渉の一種だ。
『自分の価値は盛って、相手の価値は削る――それが交渉術』
だからこそ、私は常に自分がやられる側になる可能性も考えておかなければならない。
「はっはっは!こりゃあ、実に楽しみな新人が入ってきたわい」
『ま、細かいことは置いといて、上役にいい印象を与えられたってだけで充分だな』
逆に、扉を壊して何の対応もしなければ、ギルドマスターに嫌われていたかもしれない。それは大損だった。
「そういえば、孤児院出身だったかのう。名前はそのままなのかえ?」
ギルドマスターは原本の履歴書を覗き込みながら尋ねた。
「いえ、変更しました!マサカオ・ウガと申します!」
「オーガ? なんか特別な意味でもあるのかの?」
『はあ……こんなことなら偽名にしとけばよかった』
説明する言葉が見つからず、私は前に施設長が言っていた言葉を思い出して、そのまま口にした。
「オーガのように強い男になりたくて……マサカオ!ウ!ガです!」
「ふむ……最近、オーガのやつが暴れておるからのう。そなたも聞いておるじゃろう?」
「えっ? あ、はい、まぁ……」
『オーガが出た? それって、かなり危険じゃないか?』
バザール周辺は、もともとオーガが出るような地域ではなかった。
一匹討伐するにも、最低Bランク冒険者が十人は必要な強敵だ。今のバザールの冒険者レベルがゲームと同じなら、Bランクどころか、Cランクですらろくにいないだろう。
オーガ一匹でバザールが壊滅する可能性もある。
『マルコスやアルバスも、良く見積もってDランクが関の山だな』
そもそもCランク以上であれば、病気の親でもいない限り、こんな田舎町にいる理由がない。あの「小女」みたいに。
「心配はいらんぞ。オーガというのは基本的に縄張り意識が強くてのう。バザールまで来るようなことは滅多にないからのう」
ギルドマスターは私の不安を見抜いたのか、穏やかな口調で言った。
『そうなら安心だな』
ゲームでも、ランダムイベントとしてバザール周辺にオーガが出現する可能性はあった。
討伐に成功すれば高価な素材が手に入ったが、無視しても街に被害が及ぶような展開にはならなかった。
ただ、現実の不確実性の前では、そう簡単に安心できなかったのだ。
『まあ、ここでは結構な話題になってただろうな』
「はい!ご配慮いただき、ありがとうございます!」
私は納得し、ギルドマスターに改めて感謝の言葉を伝えた。
「うむ!面接もこれで十分じゃろう。知っておるとは思うが、今日はギルド内を見学して大まかな業務だけ覚えて帰ってよい。明日からが本番じゃ」
「はい!了解しました!精一杯がんばります!」
私は元気よく一礼し、ギルド長室を後にした。
「ほっほっほ、まったく楽しみな新人じゃて」
背中越しに、私を高く評価する独り言が聞こえてきた。
『これなら上出来だな』
ギルドマスターにしっかりとした印象を残せた自信に、私は少し誇らしくなった。
ギルド長室を出て、階段を降りる。
三階では、にこにこ笑っているリシの姿が見えた。
「リシさん!ここで何を?」
『まだ勤務時間中なのに、こんなとこウロウロしてて大丈夫?』
私の知る限り、受付嬢はその名の通り、受付カウンターでのみ業務を行うはずだった。
だが、リシの口から出た言葉は違った。
「マサカオーガさん! 私、ギルド内のご案内を担当することになりまして〜。お待ちしてたんですよ〜」
「え? これは本来、事務室の仕事では?」
「あ〜!本来はそうですけどね。でも、事務室の皆さんはいつも忙しくて、私たち受付は見ての通り、あんまりやることないんですよ〜。だから、手伝えるときは手伝ってるんです♪」
その瞬間、受付業務に退屈していたリシの姿が脳裏をよぎった。
『自分から志願したのか? それとも…。』
担当業務外の仕事に駆り出された彼女を見て、私の中のブラックセンサーが反応した。
