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作為的な展開

「ご、ごめんなさい! でもまずは、ご主人様のご判断を仰がないと!」


そう言い切ったものの、ウスキの様子は正気とは言い難かった。


それでも、せめて主との連絡を安全に交わすために現場を離れるという判断だけは下せたのが幸いだった。


「早く……! 早く……!」


焦燥を押し隠せないまま呟きながら、ウスキは路地を駆け抜ける。


探知魔法を切らさぬよう気をつけながら、主人から教えられたラインの順序を慌ただしく実行し始めた。


「……ウスキさん?」


「ご主人様! 今の状況は……!」


リシが小さく名を呼んだが、ウスキは耳に入れず、突如として虚空に向かって言葉を投げかけ始めた。


「……。」


リシはそんなウスキを奇異の目で見つめた。


彼女の知るウスキとは、まるで別人のようだった。


どこか拭えぬ異質さが漂っていた。


「どうして……こんなふうに変わってしまったのですか?」


リシの知るウスキは、こんな人物ではなかった。


外見は事故のせいで幼子のままだが、それ以外のすべてにおいて実年齢にふさわしい年輪と気品が備わっていた。


賢く、機知に富み、余裕があり、教養に満ちていた。


確かに「鬼ごっこ」となると子供のようにはしゃぎすぎる傾向はあった。


だが、むしろそうした面が一つあるからこそ、人間味があって親しみやすく感じられた。


何よりも、こんな突発的な事態に直面して取り乱し、自ら考えることを投げ出し、ただ誰かに縋るような人物ではなかったはずだ。


「ご主人様、早く……! ご指示を……! ご判断を……! お願いですから……!」


しかしリシの思いとは裏腹に、実際のウスキとは、残念ながらそういう人間だった。


幼い頃から人並外れたマナの才能を持ち、

まるで貴族のアカデミーを思わせる水準の王都の大ギルドの学園に首席で入学。

管理された安全な環境のもと、勝利と成果だけを積み重ねてきた日々。


ウスキはこれまで本当の危機に直面したことがなかった。


――ただ、あの日を除いては。


ウスキの母――タイラは、モンスターペアレントだった。


バザール随一の遊女であった彼女は、自分なら王都でも通用すると自信を抱き、金を貯めて上京した。


そして実際にかなりの人気を博し、富裕な男と出会い、子を授かった。


自分に瓜二つの娘は宝であり、同時にその男と繋ぎとめる絆でもあった。


ただ愛人に止まりとはいえ、この人権が希薄な世界において、それは決して惨めな立場ではなかった。


その日もタイラはウスキの魔法授業を見学していた。


多くのギルドでは授業の見学を特に禁じてはいない。


――そして、事故は起きた。


スタティオ――形態固定の魔法を学ぶ際、ごく稀な作用によって爆発的なマナ反応が引き起こされる。正確にどのような作用かはいまだ不明だ。


その反応に晒されれば様々な副作用が生じ、もっとも多いのが外見の固定。


ウスキの容姿はその瞬間に凍りつき、母は倒れ、以来まともに体を動かせぬ身となった。


男を喜ばせる遊女としての役割を果たせなくなったタイラは、ウスキと共に捨てられた。


当然、金も絶たれた。


瞬く間に貧窮し、それこそが真の惨めさだった。


幼いウスキはこの状況に何の打開策も示せなかった。


その時、偶然バザールから出張してきていた前任のファイン・ギルドのマスターと出会ったのは奇跡としか言えない。


タイラがバザールの花魁だった頃に世話になったことがあったそのギルドマスターは、二人を喜んでバザールへ連れ帰り、幼いウスキに宿舎管理という仕事まで与えてくれた。


こうしてウスキは、生涯ただ一度の危機すら、自らではなく他人の手によって偶然救われてしまった。


肝心の問題は何一つ解決していないのに、ただ目を背け、諦めて生きてきた。


