後始末
オーガの襲撃による被害状況をざっとまとめると、こうだ。
東の城壁の一部が破壊。
建物五棟が全壊、八棟が半壊。──これが一番マシな被害だった。
警備兵の戦力は七割を喪失。
これはバザール領の実質的な損害だけを見積もった結果にすぎない。
だが、目に見えない損害も多かった。
まず領主が領民の信頼を失った。
領内最高戦力であるC級冒険者たちを密かに逃がしたことまでは露見していないが、絶望的な状況に領民を放り込んだ行動は拭い去れない。
どれほど身分が盤石な世界だとしても、貴族の生活を支えているのは平民たちだ。
ただでさえ田舎のバザールで、彼らに背を向けられれば男爵は名ばかり貴族に落ち、食うものにも困ることになるだろう。
冒険者の損失も甚大だ。
これも田舎ゆえの特徴で、バザール領の経済は〈パインギルド〉がほとんど一手に支えている。
その収益基盤が冒険者なのだが、今回の襲撃でバザールを拠点にしていた冒険者の半数が死んだ。
外部から来る冒険者は、だいたい特定の魔物を狩って副産物を得るために森へ入る者たちだが、その足もぷつりと途絶えた。
オーガによる全滅の危機は凌いだものの、その余波による経済的危機はむしろこれからが本番だった。
だからこそ、この三日間、私は息つく暇もなく動き回っていた。
「チャルシュへの支援要請は受け入れられたか?」
「ギルド側は前向きでしたが、チャルシュ子爵が止めたそうです。我々だけでは助力を期待するのは難しそうです」
チャルシュ子爵領はシュクとは別方向にある、バザールに最も近い都市だ。
「子爵は、バザールに金を使う価値なしと判断したんだろうな」
「領主様も動いたようですが……どうなるかは……」
領主の話題を口にする者たちの顔には、疑念の色が浮かんでいた。
「……」
思わず、隣に座るセラの顔を窺ってしまった。
セラが〈ケンサマ〉であり、バザールの令嬢でもあることは、まだ誰にも知られていない。
あの日オーガを相手にしたとき顔を晒したものの、セラは遠距離からオーガを狙撃しただけで、人々がいる場所に近づいたことはなかった。
それに、あまりにも修羅場だったため、その場にいた私とアリス以外にセラを目撃した者はいない。
「ん? なに?」
私の視線に気づいたセラが、こちらに顔を向けた。
小声で尋ねる。
「……つらくないんですか?」
「……ふふっ! あんた、思ったより繊細なのね」
私の心配を聞いたセラは、ふっと笑った。
「平気よ。今回の件でダリウス・バザールが失脚すれば、傍系の私たちにもチャンスが巡ってくる。むしろ好都合じゃない?」
「……」
私は言葉もなくセラを見つめた。
「貴族ってのは、そういうものよ……」
そう言い切ったセラの顔には、どこか寂しさがにじんでいた。
私はもう耐えきれず立ち上がった。
「部長! 私がチャルシュに行ってきます。出張させてください!」
「……お前、何してるんだ?」
突然の行動に、セラが呆気に取られて問い返す。
私は腰をかがめ、セラの顔に近づけて囁いた。
「申し訳ありませんが、領主の座は諦めていただきます。私はセラ先輩と働いていたいんです」
「な、なにっ!?」
いつも快活で茶目っ気のあるセラが、こんなに取り乱すのを見るのは初めてで……正直、愉快だった。
「出張を? 何か考えでもあるのか?」
部長は素直に私の意図を尋ねてきた。
本来ならありえない発言だ。新入りが勝手に部長に出張を願い出るなど、組織の秩序も手続きも無視する行為。
だが、私は入社してわずか三日で、それを可能にしていた。
「おおっ! さすがバザールの救い手!」
「今回も尽力してくれるのか? 一体どれほど感謝すればいいのだろうな」
そう、私は今やバザール領の救世主だった。
しかも、ただの救世主ではなく──襲いかかってきたオーガを逆に従え、配下とした謎の男。
事件の翌日、領民全員を集めてオーガが私の奴隷であると公表したのだ。
いま、そのオーガは自ら壊した城壁の再建工事に駆り出されている。
その功績は瞬く間に広まり、つい昨日もチャルシュから人が訪れ、引き抜きの誘いを受けたところだ。
いずれシュクからも同じ話が来るに違いない。
──とにかく、私は今やバザールのスーパースターだった。
もしこの世界が民主主義だったなら、ダリウスを一気に追い落とし、市長の座に就いていただろう。
当然ギルド内での発言力も増していた。
「よし! マサカオーガなら何か策があるんだろう。出張の件は私が──」
部長の口から許可が下りかけた、その時だった。
──!!!
