並行交渉
ネゴ商会が厄介なのは、彼らがチャルシ子爵と縁があるからだ。
現子爵が家督を継ぐ際に一役買った、というよくある話である。
下手に粗略に扱えば、子爵の報復を覚悟せねばならない。
まさか直接侵攻してくることはあるまいが、今のバザールの事情では子爵が何を仕掛けてきても耐えきれないだろう。
【ウスキ。まずはギルド長のところへ行け。占拠されたギルドの中じゃなくて、飛んでギルド長室の窓から直接入るんだ。】
【はい!】
そう指示してから、一度ラインを切り、私はオークキングに顔を向けた。
「おい、オークキング。これを見ろ。」
「オークの餌を購入されました。」
私はオークの餌を取り出した。ガーゴイルの餌と似た大きさの肉団子だった。
「ほう。俺の部下どもが喜びそうな肉玉だな。それで許しを請うつもりか?」
「そうだ。それだけで手を引いてくれないか?」
確かに知性は感じるが、相手はオーク。そして二つの事態が同時に起こっているせいで、私は慎重さを欠いた発言をしてしまった。
「ふむ。俺からもっといい提案をしてやろう。お前が我らの奴隷となれ。何もない虚空からその肉玉を取り出すのを見た。生涯にわたり俺の部下どもにその肉玉を供給すると誓えば、仲間たちは無事に帰してやる。」
『ちっ! 逆効果だ!』
力の優位を利用した威圧、仲間の命を人質に取るやり口。
この提案が成否どちらに転んでも、オークキングには失うものはない。
まさに「力を使った脅迫はやるなら徹底的にやれ」という典型だ。
『焦るな。気を抜くな。オークキングにも制限時間はある。少しずつ解決していこう。』
そう思った時、ちょうどラインが来た。
【ご主人様。ギルド長室に着きました。】
【ギルドマスターにラインのことを説明しろ。説明が終わったら見ているだけでいい。すぐ連絡する。】
【はい!】
返事を送ると、すぐにオークキングへ向き直った。
「どうだ? この団子、うまそうに見えないか?」
情報を得ようと、あえて話題を振ってみた。
「うまそうだ。」
オークキングは素直に答えた。
『何か違和感があるな……。』
これまでモンスターの前で餌を出せば、我を忘れるほど飛びついてきた。
ゴゴゴンちゃんでさえ、奴隷として主人の命令を遂行しながらも餌には気を取られた。
だが、このオークキングは目の前にオークの餌があっても平然としている。
『知性があるからなのか? それともオークキングはオークの餌に反応しないのか?』
いずれにせよ、オークキング専用の餌は<モンスター用交渉素材ショップ>には存在しなかった。
『まさかまた<希少素材ショップ>にあるんじゃないだろうな? そういえばガーゴイルの餌の内容文を確認するのを忘れていたな。』
もし確認していたら、私の性格上、他のモンスターの餌も<希少素材ショップ>にあるか探していただろう。
『今は確かめている余裕はない。』
視界の端で手紙アイコンが点滅している。ウスキからのラインだ。
「当然だが、俺はお前らの奴隷になるつもりはない。この団子なら今すぐ百個追加で出してやれる。だがそれ以上は俺にもない。だから奴隷にしたって無駄だ。」
ブラフを混ぜて団子百個で勝負をかけた。
【説明しました。ギルドマスターは鵜呑みにしたわけじゃないですが、一応納得してくれました。それでネゴ商会との交渉権を私に任せると。】
私はオークキングの返事を聞きながら、口元を隠して小声で返信した。
【よくやった。待っていればネゴの奴がまた勝手に押しかけてくる。その時まで待機だ。】
「ならば、その肉玉を得る方法を差し出せ。レシピでも購入先でも構わん。」
オークキングの要求は、どうやら百個では通じなかったらしい。
『見た目に似合わず部下思いなのか? それとも純粋にレシピが欲しいだけか?』
肉玉その物には淡泊なのに、継続的に供給する方法には執着している。
『購入先があると嘘をつくか?』
