戦時に有り勝ちな状況
『あれ? そういえば、交渉ガイドのことを忘れてたな』
相手がモンスターだからだろう、無意識のうちに交渉ガイドを除外していたらしい。
『モンスター相手でも、強制交渉権なしで会話が通じる場合って、どうなるんだ?』
考えるより先に、私は交渉ガイドを開いてみた。
「待機中」
『やっぱりダメか』
交渉ガイドを起動せずに交渉しても、結果は常に画面上に表示されたまま残る。
つまり、もしガイドが作動していたなら、結果がちゃんと表示されているはずだ。
『なら、次にモンスターが相手でも気にしなくていいな』
ポイント稼ぎのために、いちいちモンスター用の強制交渉権を買って使うこともできるが、以前のドー・シェパーチの件を思えば、軽々しく使う気にはなれなかった。
もちろん、アケボノのときの経験からすると、モンスター用と人間用の交渉権には難易度の差があるようだったが、モンスター交渉権の失敗ペナルティは命に直結する。軽い気持ちで使う代物じゃない。
むしろ、交渉ガイドなしで進める方が気が楽だ。
『とにかく、武器を手に入れたんだ。売りに行こう』
私たちは斧を荷台に積み、再び伯爵領を目指して馬車を走らせた。
数日走り、到着予定日の朝。走り始めてまだ間もないころだった。
「おおいっ、止まれぇいっ!」
誰かが道の前方で私たちを制止した。
「……何だ?」
「どうしたんだ?」
田舎育ちの冒険者たちはまだ状況を掴めていないようだった。
だが、私とマルコスは顔色を変えていた。
『戦時中の領地へ向かう馬車を止めた……。アゴラ側か、それとも敵か。どちらにせよ、いい兆しじゃないな』
アゴラ側の検問なら問題ないと思うかもしれない。実際、危険察知に長けた冒険者たちがまだ動じないのもそのせいだろう。
だが、アゴラ領はすでに城壁で完全に囲まれた領地だ。
戦争中だからといって、わざわざ半日も外に出て検問をする必要などない。
つまり――もし本当にアゴラの兵がやっている検問なら、ただ事ではないということだ。
戦いに敗れて城が包囲され、籠城しているのか。あるいは戦争の最中でも、後ろ暗い何かを企んでいるのか。
マルコスは傭兵出身で、そういう事情には詳しい。
「何の用ですか?」
御者が慎重に声をかけた。
「一度降りて様子を見ましょう」
私たちは馬車を降りた。
目の前にいたのは十人ほどの一団。見た目はごく普通の冒険者だった。
私は思わず身を強張らせた。
アゴラ側の検問でも好ましい状況とは言えないが、もし敵側ならなおさらだ。
アゴラ側なら鎧を着ているはずだが、彼らは軽装だった。
「ちょっと荷の中を見せてもらってもいいですかね?」
丁寧な口調ではあるが、ゆっくりと歩み寄るその態度は、確認ではなく命令だということを物語っている。
「……」
『やるか?』
横からマルコスの視線を感じた。彼の目がそう問いかけている。
『交渉は……無理か?』
私は反射的に交渉ガイドを開いた。
「交渉を提案できます。
① 相手はマケト子爵の騎士団です。
彼らは現在、密かにスパイ活動を行っています。大きな騒ぎを起こすことを嫌っています。
② あなたは所持する武器で交渉を提案できます。
アゴラ伯爵へ武器を売りに行く途中であることを正直に明かし、横流しを提案してください。
③ 提案どおり交渉を開始した場合、交渉目標は『戦斧の全量販売:目標収入三百万ゴールド』です」
初めて見る内容だった。
私は一瞬、混乱した。
『何だこれ……あっ!』
そういえば、これまではいつも、私か相手が交渉を切り出してからガイドを開いていた。
『つまりこれは、交渉が可能な状況で自動的に表示されるメッセージか?』
使い始めてまだ一ヶ月も経っていないが、どうやら新機能ではなく、今まで知らなかった既存機能を見つけたらしい。
『こんなのあるなら、最初から教えてくれよ!……って、誰が?』
自分でツッコミを入れ、すぐにマケトの騎士たちを見て意識を戻した。
『この機能はあとで調べよう』
どう見ても、私の知らない情報が平然と書かれている。
彼らが敵側だとは察していたが、「子爵の騎士」だとは知らなかったのだ。冒険者か傭兵だと思っていた。
もし私の推測が正しければ、これはかなり重要な機能だ。
『まずは、目の前の連中からだな』
私はスパイ団のリーダーらしき男を見据えて、静かに口を開いた。
「率直に申し上げますが、我々はアゴラで戦争が起きたと聞き、武器を少し売りに来ただけの小商隊です」
「ほう? そうかね。それでも一応、中を確認してもいいだろう?」
私が話しても、彼らは歩みを止めなかった。
「いいえ」
―ドンッ!
私の返事が終わるより早く、マルコスが前に出て斧を地面に叩き立てた。
『交渉ガイドは、彼らに武器を高く売れと言っていたが、今の私の取引相手はアゴラ伯爵だ。後で問題になったらどうするつもりだ』
私はこの状況を切り抜けるためにガイドを開いただけで、裏切るつもりなどなかった。
信頼を築くのがビジネスの基本だ。それを投げ捨てろというガイドの提案は、まるで関係を壊せと命じているようなものだ。
『未来を見通して最適な提案をするだと? 全くの嘘じゃないか。……にしても、私はなぜそれを知っている?』
最近、記憶と知識の齟齬が妙に増えている。
『ともかく、今は目の前のことに集中だ』
「まずは、あなた方の身分と検問の理由を明かしてください。正当な理由があるなら、喜んで協力します」
元の世界なら当然の要求だ。
「ふん……」
―シャリンッ!
相手の隊長らしき男がため息をつくと、部下たちが一斉に剣を抜いた。
「今、前方で何が起きてるか分かってないのか?」
「分かってます。先ほど説明したはずですが」
ますますあからさまに敵意を見せる彼らに、私は毅然と向き合った。
元の世界だったとしても、戦時下で常識など通じない。生き延びたければ、身を低くして従うのが正解だ。
だが今、私が強気でいられるのは、マルコスへの信頼があるからだ。
彼は表情こそ乏しいが、態度に滲む感情は分かりやすい。
もし勝てない相手なら、すぐに苦い顔を見せていただろう。
だが今のマルコスは――自信満々な眼差しで、戦う気満々だった。
だから私は、隊長が目前に迫っても動じなかった。
『もちろん、実際に始まったら即座に馬車に逃げるけどな』
「状況を知っていながら、そんな態度を取るとは……舐められたものだな」
―シャキン!
隊長が剣を抜いた。
私はマルコスの方に顔を向け、低く囁いた。
「できるだけ派手に戦ってください。アゴラの兵が近くにいたら、きっと気づくはずです」
さっきガイドでも、彼らが最も恐れるのは“騒ぎ”だと出ていた。
「それなら、俺の得意分野だ」
マルコスが口角を上げ、斧を構え直したそのとき――
―バキッ!
少し離れた森の方で、枝を踏み折る音がした。
全員が同時にその方向を見る。
マケトの騎士たちの背後から、アゴラの兵たちが現れたのだ。
「見つかったか! 全員突撃だ! 奴らを捕らえろ!」
叫び声とともに、アゴラの兵たちが駆けだした。
「ちっ! ただの商人じゃなく、アゴラの手先だったか! 恥を知れ!」
「恥ずかしいことなどありませんよ。ビジネスですから」
私はマケトの騎士たちの怒号を、冷ややかに笑い飛ばした。