得体の知れない波動のようなものが私たちを襲った。
一瞬、息が詰まり、頭がくらくらするほどで、実際に気を失った者もいた。
「いまのは……?」
ただ一人、セラだけが平然と立ち上がり、何かに気づいたように呟いた。
「……ふう。おそらく、思っていらっしゃる通りでしょう」
私は深呼吸をひとつして答えた。
正直、最初は私も何が起きたか分からなかった。だがすぐに気づかざるを得なかった。
『ご主人様、どこですか?』
『ご主人様、どこですか?』
『ご主人様?』
『ご主人様?』
『ご主人様?』
『ご主人様? 捨てたんじゃないですよね?』
『ご主人様?』
『私、自分の部屋にいます! 迎えに来てください!』
『ご主人様? どうして返事してくれないんですか? 本当に捨てたんじゃないですよね?』
『ご主人様?』
『ご主人様?』
『ご主人様? お願いですから返事してください!』
「ウスキさんですね」
今もリアルタイムで追加され続けるウスキからのLINEが、波動の正体を告げていた。
「部長。すみませんが、出張は後回しにして、今は一度宿に戻らせていただきます」
「……今の衝撃波と関係あるのか?」
「はい」
「分かった。すぐ行ってこい」
まだ頭痛に苦しむ部長は、外出を許可した。
『ウスキさん』
私はとりあえず返信した。
『ああっ! よかった……まだ捨ててないんですね。ありがとうございます!』
『ごめんなさい、ご迷惑でしたよね?』
『正直、不安すぎてじっとしていられなかったんです。本当にごめんなさい』
私が返事をすると、ウスキは少し落ち着きを取り戻したのか、素直に謝罪してきた。
『今から行きますから、LINEはやめて大人しくしててください』
連投されるメッセージに目が回り、私はそう指示した。
『はい! 待ってます♡』
『……このハート、一体どうやって送ってるんだ?』
私はそんな疑問を抱えつつ、受付のドアを押し開けた。
「え? マサカオさん! こんな時間にどこへ行くんですか?」
中へ入ると、一番近くにいたリシがすぐに気づいて声をかけてきた。
オウガ襲撃事件の後処理でてんやわんやの事務所とは違い、冒険者の姿が途絶えた受付は普段以上に暇そうだった。
「もぐもぐ……」
ふと見ると、一番奥の席に座っているミアは勤務中にもかかわらず堂々とお菓子を頬張っていた。
「マサカオ~、このお姉さんに会いたくて来たんでしょ?」
事件のあと激変するバザールで、最も変わった人間のひとりが、いつの間にか私の腕に絡みつきながら話しかけてきた。
「あ、こんにちは……」
私はぎこちなく挨拶を返した。
目を合わせるのもためらうほど、そこにいたのは美しい少女だったからだ。
普段はぼさぼさだった金髪は艶やかに手入れされ、流麗に垂れていて、
化粧は華やかでありながら彼女のスタイルと見事に調和し、目を離せない存在感を放っていた。
『ギャ、ギャル!』
学園時代に憧れた一人のギャルを思い出させるほど、別人のように変貌した美女──それはアリスだった。
女は化けるものと言うが、アリスは以前の地味さからは想像できないほど洗練されていた。
そしてようやく、以前口にした「参戦する」という言葉の意味を理解した。
「どこ行くの? 私も一緒に行く~」
アリスは腕をさらに絡め、胸をわざとらしく押しつけてくる。
「ア、アリス! マサカオさんを困らせないでって言ったでしょ!」
その様子を見ていたリシが、なぜか焦ったようにアリスをたしなめた。
「ふふん~」
だがアリスは、かえって面白がるように細めた目でリシを見返した。
「わ、私はウスキさんが目を覚ましたみたいなので行ってきます! 失礼します!」
私はアリスを傷つけないように気を遣いながら、そっと腕を引き抜いて叫んだ。
「やだ~♡ 本当に優しいね。そういうところに本気になっちゃうんだよな~……っても、ウスキさん相手はまだ怖いから、私は行かないけど。」
アリスは何か悪い未来でも垣間見たように身を震わせ、自分の席へと戻っていった。
そのおかげでようやく私は冷静さを取り戻した。
『アリスの動機はどうあれ、あんなに綺麗に変わった姿は大変なギルド事情にきっと役立つだろう。ただ、写真がないのが惜しいな……口コミで広まるのを待つしかないか。』
私はしばしアリスの後ろ姿を見送ってから、踵を返した。
「わ、私も行きます! ウスキさんのこと心配ですし!」
そうしてリシと共に、私たちはウスキの部屋を訪ねた。
――ガチャッ!
「ご主人様ぁぁぁぁ!!!!」
部屋の扉を叩く間もなく、乱暴に開いた扉からウスキが私に飛びついてきた。
「……へえ?」
隣で誰かの声が聞こえたが、気にする余裕などなかった。
「よかった……! 私を見捨てなかったんですね! 本当に不安で不安で!」
ウスキが私を強く抱きしめながら、必死に訴える。
「見捨てませんよ。さっきラインしたじゃないですか。」
「でも! ラインをくださったあと、いくら待っても来てくださらなかったから……また不安で……」
「待ってます♡」と送っておきながらこの有様だ。
「私は普通の人間なんです。そうすぐに来られるわけないでしょう。」
「でも……でも……うぅ……」
ウスキは私にしがみついたまま、今にも泣き出しそうな声を漏らした。
『重症だな。』
明らかに分離不安の症状が出ていた。
何を経験したのかは知らないが、おそらく誰かに捨てられた過去があるのだろうと、一瞬で察するほど深刻な様子だった。
しかも、幼児退行の兆しさえ見える。
だから私は、ウスキに気を取られるあまり、しばし忘れていた。
「この女もあの女も……あんなふうにべったりくっついちゃって……!」
虚ろな瞳で心の炎を燃やす、ひとりの少女の存在を。




