状況の変化
ウスキとのデートは、なかなか楽しいものだった。
「わあ! ご主人さま! すっごくきれいです!」
「わあ! すっごくおいしいです! ありがとうございます!」
ウスキも終始、笑顔が絶えなかった。
『これが、ただの散歩と“デート”の違いってやつか?』
彼女とこうして街を歩くのは初めてではない。
それなのに“デート”だと意識してしまうだけで、彼女の嬉しそうな反応一つひとつが心の底から嬉しく、報われた気分になった。
『ふふ。メイドとのデート、か。ふふふ』
――決して、私の欲望を満たすためじゃない。
夢中で街を歩き回ったあと、ベンチに腰を下ろして休んでいるときだった。
「ウスキ。楽しかったか?」
「ご主人さま」
デートの締めくくりに軽く尋ねたつもりだったが、ウスキは急に真剣な顔をして私を呼んだ。
「どうした?」
真面目な表情だが、重い空気ではない。私は軽い気持ちで返事をした。
「“スキちゃん”って呼んでください」
「……え? あっ!」
突拍子もない要求に一瞬きょとんとしたが、すぐに思い当たることがあった。
【スキちゃん……早く来てくれ】
――酔っ払った私が、確かにそうメッセージを送っていたのだ。
「そ、それは……」
「……」
――じぃ……。
言い訳をしようとした瞬間、無言で私を見つめるウスキの目が、静かに圧を放った。
――じぃぃ……!
その視線はますます強くなる。
「す、スキちゃん」
「はぁい!」
ウスキは満足げにぱっと笑顔を咲かせた。
『スキちゃん、ね……。うん、なんか口に馴染むな』
帝国語ではどう聞こえているのか知らないが、小さくて愛らしい彼女に日本式の愛称ができたと思うと、不思議と親しみが湧いた。
「実際に呼んでみると悪くないな。これからもスキちゃんって呼ぼうか?」
「ああっ!! そうしてくださるなら嬉しいですっ!!」
「わかったよ。スキちゃん」
再び呼んでやると、ウスキの瞳がきらめき、満面の笑みを浮かべた。
「楽しかったかい、スキちゃん?」
「はいっ! 一生で一番楽しかったですっ!」
そうして新しい呼び名が生まれたところで、私たちは和やかに広場を後にした。
太陽はまだ高く、空は明るい。
――そろそろ、仕事の時間だ。
「スキちゃん。行くところがある。今度はデートじゃない」
「はい。どこへでも」
経緯はどうであれ、高位の実力者であるウスキが私のそばにいる。
昨日までは不可能だった計画を、今なら実行できる。
「戦場へ行こう」
ハイリスク・ハイリターンの極致。戦争中の二国と、二重契約を結ぶ時だ。
*
アゴラを発つ前、マルコスを含む護衛のサラリー冒険者たちに会った。
「バザールへ戻っていい」
もはや彼らが何人いようと、ウスキ一人に勝るものはない。
細かな仕事を任せる用もなく、サラリー冒険者たちはここで役目を終えた。
「管理人を呼んだのか……。なるほど、戦場へ行くつもりだな」
マルコスは、私の意図を察したようだった。
『……まあ、前提は間違ってるがな』
彼は私を過大評価しているらしい。まるでウスキを計画的に呼び寄せたかのように。
ともあれ、サラリー冒険者たちを馬車で帰らせ、アゴラ領を出たのは私とウスキの二人だけだった。
向かうのは、アゴラ近郊で唯一そびえる山。
伯爵との話で、「山の向こうがマケット領」と聞いていた。ならば戦場もこの方向にあるはずだ。
「近くで見ると、すごいわね」
その山からアゴラへと延びる巨大な水道橋。
それがこの領の全ての水を支える唯一の外部導線だ。
「ふむ……スキちゃん。あの水道橋の上へ行ってみよう」
「はいっ!」
ウスキの念動力で私たちはふわりと浮かび、すぐに水道橋の上へと上がった。
――ざああああっ!
