交渉の成果
『えっ? 他人同士の交渉にも発動するのか?』
戸惑いながらも、オレはゆっくりと交渉ガイドを確認した。
この世界の通貨単位である「ゴールド」は、現実世界の円に換算すると、1ゴールド=1円という設定になっている。
これはゲーマーたちの推測ではなく、ゲームそのものの仕様だった。つまり、ギルドタイクーンの世界における物価や相場を、プレイヤーが現実の感覚で把握しやすくするための仕組みだ。
たとえば現実で40円のジャガイモが、ゲームでは20ゴールドだった場合、それは「20ゴールドは40円の価値」と理解するのではなく、「この世界ではジャガイモ1個が20円くらいの感覚で売られている」と思えばいい。
『アルバスの剣が15万円? ちょっと待て、ギルドタイクーンでの剣の平均価格は大体10万円だったはず。』
この世界にはモンスターが存在するため、武器は全体的に高価な傾向にある。
『そう考えると、見た目ほど高価ってわけでもないな。』
あのクロスガードの部分が金色に光っていたせいで、相場の数倍はしそうな印象だったが、実際はそこまでではなかった。
とはいえ、アルバスの行動は理解しがたい。
自己紹介のとき、彼は「貧しい農村出身」だと話していた。
そんな彼が、いくら大切な遺品とはいえ、平均価格の1.5倍もの費用をかけてレプリカを作って持ち歩いているなんて、普通じゃない。
むしろ遺品は大切に保管しておいて、身の丈に合った武器を使う方が合理的だろう。
『人それぞれ感性の違いはあるにせよ……。』
勘だが、アルバスにはどこか怪しいところがあった。
『…まあ今はそこじゃないか。』
気を取り直して、交渉ガイドの続きを読んだ。
「預金証書」という単語が目に飛び込んできた。
『この世界、意外と紙幣っぽいものが発達してるんだな。』
正確に言うと、ギルドタイクーンの舞台となる「ケイナン帝国」で正式に流通している硬貨は、皇帝の顔が刻まれた金貨のみである。
しかも単位はすべて1円。小額硬貨は存在しない。
『剣を買うために金貨10万枚を持ち歩くってことか。1枚50グラムとしても、500キロだぞ?』
この世界ではマナやオーラを使って超人的な力を発揮できる人間もいるが、誰もがそんな怪力持ちではない。
『重さは馬車に乗せればいいとしても、体積も相当だよな。』
要するに、金貨をそのまま使うのは不便きわまりない。
だから、一般的に人々はギルドや帝国銀行に金を預けて、その代わりに発行される領収書的な「預金証書」を通貨として利用していた。
『現実の紙幣の起源ってのも、こういう説が有力だったっけ。もっとも、預金証書は紙幣というより小切手に近いか。』
「15万円だと? ふざけるな。12万で十分だろうが。」
そのとき、マルコスが「1万」と書かれた預金証書を12枚見せつけて言った。
彼なりの交渉術だったのだろう。
『いきなり無茶を言って値を下げる…最悪のやり方だな。』
だが、現実ではよく使われる手でもある。なぜなら、この手法には一つの前提があるからだ。
それは、交渉以外の「力」を使うことだ。脅し、弱みを握る、暴力でねじ伏せる。
交渉というより恐喝に近い手口だが、弱肉強食の世界ではよくある話だ。
初対面のアルバスの弱みを、マルコスがもう握っているとは考えにくい。
つまり、力ずくでいく気なのは明らかだった。
『さて、アルバスはどう出る?』
興味深く見守っていると、答えはすぐに返ってきた。
「無理です。この剣は、私が全財産を注ぎ込んで作ったものです。1円たりとも値下げはできません。」
冒険者としての経験があるからか、アルバスは意外にも芯のある態度を見せた。
だが、そんな態度にビビるようなマルコスではない。
「なんだと、この野郎……。」
「お、お二人とも、ちょっと話を聞いてください!」
険悪なムードになったその瞬間、オレは慌てて割って入った。
『つまり、この二人を仲良く手をつないでローン会社に連れて行けってことね……。』
オレは交渉ガイドの一番下の行を見て、心の中でため息をついた。
「推奨戦略:ローン仲介手数料の獲得」
『ローン仲介手数料ってことは……紹介料をもらえってことか。』
この世界にもローン、つまり担保付き融資の概念はある。
ローン業者は帝国やギルド銀行が運営する公式機関と、闇金に分かれている。
『闇金の方が紹介料は大きいんだろうけど……。』
この世界の闇金はすべて違法とされている。
帝国法で禁止されているのだ。延滞や不当な取り立てが多発するからだ。
とはいえ、禁止されていても実際には蔓延している。
だが、帝国はそれを取り締まる意志がない。治安維持に無駄なリソースを割きたくないらしい。
『まあ、オレの考えはちょっと違うけどな。』
交渉ガイドは最善の結果を提示してくれる。
でも、それが「楽な道」とは限らない。
今回のマルコスのように、ただのプレゼントであれば、無理してローンを組む必要はない。
『つまり、オレが説得しろってことか。』
交渉ガイドには、別の形も存在する。
何の見返りもなく、ただの説得だけで目的を達成できるときに出てくる別バージョンだ。
ただし、今は新しい世界に来てまだ3時間も経ってない。
こんな面倒ごとは、今はなるべく避けたいところだ。
『この仲裁で得られるのが、たった数百円の紹介料だけなら、無理する必要ないな。』
「何が言いたいんだ?」
マルコスが尋ねてきた。
「お手伝いできるかもしれません。」
「お前が? オレをどう助けるってんだ?」
「まあ、なんといいますか……ギルドの職員ですから。今後ともよろしく、という意味も込めて、です。」
「……フン。続けろ。」
「ギルド職員は、無担保で最大百万円のローンを受けられます。」
厳密には“無担保”とは言えない。自分自身を担保に差し出す、ということだ。
「それを貸すってことか?」
「はい、その通りです。」
オレはうなずいた。
「いらん。」
だが、マルコスはあっさりと拒否した。
「え? なぜですか?」
「言っただろう。あの剣は十二万円で十分だ。」
まだ強引に押し通すつもりらしい。
理由は明白だった。
オレは心の中でため息をつきながら言った。
「先ほども申しましたが、お二人のためを思って仲裁に入りました。アルバスさんにも。利子などは求めません。ただ、お二人の助けになりたいのです。」
「……わかった。」
マルコスはしばらく考えるふりをしたあと、素直に頷いた。
『プライドを保つために悩むフリをしただけか……面倒くさい性格してんな。』
危うくため息が口から漏れそうになったのを、何とかこらえた。
そのとき、目の前にまたホログラムが浮かび上がった。
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《交渉成功!