大陸全土で見ても指折りの才女でありながら、母を癒す手段を自ら探し出すという発想すら持てなかった。


――なぜなら、ウスキは依存的な人間だったからだ。


もちろん、人は幼い頃には誰しも親に依存する。思春期を経て徐々に自立していくものだ。


だが、人一倍依存傾向の強かったウスキは、その思春期の真只中で事故に遭った。


ウスキは母から独立できなかった。


看病のために物理的にも離れられない生活が続く中で、その依存心はさらに深まっていった。


外から見れば独立しているように見えたのは、依存の対象である母が何もしなかったから。


余裕があるように見えたのは、母が何もしないから危険に直面することもなかったから。


もちろん、母の病が命を奪う類ではないと理解するまでには多少の時間を要したが。


「来た! 来ました! ご主人様からのお言葉が!」


そして今日、ウスキの依存対象は変わった。


これは本来、自然な流れではなかった。


ウスキが衝動的にマサカオの奴隷となったのも、母の治癒に可能性が見え、気が急いていたからだ。


この世界の奴隷と主人は自由契約の関係ではない。意識も命も委ねる、究極の依存関係だった。


もちろん、健全な精神を持つ者が奴隷になったからといってさっぱり依存的に変わるわけではない。


ただし、精神干渉によって忠誠心は強制的に植えつけられる。


そして元来依存的だったウスキの場合、その作用が依存対象をマサカオへと強制的に置き換えてしまった。


もし依然として母に依存していたなら、オーガが襲来したと聞いても母と離れることを恐れ、家に籠ったまま、あっけなくオーガに捕らえられ殺されていただろう。


「だい、じょう、ぶ、で、す、ウスキ、さ、ん、は、か、て、ま、す、た、た、か、い、ま、す、か?」


焦る心を抑えながらも、主の言葉を一字一句取り零さぬよう、胸に刻み込むためにゆっくりと読み上げるウスキ。


これまでの依存対象であった母は、何もしてくれなかった。何一つ命じてくれなかった。


だが今、依存対象が変わったことで、危機の瞬間に主からの命令を受けたウスキはどう動くのか。


「謹んで、ご主人様の御命を拝受いたします。」


ウスキはマサカオからの伝言に深々と腰を折った。


「本当に……狂ってしまったんですか……?」


リシはかすかに呟いた。


彼女の目には、虚空に向かって延々と独り言を繰り返し、ついには礼までしてみせる、正気を失った者としか映らなかった。


その時、ウスキがぱっと振り返った。


「あっ! ごめんなさい! そんなつもりで言ったんじゃ……!」


ウスキが自分の独り言を聞いて怒ったのかと、リシは慌てて弁解しようとした。


だが、ウスキは笑っていた。


その瞳には、自信が満ち溢れていた。


「ご主人様がおっしゃいました! 私は勝てる! いえ、勝たなければならない! ご主人様のために!!!」


それは歪んだ自信であり、一種の使命感だった。


「リシ。ここでおとなしくしていてください。私は、あのモンスターを倒してきます。」


いつの間にか自分の存在を忘れられたのではと疑っていたリシだったが、ウスキはきちんと彼女を気遣い、そう告げてから再び路地へと駆け戻っていった。


その狂気に呑まれるように、リシはただ呆然と立ち尽くす。


「ウスキさん……何かがおかしい。マサカオさんはそんな人じゃないはずけど……。まじで奴隷になった途端、ウスキさんは壊れてしまったみたい……。」


そう呟きながら、彼女は不安げにウスキの消えた路地を見つめ続けていた。


---


私はついにアリスを伴って城門前へとたどり着いた。


正確には、衛兵や冒険者たちが集結している陣地に到着したのだ。


絶望的な状況だからか、ただの一般人である私たちも意外とあっさりと中へ入れた。


オーガを止められる望みがあるのなら被害を抑えるため私たちをを帰らせただろうけど、望みがない以上は、藁にもすがる思いで一般人の助けでも求めるのだ。


