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マケット

念動力で空へと舞い上がると、ほどなくして山を越えた。


「すぐ見えてきましたね」


山と近い地域に自作嶺にしてはかなり大きな霊場が目に入った。


そして、その領地から少し離れた場所には野営する軍勢まで見える。


「マケットまで直行しよう。見つかっても構わないが……できれば見つからずに済ませたい。可能な限り慎重に頼む」


「任せてくださいね、ご主人さま!」


私の頼みに、ウスキは自信満々の声で答え、高度をさらに上げていく。


『なるほど。山のふもとには身を隠す物陰がない。だから真っ直ぐ上へ――雲の彼方まで飛び、視界そのものから外れる気なんだな』


頭では理解できた。


だが、いざ雲に触れそうな高さまで来ると、いくら私でも手が震え始めた。


「こわくても、ちょっとだけ頑張ってくださいね、ご主人さま!」


私の身体を浮かせている張本人はウスキだ。当然、私の怯えは彼女にも伝わっていた。


「わかっうああああっ!」


返事と同時に、私たちは急降下を始めた。


そんな中、私の目の前に何かが迫ったので、反射的に掴んで抱きしめてしまう。


するとそれが、ふっと私の頭を温かく包んだ。


「ふふっ、ぎゅってしててくださいね」


言うまでもなくウスキだ。


「――ッ!!」


私は恥ずかしさも忘れ、必死で小柄な少女の胸元へ顔をうずめた。


永遠に感じられるほど長い――しかし実際には短い落下が終わり、周囲がざわつき始める。


「もう大丈夫ですよ。ご主人さま、すっごく可愛かったです」


その言葉に、私はようやくウスキから離れた。そこには満足げな笑みを浮かべるウスキの顔があった。


「領内に入ったのか?」


「はい、そうですよー」


私は周囲を見回す。


『アゴラ伯爵はマケットの人々を“野蛮人”呼ばわりしてたが……根拠のない悪口だったのか?』


領内の景観は思いのほか豊かで、整った街並みだ。


建材こそ高級ではないが、古びた建物はなく、道もよく整備されている。


『服装も小綺麗だな』


アゴラとは似ているようで違う、不思議な衣装をまとった人々が行き交う。元の世界で言うなら、ゆったりしたワンピース――チュニックに近い服だろうか。


人々を眺めていると、まもなく騎士と兵士たちが駆け寄ってきた。


「何者だ!」


突然空から落ちてきた来訪者を歓迎する者など、戦時中ではあるまい。


だが、私は緊張しなかった。


「マケット子爵殿に提案があり訪ねて参りました。我々を拘束していただいても結構ですが、尋問は子爵殿が直接とお伝えください」


「突然押し入ってきて何をほざく! 戦時の領地に無断侵入は即刻処刑だ!」


「ですがこうして、私たちは話しているではありませんか」


彼らも理解している。空から素手で現れる者が、どれほどの実力者かを。


もちろん飛行魔法がないわけではない。しかし、それを安全に使えるのはまずC級以上だ。


「こ、この生意気な……!」

「待て。やめておけ」


怒鳴り散らしていた兵士を、後ろから制止する者がいた。おそらく隊長格だ。


『定番の手口だな』


最初に短気で、倒されても問題ない手駒をぶつけて敵意を探る。

そして、対話の余地ありと判断した段階で “頼れる上司” が出てくる。


『まあ、意図を看破したからって荒れる必要はない。あの男も話し合いに来たのだからな』


「あなたはどちらさまですか?」


私はあえて先に名乗らなかった。急ぎの用件だという雰囲気を出すためだ。


「私は領地防衛軍ケントゥリオ、コネリウスという。そちらは……?」


「これは失礼。私は――」


名乗ろうとした瞬間、適当な偽名を準備していなかったことに気づく。


ここへ来た目的は“二重契約”だ。アゴラに同じ名を使うのはありえない。


『なんで忘れてたんだ、俺は!? くそ、ならば適当に……!』


「……救援(リベロ)と申します。出自は少々……お察しください。怪しむ意図はありません」


「なるほど。リベロ、良い名だ」


『感情を隠すのが上手いな』


私の勝手な振る舞いにも、コネリウスは一切不快感を見せなかった。


「それでリベロ殿、何の用件でこのような乱暴な手段を?」


「先ほど申し上げた通り、子爵殿に提案がありまして」


「その提案、私が聞いてもよいか?」


「それは困ります」


「……」


ここまで勝手にふるまう私に、ついにコネリウスの眉がピクリと動いた。


「……はあ、わかった。だが子爵に会うには魔法拘束具をつけ、牢に入って格子越しに面会してもらう。よろしいな?」


結局、条件付きで許可を出してきた。


魔法拘束具とは、魔法で強化された拘束具の総称だ。製作した魔法使いと同等のランクではまず破れない。


『それより、ここで即断できる立場なのか? 案外高位の者か?』


私は疑問に思いながらも、兵士たちの拘束に素直に従った。


「ところで、コネリウス殿はそんなに偉い方なのですか?」


先ほど最初に怒鳴ってきた兵士に小声で聞く。