『だが……』
今のリシの様子からは、無理やり押し付けられたような不満は感じられなかった。
『むしろ、はしゃいでる……? 余計な心配だったかな?』
もともと笑顔が絶えないタイプではあったが、今は特に上機嫌だった。
『事務室はいつも忙しい……か。こんな田舎町で、そんなに忙しいことがあるのか疑問だけど。ま、まだ判断は早いか。』
どうせ明日になれば、実態はわかるだろう。
「それでは、ご案内をよろしくお願いします」
私は事務室の閉じたドアに手をかけた。
「わっ!ちょっと待ってください!」
その瞬間、リシは慌てて私の手を押さえた。
『……や、柔らかっ!』
何を隠そう。私は年齢=彼女いない歴の男だ。
『いや、今は年下の体を借りてるから、彼女いない歴が年齢より長くなったんだぞ!?』
妙にドキドキしてくる心を押さえつつ、何とか声を出した。
「な、なんですか?」
「そ、その〜……事務室は広くて複雑で、あっ!言ったとおり皆さん忙しいので!事務室は明日の出勤時に見てまわったほうが……えへへ」
俺の声の震えに気づいたのか、リシも慌てて手を離し、照れくさそうに言った。
「あっ、ああ、そうですね!ではそうしましょう、はは!」
たったこれだけのことで気持ちが揺らいだ自分が恥ずかしくて、私はリシの不自然な言葉を深く考える余裕もなく、ただうなずいた。
「……」
「……」
そんなぎこちない空気のまま、私たちは二階へ降りた。
二階の廊下は一階のロビーより狭く、大人が三〜四人並べばいっぱいになる程度の幅だった。
重さの分散に問題がありそうな構造だったが、この世界ではそういった細かい部分は魔法で解決してしまう。
廊下の両脇に並ぶ部屋には窓がなく、中の用途は外からではわからなかった。
私は照れを誤魔化すように先に左側を見た。
そして、ゲームで得た情報を思い出す。
『階段から見て左側……つまり食堂の真上は剣術教室だ。』
その名のとおり、剣術を教える学び舎のような施設だった。
『大きなギルドでは、剣術だけじゃなく、魔法、錬金術、簡単な鍛冶術など、冒険者に必要そうな技術は何でも教えるもんな』
冒険者の実力はそのままギルドの実績に繋がるため、ギルドも投資を惜しまない。
『もちろんタダじゃないし、かなり高額だけど、ギルド所属のサラリー冒険者には特別割引もあるだし』
サラリー冒険者。
私は右側に視線を移した。
一階の簡素な待合室とは違い、くつろげる設備が整った冒険者用の待機室――これがサラリー冒険者専用の部屋だった。
『ギルド内では“冒険チーム事務所”って呼ばれてるけどな』
ギルドも一種の企業だ。
『もし達成条件が簡単で報酬が高い依頼が舞い込んできたら?』
代表的なのは「希少素材採取」のような、難易度はE級だが報酬はC級並の依頼。
『ギルドはその依頼を公開せず、言うことを聞く従順なE級冒険者にこっそり紹介するってわけだ』
難易度はE級、報酬はD級という、甘い誘いの詐欺的な提案だ。
とはいえ、E級冒険者にとっても悪い話ではない。
『例えば報酬をE級=1万、D級=10万、C級=50万と仮定すれば……』
1万のE級冒険者が10万稼げて嬉しいし、ギルドは差額の40万を懐に入れてウィンウィンというわけだ。
これが慣習化して、ギルドは冒険者たちにこう提案し始めた。
「君のランクの平均収入より多く稼がせてあげるから、うちに所属して言うこと聞いてくれない?」
それがサラリー冒険者の始まりだ。
『まさかそういうギルド内の立場を利用して、威張り散らしたりしてないよな……?』
部署間の職務差が、微妙な序列を生むのは、現代企業でもよく見られることだ。
サラリー冒険者の中にも、私の知っているネームドが一人いる。
あいつの性格を考えると、不安しかなかった。
『どうか、穏やかに過ごせますように……』
―カチャッ!
