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彼女、登場

目を開けると、見たことのない部屋だった。


昨夜、最後のほうで少し飲み過ぎたせいか、まだ胃のあたりがむかむかしている。


『そうだ、酒を浴びるように飲んで酔いつぶれて、記憶が飛んだんだったな。誰かが運んでくれたのか? まさか、何かやらかしてはいないだろうな……?』


自分の状態を理解した途端、胸の奥にいやな予感が走った。


その予感が正しかったと証明する気配を、私は数秒もしないうちに感じ取った。


「……ウスキ? 外にいるのか?」


この一ヶ月ほど、ぼんやりと感じていた私の奴隷の気配――それがまさに扉の向こうにあった。言葉では説明しにくいが、私はその気配がウスキのものだとすぐにわかった。


「入ってもよろしいですか、ご主人様?」


やはり、彼女の声が返ってきた。


「う、うん。いい。」


私の許可とともに、ウスキが静かに扉を開けて入ってきた。


『さすがB級。馬車で十日かかる距離を一晩で横断できるのか……。手も使わずに物を操る姿を見るのは久しぶりだな。』


そんな呑気な感想を抱いているうちに、ウスキは私の目の前に立っていた。


『……よく寝たのに、まだ酒が残ってるらしい。』


腰に手を当て、半目で、頬をぷくっと膨らませ、唇を固く結んでいる。誰が見ても怒っている顔だ。


『怒ってる姿も可愛いと思ってしまうあたり、本格的に頭が回ってないな。』


ウスキは奴隷になって以来、私のすべてを肯定してきた子だ。


この表情も、本気で怒っているのではなく、「主人が叱られるべきことをしたから仕方なく演じている」のだろう。


だからこそ、私はまだ危機感が湧かない。


『考えが間違ってる。問題は、ウスキに“主人を叱らなきゃ”と思わせた行動が、いったい何だったかだ……。』


記憶のない間に、私は何をしたのか。考えても答えは出ない。正直に聞くしかない。


「ウスキ。……私、何か失敗したか?」


「……。」


私の問いを無視して、半目のままじーっと睨んでくる。奴隷になってから、彼女が私の言葉を無視したのは初めてだった。


さすがに心配になってきた頃、ウスキがふっと肩の力を抜いた。


「はぁ……。本気で怒るなんて、やっぱり無理です、ご主人様には。」


ため息まじりにそう言って、苦笑する。


その姿が、かえって私を不安にさせた。


「……本当に、何をしたんだ? とりあえず謝ったほうがいいか?」


「主人様。ライン、一度開いてみてください。」


私が焦り始めたところで、ウスキがようやく答えをくれた。


そして次の瞬間、彼女はふわりと私の胸元に抱きついてきた。


「ご主人様が自分の失敗に気づくまで、埋合わせです。今日は他の人が見ていても離れませんからね。」


「……ああ。」


私が許すと、彼女は満足げに微笑み、頬を私の胸にすり寄せた。


「すぅ……ふわぁ~。主人様の匂い。懐かしい……。ちょっとお酒の匂いも混じってますけど。」


私は苦笑してラインを開いた。


【主人様。今日もお変わりありませんか? お仕事は無事に終わりました?】


最初はいつも通りのウスキの挨拶。


【スキちゃん……早く来てくれ】


【え? 何かあったんですか?】


【大変なんだ】


【え!? わかりました、すぐ行きます! 今どんな状況ですか?】


【もう駄目だ、まともに歩けない】


【けがを!? 護衛に付けた冒険者たちは!?】


【みんな同じだ。ふらふらだよ。】


【今バザールを出ました! 夜明けには着けます! それまでどうか無事で!】


【早く来て。】


【主人様? ご無事ですか?】

【主人様?】

【主人様?】

【主人様!!!】


――その後は、ウスキからの一方的なメッセージだけが続いていた。


文字だけで、彼女の焦りと絶望が手に取るように伝わってくる。


「……。」


私は画面を閉じ、目元を覆った。


自分が、心底情けないと思ったのは初めてだった。


「全部、見られました?」


胸の中から、ウスキが小さく顔を出して尋ねる。


私は何も言わずに、彼女を強く抱きしめた。


「ん♡ ふふっ。こんなにサービスしてもらえるなら、夜通し走ってきた甲斐がありますね。」


どんなにみっともない姿を見せても、笑って無限に私を肯定してくれる――その優しさが胸に痛い。


「ごめん。心配かけたな。」


彼女に、迷惑をかけすぎた。


これでは、「あの女神」と同じだ。いや、それ以下かもしれない。女神には少なくとも「世界を救う」という目的があった。だが私は、何の理由もなくウスキを呼びつけ、彼女を不安の中で走らせた。


自分が嫌になる感情に押されて、私は無意識にウスキをさらに強く抱きしめた。


「はぁっ、はぁっ……ご、ご主人様……それ以上は……だ、駄目です……!」


耳元で掠れた声がした。


「あっ! ご、ごめん、苦しかったか!?」


慌てて腕を緩める。


「はぁ……っ、はぁ……っ、んっ……。」


ウスキは頬を真っ赤に染め、肩で息をしていた。


『くそっ、こんなときまで自分の気持ち優先か……!』


彼女の様子を確かめもせず、衝動的に抱き寄せた自分が恥ずかしくなった。…という自責のため、B級の臼杵が一般人の私に、たとえ首が絞められても息が詰まるはずがないという事実を忘れた。


