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開戦

「ちっ!」


怪しい男が舌打ちすると、すぐに逃げ出そうとした。


「D級か」


その動きはまさにD級レベルだった。


「抑えておけばいいんだな?」


だがマルコスは落ち着いた様子で男の前に立ちはだかり、私に尋ねた。


「どけっ!」


D級の男は止まることなく、そのままマルコスに体当たりをかけた。


――ドンッ!


「D級になったばかりか。遅いし、弱い」


マルコスは斧の柄を立て、男の突進をいとも簡単に受け止めた。


「くっ! やあっ!」


攻撃を防がれた男は諦めず、いつの間にか短剣を抜き放ち、マルコスに斬りかかった。


「ふん」


マルコスは鼻で笑い、一方の手をすっと伸ばす。意外なほど繊細な動きで短剣を受け流し、男の手首を掴んだ。


――ギリッ!


「ぐあああっ!」


そのままマルコスは力を込め、男の拳を握り潰していく。


――カラン!


「ぎゃあっ! 離せっ!」


結局、男は短剣を取り落とし、もがき始めた。


「少し眠っていろ」


――ゴンッ!


「ぐっ……」


マルコスは退屈そうに呟くと、掴んでいた腕を引き寄せ、男の頭を先ほど立てておいた斧の柄に叩きつけた。男はそのまま気絶した。


『オークのとき以来だな。マルコスが戦うのを直接見るのは』


あの時も感じたが、マルコスはその荒々しい性格とは裏腹に、戦い方が驚くほど繊細だ。


大きなバトルアックスを主武器にする者といえば、直線的で力任せの戦いを想像しがちだが、彼の動きはむしろ優雅ですらあった。


『格上と戦う術をよく知っている……。もしランクが上がれば、その階級の中でも最強の一角になるだろうな』


いくらランクがすべての世界とはいえ、こんな人材がなぜバザールのような田舎で活動しているのか、不思議でならなかった。


「ほう……ずいぶん詮索したそうな顔だな。だが、俺の事情を話す気はない」


「ええ、分かりました」


マルコスは私の心中を読んだように先手を打った。


だが、そんな器用で有能な面を見せられるほど、私の疑念はむしろ深まっていった。


「それにしても、いくらD級とはいえ、お前、目で見て戦いを把握していたな。ただ者ではない」


「えっ? ははは……光栄です」


私は余計な説明もせず、ただ笑って誤魔化した。


『元の世界で暇つぶしに格闘技の動画をよく見てただけなんて、言っても分からんだろう』


「とにかく、あの男が下水に怪しい液体を流していました。何かは分かりませんが、もしアゴラで騒ぎが起これば、私たちの交易にも支障が出ます。とはいえ、外部の者が出しゃばるのもよくありません。まずは衛兵に引き渡しましょう」


