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水の広場

広場の内部は、確かに剣闘場ではなかった。


「美しいな……」


思わずそんな言葉が口をついて出た。


広場という名の通り、公園のように広く造られ、所々に店が並んでいた。


一つ特徴的だったのは、人の腰ほどの高さにある小さなローマ式送水路が両脇に延び、まるで道のように続いている点だった。


その水路には清らかな水が流れ、時折、アーチ橋の下から小さな水の筋が流れ落ちていた。


『市民の衛生観念も立派だな。これもアゴラ伯の采配なのか?』


人々の様子を見ていると、彼らはその流れで手を洗い、さらに水をすくって飲んでいた。


地面は石で丁寧に舗装されており、水路の真下――つまり水が落ちるあたりには、道路脇の下水口のように床が空いている部分が見えた。


下水口と言っても、その中の水は透明で澄んでいた。


その下を魚がときどき泳ぎ、自由に行き来している。


『床ではなく、大きな橋の上に立っているようなものか』


つまりこの広場は、地下全体が大きな池になっていて、その上に石を敷き、人が歩けるように造られているのだった。


小さな水路はそうして続いていき、店の前で途切れては、残りの水がそのまま曲線を描いて落ちていく。まるで店の入口を飾る噴水のように見えた。


店は水路の奥にあり、入る部分には人が二人並んで通れるほどの覆いがあったので、通行には不便がなかった。


「ここは何を売っている店なんだろう?」


どこかで嗅いだことのある香りに誘われて、私は近づいて尋ねた。


「トマクラだ。ここは焼いて売っているな」


不意に背後から答えが聞こえた。


マルコスだった。


「マルコスさんは、ここに来たことがあるのですか?」


振り返って尋ねると、彼は答えた。


「昔、現役の頃によく仕事をしたものだ。アゴラ伯と、あの山の向こうにいるマークト子爵が仲が悪くてな。依頼が多かった」


傭兵の仕事――つまり戦いが多かった、という意味だ。


「なるほど。ところでトマクラとは?」


「豚の腸に肉を詰めた料理だ」


「おお!」


つまりソーセージのようなものか。


「せっかくだし、記念に買ってみましょう」


銀行から借りた金はまだ手つかずで持っていたので、旅費には余裕があった。


「ここだけの食べ物ではないが、まあいいだろう。少なくともバザールでは見かけぬ料理だからな」


「皆さんは、ある意味私がただで雇っているようなものですから。せめて食事くらいは私が持ちますよ」


「やった!」

「ありがとうございます!」


私は皆にトマクラを配り、自分の分も買った。


そして歩きながら、一口かじる。


『おおっ! これは肉の旨味がすごい!』


思わず感嘆する。


焼肉とホルモン焼きを混ぜたような脂っこさに、少しの塩味。そして圧倒的な肉の香り。


一口かじれば重すぎるほどの風味が口から鼻へ突き抜け、飽きるかと思えば、飲み込んだ瞬間にまた欲しくなってもう一口食べずにはいられない濃厚な味わいだった。


『これは期待できる!』


出張で来ているとはいえ、せっかく遠出しているのだ。仕事だけして帰るわけにはいかない。


私は旅先では新しく美味いものを食べることに全力を注ぐタイプだ。


私はトマクラをあっという間に平らげ、次の店を探した。


『肉饅!』


食べて、


『魚のフライ!』


食べて、


『これは豆……か?』


とにかくまた食べた。


そうしているうちに……。


「ぐぅぅぅ……」


『食べすぎた……』


苦しくなった腹を抱えて、水路に体を預けた。


「何をしている」


マルコスは、私と同じように食べていたはずなのに平然とした顔で、串に刺したオリーブのような実の塩漬け――サリオをつまみながら、呆れた視線を投げてきた。


『マルコスは相当な大食いだったのか』


もちろん、彼は鍛えているのだから食べる量も多いのだろう。


私は片手を水路の下に伸ばし、落ちる水でざっと手を洗ってから水をすくって飲んだ。


―ごろごろ。


「マルコスさん……。この辺に、トイレはありますか……?」


食べすぎたせいで腸が暴走しているところに冷水を飲んだものだから、腹が完全に悲鳴を上げた。


「お前、本当に何をやっているんだ。広場の中には便所はない。万が一にも水が汚れることがないようにな。外壁の方まで行かねばならん」


「くっ! よりによって……! わかりました、失礼します!」


私は目指していた方向へ必死に走り出した。


「馬鹿者。護衛対象が護衛から離れてどうする」


すぐに私の護衛たちが追いついてきた。


私はただの一般人。彼らはマナ覚醒者。速度の差は明らかだ。


「こ、こんなことなら、誰かにおぶってもらえませんか!」


その方が早いと思い、叫んだ。


「馬鹿を言うな。尻に力を入れて黙って走れ。誰が好き好んでお前を背負うものか。何が起こるかわからんというのに」


マルコスが冷たく言い放った。


「背負ってもらう間に失敗するくらいなら、このまま走っても未来は決まってるじゃないですか!」


「その時はお前の護衛を諦めて、バザールを離れるまでだ」


「冷たいことを言いますね!」


その口調が冗談に聞こえず、恐ろしくなった。


