出張
次の日。
出張の準備はすべて整った。
私は部屋を出た。
「お出かけになるんですか、ご主人さま?」
「ウスキ。」
私の可愛い奴隷は、常時発動させている探知魔法で寮の中で起きていることを大まかに把握している。
私が出かけようとしているのを察して、飛んできて部屋の前で待っていたのだ。
「私がご主人さまの奴隷になってから初めてですね。こんなに長い間、遠く離れてしまうのは。ちょっと寂しいです。」
「いつでもラインできるじゃないか。」
私はウスキの頭を撫で、寂しさを和らげてやった。
「ふふっ! そうですね。他の奴隷には決して許されない特権です。ご主人さまの奴隷になれて、本当に幸運でした。」
「頻繁に連絡するよ。」
「そうしてくださるなら、何より嬉しいです。」
私とウスキの間に、温かく、そしてどこか切ない空気が流れた。
「行ってくる。」
私は身体を翻した。
「行ってらっしゃいませ、ご主人さま。」
ウスキは腰を深々と折り、私に挨拶した。
彼女のもとを離れ、階段を降りて寮の正門へと向かう。
『よくよく考えれば、私は本来外出できる身分じゃないんだよな。』
領地の救世主と持ち上げられても、借金の免除まではされなかった。
だが今回の出張が成功して木材をさばければ、ギルドが直接債務を帳消しにしてくれることになっている。
知らなかったのだが、ギルドと銀行は別組織だった。
顧客が混乱しないように名前だけ同じにしているらしい。
ギルド職員専用の融資サービスや、債務者リストを受け取り出入りを制限するのは、両社間の協約に過ぎない。
『まあ、今回は出張資格で外に出るんだ。ウスキに便宜を図ってもらわなくても合法ってわけだ!』
そんなくだらないことを考えながら寮を出ると、誰かが正門の脇に凭れかかっていた。
「やっと出てきたか。待ちくたびれたぞ。」
「おはようございます、マルコスさん。私は定刻通りに出てきましたよ。出張の間、どうぞよろしくお願いします。」
今回、私の護衛に選ばれたのはマルコスだった。
「行くぞ。」
そう一言だけ言って先に歩き出すマルコス。
『護衛が護衛対象より前に立つとはな。まったく、相変わらずの性格だ。』
実は出張準備の最中、領主自らやって来て、今回も馬車を貸し出すだけでなく、ワナサマを護衛につけると大騒ぎしていた。
だが、これはギルド側から正式に断った。
馬車を貸してくれるだけなら好意の範囲だが、護衛まで領主の人間を使えば、後に利権争いに発展しかねない――そうギルドマスターが言ったのだ。
私もその意見に同意し、そんな意図はないと説明する領主を帰らせた。
何しろ今回の出張は交易業務の一環である。
魔物の襲撃が頻発するこの世界において、交易における護衛の比重は大きい。
端的に話、商会がギルドに護衛を依頼すれば、ギルドは報酬として交易収益の三割を要求するほどだ。
だが今回の出張と交易は、すべてパインギルドが運営する。
マルコスはパインギルドに所属するサラリー冒険者。少しのインセンティブを渡すだけで、交易収益はすべてギルドのものになる。
『もっとも、バザール男爵がわざわざギルドの利益を狙う理由はないけどな。』
この世界の経済はギルドが中心だ。
もし私腹を肥やすための不正ならまだしも、結局ギルドの成長は領地の発展にもつながるのだから、清廉な領主はギルドの利益創出を邪魔しない。
そしてダリウス・バザールは無能ではあるが、私利私欲に走る性格ではなかった。
「来たか。」
「……男爵様。」
『噂をすれば……。』
男爵のことを考えながら駅馬車亭に到着すると、ご本人が護衛兵を引き連れて待っていた。
「少し遅いのではないか。」
「むしろ予定時刻にはまだ余裕がありますが。」
『マルコスもそうだったけど、ずいぶん焦ってるな。』
それだけ二人とも、この件に命運をかけているのだ。
領地の存続が懸かるバザール男爵は言うまでもなく、マルコスもサラリー傭兵になって日が浅いのに、ギルドが崩壊の危機に瀕して心配で仕方ないのだろう。
だが二人とも、できることがないからこそ、不安な気持ちに駆られて約束の時刻よりずっと早く来てしまったのだ。
――ザッ! ザッ! ザッ!
