ウスキ
「止まれ!」
「交渉を開始します。
交渉当事者:政嘉男・宇賀、カルロス
交渉タイプ:恐喝
交渉目標:通行許可
交渉ヒント:
① 相手はひたすら金銭を要求します。
② ……」
「ほら、金だ! さっさとどけ!」
私は預金証書を、額も見ずに何枚か投げつけた。
「クハハハ! 話が分かるじゃねぇか」
私は嫌な顔一つせず、金を拾い集める冒険者の横を通り過ぎた。
「どこへそんなに急ぐんだ?」
「交渉を開始し……」
「ああもう!」
だがすぐにまた別の奴が飛び出してくる。
「ほら、金だ! さっさと行かせろ!」
「クハハハ! さっさと行きな!」
これの繰り返しだ。
幸い、金を受け取ってから再び塞ぐような図々しい奴はいなかったが、徐々に所持金は減っていく。
『でも、あと少しで……!』
ギルドまで残りわずかな距離だった。
「うりゃああっ!」
気合を入れ、私は残る力を振り絞って駆け出した。
「はい。そこまでですよ」
「うわっ! もう少しだったのに! ほら金だ、さっさと……え?」
苛立ちながら金を差し出そうとした私は、思わず動きを止めた。
中学生くらいの女の子だったからだ。
「ウ、ウ、ウスキさん!?」
そして、その子は私を絶対に通すはずのない人物だった。
「い、いつから……? いや今の時間は……」
「ケンサマと約束した時間、三十分オーバーです。残念ですね」
ウスキはまるで残念そうでない顔で言った。
「それじゃあ、オ・シ・オ・キ・の・じ・か・ん・で・す・よ〜」
「ちょっと待ってください! お仕置きって何の!」
「債務を抱えたまま勝手に出歩いた罪ですよ。もっとも今日は気分がいいので……そうですね、軽くビリビリ系三十分にしてあげます」
―バチッ!
爽やかな笑顔でそう言いながら、ウスキが私に向けた指先から電撃の火花が散った。
『絶対に嫌だ!』
そう口に出しかけたが、何とか堪えた。
私限定サディスト化したウスキの前で喜びそうな反応を見せても、状況が悪化するだけだ。
「すぅっ……ふぅ……」
深呼吸で落ち着こうとした。
「まだ深呼吸しなくてもいいですよ。罰は中でやりますから」
『もう、やけくそだ』
ウスキの手が触れる前に、私は何とか姿勢を整えた。
「ウスキさん、提案があります」
私はウスキとの交渉ガイドを再び開いた。
「交渉を開始します。
交渉当事者:政嘉男・宇賀、ウスキ
交渉タイプ:停戦協定
交渉目標:ウスキの撤退
交渉のヒント:
① 相手の戦闘目的は遊戯です。遊戯から得られる満足以上の精神的満足を与える貢物が必要です。
② あなたは現在、相手を満足させる貢物を所持していません。
③ 相手の精神的不満の決定的な原因が存在します。それを攻略してください。
④ ウスキの母親は長年『マナ回路過活性化の呪い』による慢性的な疲労に悩まされています。専用の解呪ポーションを用意してください。
※ 解呪ポーション・レシピ:
……
水:1kg
マナ草:30g
ゴブリンの血:4g
ホブゴブリンの心臓:1個
アイスフラワーの花粉:0.8g
C級魔術師のマナによる氷:100g
……
⑤ 推奨戦略は『貢物』です」
警備隊長室で見たときと内容は同じだ。
「ふぅん。私にはどんな提案も通じませんよ。少なくとも今はね。浅い手はやめて、おとなしく罰を受けてください」
ウスキの表情に嘘はないが、本当に交渉の余地がないわけではない。
彼女自身、まだ気づいていないだけだ。
『逆鱗に触れることになっても、もう引き下がれない』
私はためらわず口を開いた。
「ウスキさんのお母様……」
「私の母が、何?」
やはりC級だけあって、言い終える前にウスキの表情は冷えきった。
「……お母様を治す方法を知っています。その方法を――うわっ!?」
言葉を終える前に、
「戯言。もう一度ほざいたら殺すよ。口を慎みなさい」
ウスキが私の胸ぐらを掴み、ぐいと引き寄せたのだ。
『全然見えなかった……』
殺気に満ちた視線と正面からぶつかる。
「お母様、やけに長く眠っていませんか? 以前とは違って」
それでも私は怯まず、図太く続けた。
「そんなの、長く病気を患っていれば誰でも……」
「でも起きているときは、あちこち痛みを訴えるでしょう? 筋肉だとか関節だとか」
「……当たってます……」
ウスキの目が揺れ始めた。
「特に頭痛がひどいはずです。話しかけても集中できず、記憶も判断力も鈍っている……違いますか?」
「……! ええ、そうです! いつも頭痛がひどくて……!」
「食欲もなく、食べても消化できない。そして風邪でもないのに咳が出る……」
「はい! はい! その通りです!」
「以前とは違って、否定的な言葉をよく口にするでしょう? 何事にも意欲がなく、落ち込んで……」
