モンスターとの交渉
政嘉男は作戦を手短に説明した。
今もなお人々が次々と命を落としている以上、細部はそれぞれの判断に委ねるしかなかった。
「行きます!」
短く叫ぶと、政嘉男はオーガへ向かって駆け出した。
「ギルドマスター、本当にあの方の言葉を信じるのですか? モンスターと会話できるなんて……」
政嘉男が少し離れると、エイヴがギルドマスターのエイタンに小声で問いかけた。
「虚言を弄するような男ではないわい。信じるしかなかろう。そもそもあやつでなくとも、どうせ全滅の状況じゃ」
「……確かにそうですね」
「ならば行くぞ」
「はい!」
エイヴとエイタンが駆け出す。
二人は瞬く間に政嘉男を追い抜き、殺戮の渦中にいち早く到着した。
セラの構えは、かつてウスキを相手にした時とよく似ていた。
ただ今回は、レイピアを肩よりやや高く掲げて後方へ軽く引き、左腕は曲げず真っ直ぐに伸ばしてオーガを正確に狙っている。
そのまま待機しながら、彼女は政嘉男とオーガとの距離を冷静に測った。
『……今!』
「バザール流秘伝剣術・第四章第五式――狙撃」
――タァンッ!
鋭い銃声のような衝撃音とともに、セラのレイピアが突き出された。
刃の形をした魔弾は、音よりも早くオーガのもとへ到達する。
――パシッ!
「……クオ?」
思わずオーガは動きを止めた。
耳慣れぬ轟音と、まるで子供に後頭部を軽く叩かれたような衝撃に、貪っていた食事から気を逸らしたのだ。
「セパラティオ」
エイヴがオーガの頭に触れぬ範囲で結界を展開する。
「おぬしら! こちらへ逃げろ! わしはファイン・ギルドのマスターだ! この方へ来るのだ!」
エイタンが声を張り上げ、人々に避難を促した。
民は我先にとエイタンのもとへ駆け寄っていく。
だが結界の外側からは、一切の喧噪が遮られ、信じ難いほどの静寂が広がっていた。
――タタタタッ!
その中で、ひとりの男の足音だけが響き渡る。
「おい! オーガ! 交渉しようぜ!!!」
政嘉男は必死に叫びながら駆け抜けた。
――クオ? 人間の言葉……理解できた?
ついに、オーガの耳にその声が届いた。
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『対象モンスターは精神を抑制され、あなたの言葉に集中します』
カタログに記されていた〈モンスター交渉権〉の説明だった。
説明どおり、私の声を耳にしたオーガは大人しくなった。
「交渉を開始します。
交渉当事者 : 政嘉男・宇賀、オーガ(無名)
交渉形式 : 交渉権を使用した強制交渉
交渉目標 : オーガの撤退
交渉のヒント :
①モンスターとの交渉です。交渉に失敗すれば、モンスターはあなたを最優先の標的として命を狙います。
②モンスターの知能は低いです。交渉に有利ですが、予期せぬ事態が起こる可能性があります。注意してください。
③モンスター強制交渉権は、対象モンスターの魔法抵抗力によって制限時間があります。制限時間が過ぎれば精神干渉魔法が解け、モンスターは再び暴れ出します。急ぎてください。
残り時間 ― 14:48」
『……今までと違うな。推奨戦略がなくて、しかも制限時間まであるのか!?』
制限時間があるのはモンスターとの交渉だからなのか、それとも強制交渉権そのものの仕様なのか。気にはなったが、今はそこに思考を割いている場合ではない。
『残りは十五分弱……十分ではあるが、念のため急ぐか』
私は死体と負傷者が散らばる現場から数歩離れて足を止めた。
吐き気を抑えたかったのもあるが、まだ結界が張られている状態でもあった。
オーガを強制的に大人しくさせているとはいえ、避難が完全に終わるまでは念のため結界を解かない方がいい。
「おい、オーガ。おまえはなぜ縄張りを離れて、ここまで来たんだ?」
まずは、どの程度話が通じるかを探るため、問いかけてみた。
「我の眠りを妨げた奴がいる! あの小さい奴らを捕らえに追ってきただ!」
「追ってきた? おまえの縄張りはどこだ?」
「森の中だ!」
「森の中……か」
ちなみに東の森は、馬車で横断しても最短四日はかかるほどの規模を誇っている。
「森のどのあたりだ? 詳しく説明できるか?」
「森は森だ!」
「なら、今から自分の巣に戻れるのか? 正確に、そこまで」
「戻れるだ!」
『……戻れる、だと?』
交渉ガイドに「知能は低い」と書かれていたせいで先入観があった。
本当に帰れるのか、それともあほうの自信なのか、判断に迷う。
『誘導してみるか……いや、やめておこう』
巣へ帰すよう仕向ける案はすぐに棄却した。