突然、護衛兵たちが私と男爵を背で囲い、外からの視線を遮った。
「今回の件、どうか成功させてくれ。心から頼む。」
そう言って男爵は頭を下げた。
『貴族が平民に頭を下げるとは破格だな。本当に悪い人じゃないんだ。』
私は驚きもせず、声を荒げることもなく、同じく丁寧に頭を下げた。
「ご信頼にお応えできるよう、必ず良い知らせを持ち帰ります。」
私が顔を上げると、護衛兵たちは元の位置に戻り、整列した。
「行きましょう、マルコスさん。」
「おう。」
私とマルコスは馬車に乗り込んだ。
初めてバザールに来たときに乗ったのと同じ、一般旅客用の馬車だ。
領主の馬車を断ったのは、護衛の件を断ったついででもあるが、領主の馬車は利便性に偏っていて護衛に不向きな造りだった。
無理に護衛をつけるなら、結局もう一台馬車が必要になる。それなら護衛用の馬車に私も同乗したほうが手っ取り早い。
マルコスを含め、この馬車に乗っているのは皆、私の護衛に選ばれたサラリー冒険者たちだ。
『まあ、経費削減のためでもあるけどな。』
馬車そのものは無料で貸してくれても、勝手に走るわけじゃない。御者と馬が必要だ。
となれば、御者の食料や生活必需品も余分に用意しなければならないし、何より馬の餌が二倍必要になる。
これが馬鹿にならない出費なのだ。
「出発します!」
どこか以前乗ったときと同じ御者の掛け声とともに、馬車がついに走り出した。
「無事に行ってくるさ。」
バザールでは滅多に見られない大規模伐採隊の出発には領民全員が出て見送ったが、今は一日に二、三往復する定期旅客馬車。領主の簡素な挨拶だけを受け、私たちは出立した。
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ネゴ商会。
辺境の零細領地のギルドを渡り歩き、苦しい事情につけ込んでは無理難題を押しつけ、悪辣な取引を強要する、悪名高き商会である。
「か、勘弁してくださいよ! 一つ一つの品目が高すぎます! これ以上は、本当に金がありません!」
「本当に金がないと泣きつく連中で、ありったけを差し出した奴を見たためしがない。俺が今ここで引いたら、お前のギルドは紙切れ一枚もなくて、明日から仕事もできなくなるぞ。何が一番大事か、よく考える。」
「……くっ!」
そのネゴ商会の総帥ネゴは、今もなお、シュクの二つだけのギルドの一つであるド──ベネ・ギルドにおいて、必需品の価格を法外に釣り上げて押しつけていた。
「クハハハ! よく考えたな! 最初に金がないと嘘を吐いたのは不届きだが、少しは勘が利くようになったみたいだから、大目に見てやろう。」
「はあ……また借金が増えてしまった……。これを一体いつになったら……。」
ネゴは、ベネ・ギルドのマスターの嘆きをまるで聞き流すかのように、印が押された取引契約書と預金証書をきっちり回収し、冷酷に席を立った。
「会長、申し上げたいことが!」
ギルド長室を出たネゴに、配下の一人が耳打ちする。
「ほう? おお、バザールにそんなに木材があると? これはこれは、エイタンが俺に贈り物を用意してくれたらしいな。野郎ども! 次はバザールだ! さっさと行くぞ!」
「「「おおっ!!!」」」
ネゴはベネ・ギルドを占拠していた部下たちに声を張り上げた。
もとよりシュクの次の巡回先はバザールであったため、ネゴは一切の躊躇なく、強欲な笑みを浮かべながらバザールへと出立した。