そして、一般人の身でこの自殺特攻隊に志願した物好きは、私たち以外にはいなかった。


そのせいか、領主はむしろ褒めてやろうと私たちを呼び寄せた。


「クハハハハ! またお前か! ハハハハ!」


領主は私の顔を見るなり、実に満足げに豪快に笑った。


私がシュクのスパイを告発し、手柄を立てた張本人だったからだ。


「はい。先ほどもお目にかかりましたね。領主様でいらっしゃいましたか。」


私はとぼけたふりをして挨拶した。


「うむ。お前がバザールに尽くしただけでなく、命まで捧げようとは……領主として黙って見過ごすわけにはいかん! 望みがあれば何でも言え!」


報酬をあらかじめ定めず、私に直接言わせる。これなら交渉に持ち込む余地はいくらでもある。


だが、試しに開いた交渉ガイドには「交渉不可」としか記されていなかった。


理由は明白だ。


「結構です。望むものはございません。」


私の一言に、領主は途端にしゅんと気落ちした顔をした。


「つまらん謙遜などせず、何でも言ってみろ。この状況だ、皇帝陛下に反乱して帝国を譲れといった要求でも、聞かなかったふりをしてやれるぞ。」


交渉の意思どころか、生き延びる意志すらないのだ。


「それでは褒美として、現状をお教えください。オーガは今どのあたりにいて、何をしているのですか?」


私は本来ならただ聞けばいいことを、あえて褒美と結びつけて口にした。


普段であれば、領主との今後の関係で良い印象を残すための小細工に過ぎない。


だが今は単純に、情報を速やかに得るための策だった。


今のように自暴自棄になった領主なら、「一般人がそんなことお知ったところでどうする」と面倒くさがって黙殺する可能性が高いからだ。


どうせバザールをオーガから救ってしまえば、最高の印象など嫌でも残せる。


「な、なんと! お前、まだバザールを見捨てておらんのか!」


ところが、領主の反応は予想と違っていた。


領主は感極まった顔で私に駆け寄ると、両手を強く握りしめ、感謝の言葉を繰り返した。


「ありがとう! 本当に立派だ! お前を今知ったことこそ、我が人生最大にして最後の後悔だ! だがそれすら心地よい!」


領主の目尻には涙すら浮かんでいた。


『NPCだったアリスはともかく、ゲームで散々関わった男爵にこんな一面があったなんて……そうか。ここにいる人たちはゲームのキャラクターじゃない。皆、生きている人間で、それぞれ秘めた本当の姿があるんだな。』


バザール男爵はゲームの中では多少おっちょこちょいなところはあったが、一領地を治める支配者らしく、気品と冷徹さを兼ね備えて行動していた。


死を目前にして、その仮面が剥がれ落ちただけのことだ。


「そうだ、オーガの様子を知りたいのだったな? オーガはなぜか城門からオーガの歩幅で五歩ほど離れた場所で立ち止まり、何かを探しているように見えるそうだ。どうだ、それを聞いて何か策が閃いたか?」


『作為的な展開サイコーーー!!!』


私は口元に笑みを浮かべた。


「はい! あります。このままオーガが大人しくしていてくれるなら、私が――」


そのときだった。


――あの小さい奴はどこへ行った! ウオオオオ!


「うわああ! オーガが突然暴れ出したぞ!」


巨声の咆哮と、人々の悲鳴が重なった。


――ドガアアアアン!!!


オーガは一撃で城壁を打ち砕き、領地へと飛び込んできた。


「きゃあああ!」


この状況でも領主の前だからか、今まで黙っていたアリスが、思わず悲鳴を上げた。


「な、なんだと! 奴が急に! お前! 策をまだ聞いておらんが、まだ通用するのか?!」


「オーガが冷静でいてくれるなら……」


私の空虚な願いは――


――もう要らん! 腹が減った! 人間どもを食ってやる! ウオオオ!


怪物の咆哮に、無惨にもかき消された。

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