あなたはアルバスとマルコスの交渉を仲裁し、成功に導きました。
しかし、交渉ガイドが提示した目標には届きませんでした。
報酬が減少します。
▼ガイド目標:1万ゴールド相当のローン仲介手数料
▼交渉成果:マルコスのちょっとした感謝
⚠注意:今回の交渉成果により、「人の感情」という無形資産を得ました。これは変動性の高い資産であり、あなたの今後の行動によってその価値が大きく変動します。
■交渉ポイントを獲得しました。
ポイント:10pt
※初交渉ポイント実績達成!
報酬:
①交渉準備ショップが解放されます
②交渉ガイドの自動起動オプションが追加されました
今後はあなたの意志で交渉ガイドをON/OFFできます
⚠注意:以後、交渉ガイドが起動された状態での交渉に失敗した場合、交渉ポイントが減少します。》
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最初はただの交渉成功のメッセージかと思った。
だが読み進めるうちに、見慣れない単語が目に飛び込んできた。
『実績? 交渉ポイント? ショップ? なんだこれ……。』
全部、ゲームでは見たことも聞いたこともないものだった。
『とりあえず一つずつ確認しよう……と思ったのに、説明が一切ねぇ! クソ! このゲーム、超不親切じゃねぇか!』
ヘルプもなく、実績メニューのようなものも存在しなかった。
結局、今確認できるのはただ一つ──
『交渉準備ショップか。』
オレが心の中でそう念じると、大きなホログラムウィンドウが展開された。
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《ようこそ、交渉準備ショップへ!
ここでは、交渉を有利にするさまざまなアイテムを販売しています。
適切なアイテムを購入して、交渉を有利に進めましょう!
■あなたのポイント:10pt
【カタログ】
<希少素材ショップ>
・[アイスフラワーの花粉]
万年雪の上に咲く氷の花の花粉です。壊れたマナ回路を修復する効果があります。
(150,000pt)
・[ユニコーンの角]
百年に一度現れるユニコーンの角です。すべての毒を解毒する効能があります。
(200,000pt)
・[ホブゴブリンの心臓]
全大陸で500年に一度現れるホブゴブリンの心臓です。すべての呪いを浄化する力があります。
(1,000,000pt)
……
<状況操作権ショップ>
・[強制交渉権]
交渉できない相手にも使用可能。相手の精神に干渉し、強制的に交渉可能な状態にします。
※このアイテムで始めた交渉には他のアイテムは使用できません。
(5,000pt)
・[強制締結権]
対価を支払わずに交渉を強制的に成立させます。交渉成果は最低値で固定され、交渉ポイントは獲得できません。
(300,000pt)
・[モンスター交渉権]
知能の低いモンスターとも強制的に交渉可能になります。使用中、対象モンスターは精神を抑制され、あなたの言葉に集中します。
(1,000pt)
……
<モンスター用交渉素材ショップ>
・[ゴブリンのエサ]
ゴブリンが好む素材を練って作られた団子です。人肉は含まれていませんのでご安心を。
(15pt)
・[オークのエサ]
オークが大好きな素材を練って作られた団子です。人肉は含まれていませんのでご安心を。
(25pt)
・[オーガのエサ]
オーガが特に好む素材を練り上げた団子です。人肉は含まれていませんのでご安心を。
(150pt)
……》
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画面には3つのカテゴリに分かれた商品がずらりと並んでいた。
『なんだこれ……?』
全部読む前から、口が勝手に開くレベルのチート商品オンパレードだった。
『やべえ。今回の人生、成功しない理由が見当たらないわ!』
一人で歓喜に浸っていたそのとき──
「グギャッ! 人間の馬車だ! 宝物! 奪え!」
──願わくば出会いたくなかった、モンスターの襲撃だった。