「……」


兵士は無言で私を睨むばかりだった。


『これは……マケット子爵は良い部下を持っているな』


私が彼に失礼したのは自己紹介を省いた程度だ。にもかかわらず、ここまで怒るのは純粋な忠誠心ゆえだろう。


『直接の戦争原因を作った“テロ”さえなければ、良い領主と部下だと思えたんだがな』


だが、そのテロにも何か事情があるのかもしれない。


そんなことを考えている間に、私たちは地下牢へと案内された。


そこは深くもなく、牢も一つきり。通常とは別に作られた“特別な尋問室”だろう。


「入れ」


コネリウスが牢内へ促す。


「では、子爵殿への面会をお願いします。どれほどお待ちすれば? 今日中にお会いできるでしょうか?」


いくら急を要すると言っても、そう簡単に領主とは会えない。小さな店の主人とは違うのだ。


「少し待て」


だが、コネリウスは牢を出ていくでもなく、後ろの部下に軽く顎をしゃくった。


部下たちは頭を下げて退出し、地下牢には私たちとコネリウスだけが残る。


『……ああ、こういう展開、よくあるな』


案の定、部下がいなくなると、コネリウスは振り返り――


「さあ、話してもらおうか」


「その前に一つ、よろしいですかな」


「何だ?」


「コネリウスという名、本名で?」


「……ははは! やはり。普通は“なぜ領主を呼ばない”と怒鳴るところだが……気づいていたのか。答えると、本名だ」


コネリウスは豪快に笑った。


「……戦時中にしては、妙に上機嫌なのですね。コネリウス――いや、マケット子爵殿」


「えっ!!?? し、子爵……!? ……殿?」


いつもなら私の会話中に黙って気配を消しているウスキが、あまりに急な展開に本気で驚いた声を出した。私以外の他人を見下す口調が危うく混じりかけるほどに。


「君の小さなメイドがいてくれて助かったよ。実にいい反応だな、はっはっは!」


幸い、子爵は気づいていないようだった。


……もしくは、気づいていて流しているのかもしれない。


「失礼しました……」


主人の会話を乱したことに、ウスキはしゅんと頭を下げる。


「気にするな」


私は彼女の頭を軽く撫でた。


「上機嫌……か。上機嫌にもなるだろう。君ほどの実力者が、わざわざ礼儀立てて“提案”を持ってきてくれたのだ。悪い気はしない」


子爵は笑いつつも、目だけが鋭く光った。


「まだ何の提案か聞いてもいないのに、ですか?」


私はウスキの頭から手を離し、子爵を見つめる。


「決まっている。敗北濃厚の戦争を抱えた貴族のもとへ、こんな高位の使い手が飛んできた。礼儀を尽くして交渉したいと言ってくる――考えられる種類は限られている。違うかね? ……さて、何が望みだ? アゴラ軍を追い払う、その代価というわけだな?」


『……頭の回転が速い男だ』


「裏の取引を結びたいのです」


「ほう。何を?」


「木材。そして、武器。戦斧です」


「……ふむ。それは無理だな」


『やはりか』


一見、戦時なら武器の取引は好条件のように思える。


だが、この短いやり取りで分かった。

この領主は“征服者”ではなく“統治者”タイプだ。


「木材は悪くない。しかし武器となると話は別だ。君の提案は、戦争が長引く前提で利益が出る。私は今すぐ戦を終わらせたい」


つまり――


「私が欲しいのは君の力だ。この戦を終わらせ、アゴラ伯爵から恒久的な和平を引き出せるのなら、私は支払えるすべてを支払おう。力を貸してくれ」


「……ふうっ」


私は答えずに、隅の寝台に腰を下ろした。


「どうぞ、お掛けください。長くなりそうです」


子爵にも座るよう促す。


『戦争を終わらせてくれ? それは困る』


私が欲しいのは二重契約で利益を最大化することだ。


そのためには、戦争が長引く必要がある。


『もちろん、激戦で一方が速攻で潰れるのも困る』


私は、この領主には絶対に歓迎されない提案を、目の前で通さねばならなくなった。


『協商ガイド』


「交渉を開始します。


交渉当事者:ウスキ(所有者:政嘉男・宇賀)、コネリウス・マケット


交渉タイプ:傭兵契約


交渉目標:戦闘支援の対価としての交易権獲得


交渉ヒント:

①相手は戦争の早期終結を望んでいます。

②あなたは戦争を引き延ばし、裏契約で利益を極大化したい。

③本質は“傭兵契約”です。傭兵とは、より高い対価を払う者につくのが常識です。

④まずは相手の拘束から逃れることが急務。アゴラ伯との縁を匂わせ、あなたの安全は保証されると理解させたうえで、局面を“競り”へ持ち込みましょう。

⑤推奨戦術:“クレーマーの店へ行き、モンスタークレーマーになる”。」


久々に開く交渉ガイドを見つつ、その向こうで顔を強張らせる子爵を見据えた。


「では――交渉といきましょう。どうか、双方に利益ある結末となりますように」


もし鏡があれば、自分でも驚くほど図太い笑みを浮かべていただろう。

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