森にたどり着くまでに広大な平原を越えねばならず、その間、周囲で目立つのはバザール領くらい。もし途中で制限時間が切れ暴れ出したら、またバザールに戻る可能性が高い。
『ともあれ「巣」という概念は理解しているようだ。その巣に帰れると言うなら、道を記憶しているのか、それとも方向を察知できる本能があるのか……まだ判断は早いか』
さらに話を続けてみる。
「おまえの眠りを妨げた小さい奴らを追ってきた、と。なぜ捕まえられなかった?」
「奴らが速すぎるからだ!」
「なぜだ?」
「クオ?」
一般人でも工夫すれば勝てるゴブリン、そしてホブゴブリンでもせいぜいC級上位。
B級のオーガが追いつけないとなれば、そこには明確な理由があるはずだ。
「おまえよりずっと弱い相手だろう? なのにどうして捕まえられなかった?」
もしオーガがその理由を説明できるなら、関連する情報と同時に「思ったより知能が高い」という判断材料になる。
逆に説明できなければ、知能について多少は安心できる。
「オーガは走れがだめだ!」
返ってきたのは予想外の答えだった。
「どうしてだ?」
「オーガは足が短く、弱いからだ! あの小さい奴らの頭と同じくらい弱いだ!」
『……どこが知能低いって?』
もちろん、赤の他人に弱点をあっさり口にするのは賢い行動ではない。
だが私は今まで「猫並みの知能」と思い込んでいたので、今の答えを聞いて認識を改めざるを得なかった。
『比べるなら、人間レベルに格上げするべきだな……高めに見積もれば、小学校に入学できる程度か』
そう思った途端、欲が湧いてきた。
――スゥ……
ちょうどそのとき、結界が解け始めた。避難が完了したのだ。
『残り時間は……』
「残り時間 ― 12:19」
『十分だ』
私はインベントリから事前に購入しておいた物を取り出した。
『オーガが特に好む素材を練り上げた団子です。人肉は含まれていませんのでご安心を』
カタログにはそう書かれていた。
取り出すと、目の前に私の腰の高さに来るほど大きな団子が現れ、地面にドスンと落ちた。
匂いは血の臭いがするものの、鼻を突くほどではない。むしろ精肉店の生肉の匂いが濃く漂う感じだ。
「クオオ! 急に旨そうな匂い! それはなんだ!」
強制的に鎮静しているはずが、オーガは団子を見るなり興奮し突進してきた。
「私が作ったものだ。食べてみろ」
放っておけば、私の許可もなく勝手に口へ放り込みそうだったので、慌てて言葉を添える。
少なくとも「私の許可のもとで食べた」という印象を植え付けておきたかった。
さもないと、そのうち「当然のように持ってこさせる」態度に変わりかねない。
オーガは団子をつかみ、すぐに口に放り込んだ。
「クオオオン!! ものすごく旨いだ! 生まれてから食った中で一番旨いだ! コカトリスより旨いだ!」
「旨いか?」
「最高に旨いだ!」
「よく聞け。この世でそれを作れるのは、私しかいない」
まずはこれを理解させておく。
オーガの知能は思った以上に高い。難しくはないだろう。
『実際は私が作ってるわけじゃないが……独占供給者は即ち製作者と同義だ』
「おまえしか作れないのだ?」
「私しか作れない。だから私が死ねば、二度とその団子は食えなくなる」
「それは困るだ!」
「だろう? だからおまえは私を殺しちゃいけない」
『私が何をしようとも、な』
「殺さぬだ!」
「誰が誰を?」
「我はおまえを殺さぬだ!」
「よし」
『オーガの餌を購入しました』
再び団子を取り出す。
「食え」
「クオオン! 感謝するだ!」
オーガが私に礼を言った。つまり、私を「団子を与える唯一の存在」と明確に認識したわけだ。
「ならば、唯一団子をやれるこの私の頼みくらい、聞けるよな?」
「頼みだ?」
「ああ。私の頼みを一つ聞くごとに、団子を一つやろう」
ここからは主従関係の確立だ。
「旨い物をくれるなら、頼みを聞く!」
『いいだろう。じゃあ一つ試してみようか』
『オーガの餌を購入しました』
「団子を一つ出す。だが、私が『食べていい』と言うまで我慢しろ。もし本当に我慢できたら二つやる。だが、先に食ったらそれで終わりだ」
有名なマシュマロ実験の要領だ。
「わかった!」
自信ありげな返答に、私は団子を取り出した。
正直、期待はしていない。どうせ我慢できずに食べるだろうと思っていた。
これは単に、オーガをその場に留めたまま離れるための口実にすぎない。
人々の避難を見届け、私の行動を固唾をのんで見守っていた酒場の店長のもとへ歩み寄る。
奇異な視線を向けてくる店長をひとまず無視し、まずは尋ねた。
「店長さん。いや、ワナサマ。奴隷契約魔法は、使えますか?」