「……悪かった、苦しかっただろ。」


手を伸ばすと、ウスキが慌てて一歩下がった。


「い、今は駄目です!」


『……ああ、ついに拒まれる番か。』


妙に胸が痛かった。

これまでほとんど一緒にいたせいか、いつの間にか情が深くなっていたのだろう。


「……ごめ――」

「今、主人様に触れたら……わ、私……襲っちゃうかも……!」


心臓を押さえ、苦しそうに言う彼女。


「……え? 今、なんだって?」


「はぁ……はぁ……。もう一度、主人様の温もりを感じたら……我慢できませんっ! 主人様の許しなしに触れるなんて……そんなの駄目ですからっ!」


その言葉に、私は思わず彼女を見直した。


真っ赤に染まった頬、艶めいた吐息、そっと擦れ合う太腿。


「こ、こほんっ! あー……そ、それじゃ、お互い少し落ち着こうか。」


私はわざと咳払いし、視線をそらした。


だが、心の奥では深い安堵を感じていた。


「……。」

「……。」


沈黙のあと、私はおそるおそる声をかけた。


「もう、大丈夫か?」


「はい。もう我慢できるようになりました。待ってくださってありがとうございます。」


『我慢できるようになった……か。』


その意味は考えないことにして、明るい声を出した。


「せっかくここまで来たんだし、ちょっと散歩でもしようか。領地の中心に変わった広場があるらしい。行ってみるか?」


「えっ!? そ、それって……デ、デートですか!?」


ぱっと輝いた瞳。私は目をそらさず、苦笑した。


「……ああ。今日だけはな。」


「やったぁ!」


『今日くらい、いいだろう。』


いつもなら誤解を招くことを避けたが、今日は私にも非がある。好きに勘違いさせてやろう。


ウスキなら、この一日だけ特別だとわかってくれるはずだ。


「それじゃ、すぐ支度してきますね! 外で待っててください、主人様!」


「ウスキ、待て。」


「はい?」


嬉しそうに飛び出しかけたウスキを呼び止め、私は彼女の手に数枚の預金証書を渡した。


「これは……?」


「昨日稼いだ分だ。必要なぶんは手元に残してある。あとはお前が管理してくれ。そっちのほうが安全だからな。」


この世界で、私がこれまで運よく強盗やチンピラに出会わなかったのは奇跡に近い。特に昨日なんて、全員が酔いつぶれていたら、百万ゴルドが一晩で消えていてもおかしくなかった。


「その金で、好きなだけ着飾ってこい。ただし浪費はするなよ。私は酒でも抜いておくから、ゆっくり準備して来い。」


「わぁっ! 大好きです、ご主人様!」


ウスキは満面の笑みで駆け出していった。


――そして一時間後。


宿の外で再び出会った彼女を見て、私は言葉を失った。


「わぁっ! ご主人様、すっごく素敵ですっ!」


彼女が感嘆の声を上げた。

私はアゴラ独特の衣装――トーガを身にまとっていたのだ。


「……。」


一方、私はただ呆然と彼女を見つめていた。


「えへへ……ど、どうですか? 似合ってますか?」


照れながら裾をつまむウスキ。


「……あ、ああ。確かに、似合ってる……な。」


曖昧な答えが口をついた。なぜなら――ウスキが着ていたのは、メイド服だったのだ。


『……いや、どこで手に入れたんだよ、それ。いや、伯爵邸にもメイドはいたし、探せば見つかるかもしれないけど……。』


だが問題は、彼女のそれが本物のメイド服ではなく、コスプレ用だったということだ。

短いスカートと黒スト、絶対領域、肩をかすめる半袖、露わな鎖骨、可愛らしいカチューシャとチョーカー、小さな足にぴったりの靴――。


「……それがデートの服装か?」


思わず聞くと、ウスキははにかみながら答えた。


「だって、私はあくまでご主人様の奴隷ですもん。服装くらいで、同じ立場になんてなれません。メイドの姿をしているだけでも、本当は身の程知らずなんです。」


少し寂しそうに笑い、私の顔色をうかがう。


確かに、普通の主人なら許さなかったかもしれない。


奴隷とメイドでは立場が違う。メイドは雇用関係であり、休みも給料もある。だが、奴隷には何もない。


けれど――私は違う。


「ウスキ。その服、何着買った?」


「え? えっと……今日のデート用に一着だけ……。」


私は「優しい主人」として、彼女の甘えを受け入れることにした。


「よし。じゃあ、まずその店に行こう。最初のデートは服の買い物だ。同じ服を何着か買うぞ。それから――ウスキ、少なくとも私の前では、それ以外は着るな。私のメイドになれ。これは命令だ。異議は認めない。」


そう言って、私はもう歩き出していた。


すべては、ウスキの“奴隷からメイドへ”というささやかな昇格願望を叶えるため――決して、私の趣味ではない。


「え、えっ? はい!? ……あ! はい!」


ウスキは一瞬ぽかんとした後、何かを悟ったようにうなずき、私のあとを慌てて追いかけてきた。

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