警備隊長
夜も更けた頃、私は警備隊の本部にいた。
ギルドへ戻る途中で、調査協力という名目で連行されてきたのだ。
『ったくよ!政治家ってやつは!』
孤児院の話を持ち出して、あたかも穏便に帰すような顔をしといて、結局このザマだ。
まあ、それでもいきなり怪しい者扱いされなかったのは不幸中の幸いだった。
むしろ人権なんてない世界とは思えないほど、警備兵たちは私を丁重に扱ってくれた。
「そんなにお気を悪くなさらずに。形式的なものですから、形式的な」
年配の男性で、自ら警備隊長と名乗った人が、わざわざ私と一対一で話しながら、茶まで出してくれた。
「ええ、仕方ないですね」
私は素直に茶を受け取った。
「アンジェラさんの孤児院のご出身と伺いましたが」
『……うわぁ』
こんなところでまで院長先生の名前が出るとは思わなかった。
「院長……いえ、私の母を、ご存知で?」
「ええ、もちろん。誰もが尊敬するお方です」
「そ、そうですか……母は昔の話をあまりしないもので……母のこと、伺ってもいいですか?」
「ふふ、構いませんよ」
そうして聞かされた院長先生の話は、ある意味ではありがちな美談だった。
ただし、バザール男爵の妹でガイウスの姉だったということを除けば、だが。
貴族として生まれ、大切に育てられた令嬢。
優れた人格と行いで、貴族と平民の垣根なく愛し、愛された聖女。
似た性格の平民男性と結婚し、周囲の反対を押し切って最も貧しい村で最も哀れな子どもたちを救うために「エンジェル孤児院」を創設した救い主。
『……できるだけ早く、一度会いに行こう』
ゲームでは語られることのなかった彼女の実像を知って、私は今、最も必要な人脈が彼女であると痛感した。
『……っていうか、ギルドでなんでこの話出なかったんだ?』
ふとそんな疑問が浮かんだ、まさにそのときだった。
――コンコンコン。
ノックの音が聞こえてきた。
「ふむ。誰も通すなと言っていたが、通したということは大事なお客様か。少し失礼。」
「はい」
隊長は私に断ってから扉を開けた。
扉の向こうに立っていたのは、一人の女性冒険者だった。
『やっぱり来たか。あの女』
ゲームで見たことのある人物だった。
意味不明な無地の仮面を着けた、冒険者を装った男爵の使い。
『名前は何だっけ? すごくダサい名前だったんだが……ああ、思い出した……!』
「隊長さんこんばんは。バザールに無断侵入したシュクのスパイを捕まえまし……あら?お客さんが……えっ!?」
報告の最中、私を見た彼女は、言葉を切ってそのまま固まった。
『……なんか動揺してね?私のこと知ってる?』
院長先生の話が続いてたせいで、もしかしたら私の知らない孤児院仲間かとも思った。
仮面を着けてはいたが、今まで出会った女性たちの中にこんな背丈の者はいなかった。
具体的に言うと、ウスキ(※中学生の背丈)とミア(※成人の女性の中に最短身)のぐらいの間の身長で、
今まで会った中で一番背が高かったセラとは、頭ひとつ分は違った。
「ああ、こちらはシュクのスパイを最初に見つけたという方です」
隊長は、彼女の様子には気づいていないようで、私を紹介した。
「う、うん!想像はしてたの。でも領主様からはその方をもう帰したって聞いてたから、ここにいらっしゃるとは思わなくて」
「ふふふ、領主様の性格はご存知でしょう?」
「はい。こういうの久々で、うっかり忘れてました」
彼女は気まずそうに笑った。
「あの……その方は?」
黙っていると怪しまれると思い、あえて聞いてみた。
「おっと、失礼しました。この方は領主様の剣、『ケンサマ』です」
『ああ、そうそう、その名前だったな』
「初めまして、ケンサマです」
「初めまして」
私は丁寧に頭を下げた。
バザールに4人しかいないC級のうち、ギルドマスターとウスキを除いた2人はどちらも領主の側近だ。
領主の剣、領主の縄。
そのうち女性の方が、いま目の前の「領主の剣」、つまりバザールの解決屋というわけだ。
『ちなみに男の方の名前もケンサマと同じくワナサマだった。哀れなこった』
私ならそんな名前で活動するくらいなら、ブラック企業に出戻りする。