『何より、そんなことになればファインギルドもバザールも終わりだ!』


誰が、股間にあからさまな染みを作った人間と真剣に交渉するというのか。しかも高貴な貴族相手に。


もし交渉に失敗すれば、バザールは再起の機会を失い、ファイン商会も潰れ、勇者を十分に支援できず、勇者が魔王に敗れる。


私が便所に行けるかどうかに、ファイン商会とバザール、ひいては世界の運命がかかっていた。


そうして、思いがけず世界の命運を賭けた自分との戦いを繰り広げつつ走っていると、前方から威厳と知性を兼ね備えた雰囲気の男が歩いてくるのが見えた。


顔立ちはまだ若々しいのに、髪は真っ白で、眼鏡越しに覗く鋭い眼差しは真っすぐで、人の心を見透かすような印象を与える長身の美丈夫だった。


その背後には数多の従者が随行し、さりげなく男の便宜を図っている。


『誰が見ても貴族じゃないか!』


「ちょうど来おったな。あれがアゴラ伯爵だ」


「ええ、そう見えますね」


「すぐに挨拶するつもりか?」


「私は今、冗談じゃないんですよ!!!」


声色は変わらずぶっきらぼうなのに、奥に潜む薄い悪戯っぽさを感じ取ってしまった私は、思わずマルコスに怒鳴り返した。


結局どうしようもなく、私は伯爵の傍らをそのまま通り過ぎるしかなかった。


幸いにも伯爵を通り過ぎてから程なくして外壁に辿り着いた。


『トイレ! トイレ! ト…あった!!!』


結果は、ぎりぎりセーフ。


大事な機会を逃した代償に、代わりの救いがあった。


そしてしばらく後、私は少し呆けた顔でトイレから出てきた。


名誉のために言っておくが、失敗してしまったわけでは決してない。


『この世界にも水洗便所があるなんて……』


驚いていたのは、それだ。


この世界のトイレは大きく二つに分かれる。


魔法のトイレと、ただのトイレ。


ただのトイレは説明不要だ。貧しい平民が使う汲み取り式である。


では、魔法のトイレとは何か。


それは「還元魔法」を利用したものだった。


還元魔法とは、物質をマナへと還元する魔法であり、C級から扱えるとされる。


私は魔法工学者ではないので、ウスキから聞いた話をそのまま言うなら、この世界の存在は大きく二つに定義できるという。


生命と物質。


物質は文字通り世界に存在するあらゆるものを指す。


ただし、物質にも二種類あり、そのまま物質として存在するものと、魂に結びついたものがある。


私たちが生きている細胞を非生命と見なし、大切に扱わないように、この世界では魂に結びつかない有機物は単なる物質として扱われるのだ。


そして物質はマナから変換されることもあれば、再びマナへと還元されることもある。


還元魔法も、他の魔法と同じく対象に応じた呪文が必要だという。


つまり魔法のトイレとは、排泄物をマナへ還元して清潔さを保つ仕組みだった。


ちなみに我がギルドの寮は少し特殊で、昔からC級魔法師が管理人をしていたため、全室が魔法のトイレである。


最初に聞いたときは『え? うんこがマナになって肺に出入りしてるってこと!?』と抵抗感を覚えたが、実際にはマナは何から還元されても同じであり、清潔や不潔を論じること自体が無意味な物質の本質という。


ともかく話を戻すと、この広場のトイレは水洗式だった。


元の世界の便器とまったく同じ。


『やっぱり水を扱ってるだけあって、サイフォンの原理も理解してるんだな』


サイフォンとは、上に曲がったホースで一度水を吸い上げると、操作せずとも水が流れ続ける仕組みのことだ。


実際、元の世界の水洗トイレもすべてこの原理で作動している。


『なんだか親しみを感じるな』


むしろ魔法のトイレよりも、この水洗式の方が性に合っていた。


『さあ、すっきりしたところで――今度こそアゴラ伯爵と対面して決着をつけに行くか!』


私は再び足を返し、先ほど伯爵と行き違った広場へ向かった。


幸い、伯爵はまだ遠くへは行っていなかった。


「失礼します、伯爵様!」


声をかけながら近づこうとする。


――カシャン。


だが、当然のように従者たちに阻まれた。


「私はアルバス殿の知人です! アルバス殿の件でお話があります!」


私は咄嗟に知人の名を利用した。


『実は最初に見たときから勘づいていた!』


アルバスは伯爵家の御曹司であり、白髪が特徴的だ。


この伯爵もそう年若く見えるのに髪は白い。


誰でも推測できることだ。


「アルバス……?」


案の定、伯爵が反応した。


アゴラ伯爵が振り返る。


その瞳には驚きと――


敵意が満ちていた。


――ドカッ!


「ぐっ……!?」


唐突に従者に殴りつけられた。


幸い腹を狙われなかったので、食べた物を吐き出さずに済んだ。


『まさかアルバスさんは、伯爵家の恥さらし扱いなのか?』


遅れて護衛たちが私を囲んだが、明らかに伯爵の従者たちの方が格上に見える。


やがて伯爵が口を開いた。


「貴様、何者だ。わしの名を騙り、知人だと偽る不届き者め!」


「……はい?」


アゴラ伯爵のフルネームは――アルバス・アゴラ。


アルバスは伯爵の名を騙った詐称者だったのだ。

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