とりあえず偽りで切り抜けて、伯爵との交渉をうまく進めてオークキングすら倒せる戦力を得るつもりだった。
「まさか誤魔化す気ではあるまいな。どうせお前が言った方法が本物だと証明されるまで、絶対に解放はせん。」
……このオークキング、まるで私の考えを読んだように先手を打ってきた。
「そんなつもりはない。安心しろ。」
なんとか取り繕った。
『人間でも難しいことを平然とやりやがる。余計に賢しいな。』
胸を撫で下ろしながら、別の策を練ろうとしたその時、またウスキからラインが入った。
【ご主人様! おっしゃった通り、ネゴの奴がギルド長室に勝手に入ってきました。でも私が交渉相手だと告げたら、変なものが出たんです!】
『交渉相手だと告げたら変なものが出た? まさか……。』
【最初の行は何と書かれてる?】
【えっ? どうして……もしかして疾うにご存じだったんですか? さすがご主人様! 一行目は「交渉を開始します」って出てます!】
『……狂ってるな。』
奴隷に代理を任せたら、私ではなくウスキに交渉ガイドが表示されてしまったのだ。
「考え込む時間が長いな。これ以上黙るならそのまま連れて行き、奴隷にしてやるぞ。」
オークキングが返答を急かしてきた。
『今はお前に構ってる暇はないんだよ!』
私はまだ手に持っていた団子をオークキングに投げつけた。
当然のように、オークキングはそれを軽々と受け取った。
衝動ではない。感情は少し乗せたが意図的に投げたのだ。
「食え。まず食って判断しろ。気に入ったなら少しだけ時間をくれ。」
「よかろう。食ってみる。」
交渉の題材が食べ物なら、相手にまず口にさせるのは当然だ。
オークが団子を口に運んだ隙に、私はすぐにラインを開いた。
【じゃあ今度は最後の行を読んでくれ。たぶん『推奨戦略は……』で始まるはずだ。】
ウスキに交渉ガイドが出たのだから、そのまま任せればいいのでは――そんな考えも一瞬よぎった。だがすぐ打ち消した。
本来ゲームでは、重要な分岐点ごとに選択肢が提示され、そこから選ぶ仕組みだ。
ガイドが出れば、推奨戦略に従って選択肢を選ぶだけで済む。だからこそチートなのだ。
だが現実に選択肢など存在しない。
方向性を選ぶだけで細かい発言や誘導は自動で行ってくれるゲームと違い、現実では私がすべてやらねばならない。
日本で会社勤めをしていた頃から交渉の経験もあり、ギルドタイクーンもやっていたからこそ、推奨戦略を見て適切に発言できるのだ。
だがウスキには無理だ。推奨戦略を見ても、自分で言葉を紡ぐことすらできない。
子供に話しかけられても私に対応方法を相談するような彼女に、人を見極めることが大前提の交渉など絶対に務まらない。
『私の責任だ。最後まで面倒を見るしかない。』
不本意ではあるが、最終的にウスキをそうしたのは私の責だ。彼女を捨てることはできない。
憐れみもあるし、何より彼女を捨てればB級威力の時限爆弾を町に放つも同然だ。
【最後の行じゃありませんが、『推奨戦略』と書かれた部分を読むといいですか? 推奨戦略は『相手の過去の過ちで弱みを握れ』とあります。その下にネゴの奴の過去の話が続いているみたいです。】
【ああ、もういい。それ以上は読まなくていい。】
『全部知ってる内容だからな。』
推奨戦略が「過去を突け」と出るのも予想していた。それが最も効果的な方法だからだ。
私はウスキに、どう発言させるかを考え始めた。
「食い終えたぞ。」
オークキングがこちらに注意を引いた。
そして、まるで吐き捨てるように地面に唾を吐いた。
「何やってんだ!? 気持ち悪……」
「気持ち悪いのはこの肉玉の味だ。」
思わず口に出した私の言葉を断ち切り、オークキングは獰猛に笑った。
「まったく旨くなかった。だから時間をやるつもりもない。これでお前は我らの奴隷だ。」
オークキングは隣の木を根こそぎ引き抜き、棍棒代わりに振り回しながら、ゆっくりと私に近づいてきた。