その時、冒険班の事務室の扉が開いた。
「よう、リシィ! 俺に会いたくて来たのか〜?」
開いた扉の向こうから現れた男が、リシィに軽薄な態度で声をかけてきた。
手足はガリガリに細いのに胴体は妙に大きく、顔はいやらしそうな、なんとも癖のある風貌だった。
『しまった! 見た目で人を判断しちゃいけない……』
「ひっ、うぅ……あ、こんにちは、ベルミスさん。こちら、事務班の新入りさんで、ギルドの案内に……」
リシィは露骨に嫌そうな顔をしながら、私を指差して無理やり返事をした。
「ほ〜ん、また一羽、ヒヨコが書類の山に埋もれに来たわけだ。よろしくなぁ。」
『……それでも見た目で判断しちゃいけないんだ!』
「はい。よろしくお願いします。冒険班の正社員の方ですよね? これからお世話になります。」
ふざけた調子で手を差し出してきたベルミスの手を、私は目を逸らすことなくしっかり握った。
『こういうチャラついた奴らは、トラック一杯分くらい相手してきたからな。』
ブラック企業で働いていれば、教育水準が高いはずの現代日本でも、信じられないような無礼者に何人も出会う羽目になる。
目の前で恥をかかせてくるようなやつなんて、まだ可愛い方だ。
『こういうタイプには、第一印象が肝心なんだ。』
こういうチンピラ系は、出会ってすぐに相手との序列を測ってくる。
そして「自分の方が上」と勝手に判断したら、絶対に引き下がらない。
内心で決めつけた上下関係を、現実に証明しようとして、しつこく絡んでくる。
『ビビっちゃダメだ。でも真っ向からやり返すのも違う。落ち着いて対峙して、手短に会話を終わらせる。そうすれば、よほど頭のおかしい奴じゃない限り、だいたいはそれで引いてくる。』
「へぇ〜、まあがんばれや〜。」
予想通り、ベルミスは気が抜けたような顔をして私の横を通り過ぎていった。
だが、このチンピラ野郎は通り過ぎた途端、またやらかした。
「リシィ〜、どうせ暇なんだろ? そんなチャラ男なんか相手にしないで、俺と一勝負しようぜ? 本物の男ってもんを教えてやるよ〜」
そう言いながら、彼はリシィの肩にずいっと腕をまわした。
ほんの少し手が下にずれただけで、すぐ胸に触れてしまいそうな位置だった。
「うっ……お、お願いですから……やめてください……」
リシィはどう見ても嫌がっているのが明らかだった。
私は思わずベルミスに近づき、リシィの肩にかけられた腕をつかんで引き離そうとした。
「やめてください! リシィさんは嫌がっているじゃないですか!」
繰り返すが、私は本来小市民タイプの人間だ。
普段なら、こういう場面で直接出て行くようなことはせず、誰か適任者を呼んできただろう。
だが――3階での一件で、リシィにときめいてしまったのが、思ったよりも私の中で大きな出来事だったようだ。
「なんだと? このクソ野郎が……!」
引っ張ったつもりだったベルミスの腕は、ピクリとも動かなかった。
逆にベルミスが私の手を掴み、そのまま投げ飛ばしてきた。
『D級だったな……』
この世界での冒険者ランクは、実績ではなく「強さの指標」だ。
Eランクは、力が強くてケンカが強い一般人くらい。でもDランクになると、常識の範囲を超えてくる。筋力だけでも、熊やゴリラ並みだ。
「この世界では人を見た目で判断するな」――この言葉は、性格だけじゃなく、物理的な意味でも真実だった。
『ゴブリン見てからどれくらい経ったっけ……ファンタジー世界ってこと、忘れてたな。』
柔道も他の格闘技も習ったことのない私は、受け身のひとつも取れず、背中から床に叩きつけられた。
「ぐはっ!」
一瞬、呼吸が止まった。
『深呼吸だ! 無理矢理でも深呼吸を……!』
狂った呼吸のリズムを必死に取り戻そうとする。
「うわあああ!!! 痛いっ! 痛いってば!!」
そして、ギルドが揺れるほどの声で叫んだ。
『どうか、誰か気づいてくれ……!』
「なんじゃ、この騒ぎは!」
その願いに応えるかのように、階段からギルドマスターが慌てて駆け下りてきた。
『普通なら、階が違えば騒ぎなんて聞こえないだろうけど……ドアが半分開いてたら……いや、壊れてたら……?』
ギルドマスターは恐い顔をして現場を睨み回した。
私はさっきまで床を転げ回っていたとは思えない動きで立ち上がり、ギルドマスターに駆け寄った。
そして、ほどほどに、過剰すぎない程度にオーバーに訴えた。
「ひいぃ〜! ギルドマスター様、命だけはお助けくださいましっ! 初出勤から命が危なかったんですっ!!」
「……なんじゃ、またあんたか。今度は何をやらかしたんじゃ?」
いきなり足にすがりついて泣きつく私を見て、ギルドマスターの顔はまたもや曇っていた。
7/22 内容追加
後半の内容をうっかり抜けたままアップしてしまいました。
補足いたしましたので、お読みいただけますと幸いです。
混乱を招いてしまい、誠に申し訳ありません。