まるで川のような水流が、轟音を立てて流れている。
「想像以上だな」
「本当ですね」
下から見上げたときも十分巨大だったが、実際にその上で水を目の当たりにすると、違和感を覚えるほどの規模だった。
『これだけの水を引いて、他の地域は大丈夫なのか……?』
マケット子爵領は山の向こう。
まだ決めつけるには早いが、戦争の根本的原因はアゴラ伯の側にあるかもしれない。
可能性だけ胸にしまい、私は前方へ目を向けた。
水道橋の端には、人が歩ける細い道が続いていた。両脇に柵まであるのを見ると、明らかに人が通るための通路だ。
「スキちゃん。ここの道沿いを飛んで、下に何か見えるまで進もう」
「はい!」
そうして私たちは水道橋に沿って進んだ。
もちろんウスキに前方の探知を任せ、誰かと遭遇しないよう注意していた。
だが、不思議なほど人影はなかった。
『水道橋の管理者がいるはずなのに……全員、徴兵されたのか?』
途中、退屈したウスキが「おんぶして」とか「抱っこがいいです」とか甘えてきたのは、まあ想定の範囲内だった。
そうして馬並みのD級速度で四時間ほど飛び続け、ようやく山のふもとへ到着した。
水道橋は想像以上に長く、山も思ったより高い。
「よし、ここからは歩こう」
アゴラ軍に見つからないよう、私たちは水道橋を降りて徒歩で山を登ることにした。
もちろん見つかった時のための策もあるが、目的はあくまで両陣営との二重契約。ならば、気づかれずにマケット子爵と接触するのが最善だ。
『こりゃ、骨が折れそうだな』
水道橋を見上げながら私はつぶやいた。
当然、上流から下流へ水を流す構造上、道は上り坂だ。
それでも仕方がない。最も安全に全体を見渡すには、山を越えて頂上から状況を把握するしかないのだ。
「行こう」
「少しお待ちください、ご主人さま」
出発しようとしたところで、ウスキが私を止めた。
「どうした?」
「この先――いえ、この山全体から、魔法の気配がします」
「魔法?」
「はい。詳しくは調べてみないとですが……おそらく大規模な還元魔法と水生成魔法です」
「水生成……か」
私は再び山を見上げた。
『水源になりそうなものは、どこにも見当たらないな』
富士の国の出身として断言できる。この山は火山ではない。
火山でなければ、こんなに大量の水を常時供給できる天然湖など生まれない。
『還元と水生成の魔法……つまり……』
ウスキを見ると、彼女もすでに同じ推測にたどり着いている表情だった。
「確認してみよう」
「はい。少々お待ちを」
ウスキは一歩前に出て、前方をじっと見つめた。
感応魔法を使っているのだろう。
B級ともなれば、簡単な魔法は詠唱なしでも扱える。つまり、マナを直接操作して魔法的効果を発動させることができるというわけだ。
やがてウスキがこちらを向き、報告した。
「還元魔法の影響範囲は山の表面から低層域にかけて形成されています。水道橋の上は安全です」
「ふむ……」
安全とは言い難い。山を越えて反対側の様子を探る計画に、早くも支障が出た。
「もし山に降りたら、どうなる?」
「還元魔法は生命には効きません。だから大事にはなりませんけど……服は徐々に消えますね。まあ、私はご主人さまと山歩きできるなら嬉しいですけど? どうします? 降りますか?」
ウスキがわざと鎖骨を見せるように体を傾けて言う。
成長途中で止まってしまった華奢な胸元でも、そうされると妙に色っぽく見えた。
「と、とにかく進もう!」
私は慌てて顔を背けた。
そんな私の様子に、ウスキがくすくす笑う気配がした。
もちろん、照れて目をそらしたわけじゃない。
自分がロリコンみたいに思えて怖かったのだ。
『まだ、その領域は受け入れられん!』
ともあれ、私たちは安心して歩き始めた。
歩きながら山の下を見下ろすと――。
「山が、死んでいく」
全体的に、生気というものが感じられなかった。
「それは当然です」
ウスキが穏やかに説明する。
「山全体に広がる還元魔法は、たじかに生命には効きません。でも、木から落ちた葉、動物や魔物の排泄物、死骸や枯れ木……“生”を失ったものはすべてマナへ還ります」
命の循環。
死が養分となり、新たな命が芽吹く。
この還元魔法が、その循環を断ち切るのだ。
「つまり、養分になるものが消えるから、植物が弱り、連鎖的に山全体が死んでいくわけだな」
「その通りです」
これで、ほぼ確信が持てた。
――この戦争の責任は、マケット子爵だけではない。
「ウスキ。飛ぶぞ。見つかっても構わん」
「はい」
両貴族との、腰を据えた話し合いが必要だと痛感した。