「分かった」


私たちは衛兵詰所へ向かった。


詰所の前では、ちょうど巡回中らしい衛兵三人と出くわした。


私はその中で一番位の高そうな男に声をかけた。


「こんにちは。この者が下水に何か怪しい液体を流していたので、捕らえてきました」


「ほう、見ない顔だな。身元を伺ってもよろしいか?」


領地の安全を預かる者らしく、こちらの素性を丁寧に確認してきた。


『ずいぶん礼儀正しいな。まあ、この世界では別に珍しくもないか』


この世界でも公務員は薄給で、衛兵の中にC級以上の実力者は少ない。


だが、大きな領地で活動する冒険者の中にはC級も多いため、規模の大きな都市ほど衛兵は腰を低くするのが常だ。


もちろん、実力を鼻にかけて衛兵を侮辱でもしようものなら、領主が直接処分を下す。だから腕に覚えがある者でも、衛兵の言葉には逆らわない。


「私たちは――」


私は自分たちの身分を簡単に説明した。


すると、相手も名乗りを上げた。偶然にも、その男はこの地区の衛兵隊長だった。


アゴラのように大きな領地では、衛兵隊長といっても区域ごとに配置されており、全体の治安は領主直属の騎士が総括している。


お互い自己紹介を済ませ、簡単な雑談を交わしたのち、私たちは捕らえた男を引き渡してその場を離れた。


「ついにーー始ーーー」


背後で衛兵隊長が何か独り言を呟いたが、よく聞き取れなかったし、人の独り言を盗み聞きする趣味もないので、そのまま歩き出した。


「……」


だがマルコスが振り返り、じっと衛兵たちを見据えていた。


「何かありましたか?」


もともと彼は常に睨みつけているような顔つきなので、軽く尋ねただけだった。


「いや、何でもない」


マルコスは肩をすくめて再び歩き出した。


私も特に気にせず、そのまま衛兵詰所を後にした。


しばらくして、ふと気になって尋ねた。


「マルコスさんは、どうしてあんなタイミングで現れたんです? 偶然ですか?」


「ふん」


マルコスは鼻を鳴らした。


「金を受け取った以上、確実に仕事をこなす。それが傭兵の鉄則だ」


つまり、私が休めと言っても、見えないところからずっと見張っていたということだ。


「そうでしたか。おかげで助かりました。ありがとうございます」


『まあ、結果的には助かったんだ。これからはマルコスに護衛を頼むときは、常に監視されてると思っておこう』


正直、許可もしてないのに行動を見張られているようで気分は良くなかったが、それも彼の仕事の一環と考えれば仕方ない。


『傭兵出身ということでギルド長に反対されたけど……こういう点はむしろ冒険者より信頼できるな』


考えようによっては、休み時間まで返上して働いているようなものだ。褒めて然るべきだろう。


『まあ、子どもみたいに広場の外壁を駆け上がってたことを見られなければ、素直に褒めてたけどな』


もちろん口には出さなかったが、あれを見逃すほど鈍くもないだろう。


恥ずかしさが勝って、褒め言葉は出てこなかった。


「ではマルコスさん、休まず私の護衛を続けるつもりですか?」


「ああ」


マルコスはあっさりと答えた。


『一人旅の気分を味わいたかったんだがな……』


私は心の中で小さくため息をついた。


「では、一緒に行きましょう。そのほうが安心できます」


「そうするつもりだった。何が起きるか分からんからな」


不吉な言葉を添えて。


こうしてせっかくの休暇は、マルコスと気まずく過ごすことになった。


そして翌日――

彼の言葉の意味を、すぐに思い知ることになる。


「……マーケット子爵のやらかした今回の件、もはや看過できぬ蛮行である! 勇敢なるアゴラの戦士たちよ! 武器を取れ! 裁きの時が来たのだ!」


魔法で作られたホログラムのような映像が、広場の外壁の向こう、空高く浮かび上がる。そこには伯爵の姿があり、領地を見下ろして開戦を宣言していた。


「これで交易にも支障が出るんでしょうか?」


私は急いでフラヴィスを訪ね、事情を尋ねた。


「ええ、ご安心ください。当主様のご配慮で、我々商会は特別にバザールとの交易をために兵站義務を免除されました。すべてマサカオ様のおかげだと」


どうやら伯爵の配慮がすでにあったようだ。


「それはありがたいですね。ですが、“すべて”とは?」


少し肩の力が抜けた私は、軽い気持ちで聞き返した。


「今回、マーケット子爵の企みを暴かれたのはマサカオ様でしょう? そのおかげで我々も助かったのです。我が商会の規模を考えると、補給がかなり減っているのにですね」


「なるほど」


私はどこか誇らしい気分で頷いた。


『……戦争物資、か』


その瞬間、私は新たな商機を直感した。


倫理的にはともかく、国家単位で見れば、隣国の戦争ほどの好機はない。


実際、日本が戦後復興を加速できたのも、隣の韓国の内戦による特需のおかげだった。


『オーク製の斧、品質検査を急がないとな』


「マルコスさん、すみませんが、サラリー冒険者の皆さんをもう一度集めてください。予定を変更します」


「分かった」


私は数日間のんびり休むつもりだった計画を、またしても変更することになった。

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