「ええ……! うっ……聞いているだけでつらいくらい……否定的で厳しい言葉が多くなって……私自身、何度も虚しさに襲われて……ううっ……」
『よし、食いついた』
正直、助かったという思いしかなかったが、泣いている家族の前で笑うのは人としてどうかと思い、こらえた。
「でも……それをどうして知ってるんです? まさか……本当に母を治せるんですか……?」
涙に濡れた瞳に、希望の光が差す。
『どうして知ってるかって? そりゃあ……誰よりも分かってるからな』
交渉ガイドにあった病名は「マナ回路過活性化の呪い」による慢性“過労”。
『マナの過活性化は知らなくても、過労の症状なら身をもって知ってる』
「ええ。お母様の症状はマナ回路過活性化の呪いです。そのせいで過剰な疲労が蓄積している」
「呪い……? でも私が診たとき、呪いなんて……」
「……それがこの呪いの特徴です。魔法的診断では分からない、狡猾な呪いなんですよ」
よく分からない顔をしていたので、適当に誤魔化した。
「本当に……治せるんですか……?」
「私には治せません」
一瞬、絶望がウスキの瞳に走った。
すぐに続ける。
「治せるのはウスキさんご本人です。私はその貴重な素材を集められませんから。」
「素材……ですか?」
「お母様を治せるポーションのレシピを知っています」
「そんな……! それは何ですか、教えてください、お願いします!」
焦りが滲む声。
私はわざと間を取った。
「ウスキさん、繰り返しますが、これは提案です。このレシピをお教えする代わりに――」
だが、間を置く暇もなかった。
「何でもします! 私、マサカオーガさん……いえ、マサカオーガ様の奴隷にだってなります!」
「……奴隷?」
『そこまでは望んでないが……本気か?』
返事に迷っていると、ウスキが私の手を掴んだ。
「本気です! えいっ!」
そう言うや、私の手を自分の胸元へ押し当てた。
―むにっ。
「うわっ!? な、何を――!」
『誰かに見られたらどうするつもりだ!』
ウスキは明らかな成人だが外見は完全にJK!
知らない人が見ればアウトだ。
『ロリコンの烙印押される!』
幸い、遅い時間で人通りはなかったが……来る途中で会った恐喝野郎たちもいる。必死で周囲を確認しながら手を引こうとしたが、微動だにしない。
むしろ彼女は、私の手をさらに押しつけてきた。
―むにぃ……
幼い見た目らしく膨らみ始めたような感じ……
『……って、何の感想してるんだ私は!』
「ウスキさん! 離してください! 誰かに見られたら!」
「構いません。それより集中します」
「集中って何を!?」
他人の心配も知らず、目を閉じて胸に私の手を押し当て続けるウスキ。
『頼む……誰も通らないでくれ……』
祈るしかなかった。
やがて――
―ふわっ!
ウスキの全身から白い炎のようなものが立ち昇った。
「うわっ!?」
驚いたが、熱くはない。
―すぅ……
炎は次第に私の手の方へ集まり、手の甲に凝縮されていく。
「これは……?」
しばらくすると、それは吸い込まれるように消えた。
「完了しました、ご主人様!」
「……何が? それより、ご主人様?」
「はい! ご主人様! 奴隷契約が完了です! これから私はご主人様の意思で命すら預ける、正真正銘の奴隷です! よろしくお願いします、ご主人様!」
「……は?」
呆気に取られた。
「私が母の症状を少し当てただけで、こうもあっさり奴隷になるんですか? もし私が詐欺師だったらどうするんです?」
「え!? ご主人様は私に詐欺を!? ど、どうしよう……本当に奴隷になっちゃった……自分で結んだから逃げられない……ど、どうしよう……」
腰を抜かした様子を見る限り、嘘ではなさそうだ。
「……はぁ。詐欺じゃありません。本当にお母様を治すレシピは知ってます。安心してください」
「ほ、本当ですか?」
しょんぼりと見上げる顔は、まるで叱られた中学生だ。
「ええ、本当です」
私が真剣にうなずくと、ようやく安心した顔を見せた。
『馬鹿じゃないとは思っていたが……決定的な場面で性急になるタイプか』
こうなった以上、きちんと矯正してやらねば。
「……むしろ良かったかもしれませんね。悪質な詐欺師に引っかからなかったのは運がいい。今後、交渉ごとは必ず私に知らせてください」
「……はい」
素直に返事をする姿に、私はようやく息を吐いた。
『そうだ、交渉成功の報酬を確認しないと』
あまりに突拍子のない展開で、メッセージをまだ見ていなかった。
「では、中に入りましょう。レシピの件もありますし……。」
そう言って宿へ向かおうとした、その時――
―カーン! カーン! カーン! カーン! カーン! カーン!
―モンスター襲来! オーガが攻め込んできたぞ!
『オーガ!?』
私とウスキは、互いに目を見開いた。
バザールに、災厄が迫っていた。