「とにかく、スパイは捕まえて担当者に引き渡しました」
「承知しました。中でお茶でも差し上げたいところですが、見ての通り、まだ仕事が残っておりまして」
「あ!私は大丈夫です。調書的なものを書けばいいんでしょう?こちらで適当にやってますので、お二人はごゆっくり」
私はソファの一番奥に腰を移しながら言った。
『二人の会話から、あの女の正体の手がかりが出てくるかもしれないしな』
彼女の正体は前から気になっていた。
「よろしいのですか?正直、ケンサマとお会いするのは久しぶりで、ゆっくりお話ししたかったので……ご配慮、感謝いたします。さあ、どうぞケンサマ」
「うん」
ケンサマはあっさりと部屋の中へ入っていった。
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ケンサマ――つまりセラは、平静を装いながら応接用のソファに腰を下ろした。
だが、無意識のうちに手が腹元に伸び、それを慌てて抑える。
平民の女性冒険者であれば、腹を露出した格好を恥じることはないだろう。
『恥ずかしい!』
もちろん、成人するまで貴族教育を受けて育ったセラには、当てはまらない話だ。
平民と働くうちに、女性冒険者たちの下品な服装には慣れてきたとはいえ、それを自分で着ることになると話は別だ。
『報告だけで済むなら、すぐ逃げてるのに!』
それでもわざわざ逃げずに警備隊長室まで足を運んだのは、まだやるべき仕事が残っていたからである。
あいにく、扉越しに済ませられるような簡単な話ではなかった。
『もし正体がバレたら、本気で死にたくなるかも……!』
たとえば、普段顔を合わせることのない警備隊長相手なら気も楽だっただろう。
だが、今回はまずかった。
なにせ、仕事仲間。それも、会ってまだ一日しか経っていない男がそこにいるのだ。
セラはソファに腰かけたまま、ついマサカオの方をちらちらと盗み見てしまう。
幸いにも、マサカオは捜査報告書の記入に集中している様子だった。
『あれもすぐ書き終えるはず。』
たった一日でわかったことだが、マサカオの事務処理能力は驚異的だった。
報告書にしろ、帳簿にしろ、備品管理表にしろ――教えればすぐに覚え、完璧にこなす。
まるで、前にも似たような仕事をしていたかのように。
『とにかく、さっさと書いて出てってよ!』
今のセラにとって、それ以外のことは頭に入らなかった。
せめて、警備隊長が茶を淹れる前に、マサカオが席を立ってくれれば――そう願っていた。
だが――
「どうやら、さっき淹れておいたお茶が少し残っていたようですな」
思ったより早く、警備隊長が茶を持って戻ってきた。
「は、はいっ! ありがとうございます」
「はっはっは、久しぶりなのだから、そんなにかしこまらなくていいのですよ」
セラは、反射的に背筋を伸ばし、礼を言ってしまった。
『こうなったら、先に私が帰るしかないわ!』
茶を一気に半分以上飲み干すと、セラはやや早口になって報告を始めた。
「スパイはシュク男爵が直接送り込んだ者ではありません。シュク領唯一のギルド――マヤギルドが送り込んだ者です。もっとも、男爵の意図が全く関係ないとは思いませんが。今のところ、そういう見方が妥当です」
セラがここまで断言できるのは、嘘を見抜くための魔法を習得していたからだった。
この世界では、「戦士」と「魔法使い」の区別は曖昧である。
マナを扱える者が武器や拳にそれを込めて戦えば「戦士」、魔法理論を学び物質変化を起こせば「魔法使い」と呼ばれる。
ただし、魔法とは本来学問であり、短期間で習得できるものではない。だからこそ、同じ等級でも魔法使いのほうがよりエリートと見なされることが多い。
とはいえ、セラのように、必要に応じて一部の属性魔法だけを習得する者も珍しくはない。
「では、仮に男爵の意図だったとして、なぜ今この時期にスパイを送ったのでしょうか? 最近はシュク男爵が和解の手を差し伸べ、領主様との関係も改善されつつありましたよね?」
「その和解の申し出自体が、仕組まれたものだったのかもしれません」
会話が深まるにつれて、セラは羞恥心すら忘れて推理に集中し始めていた。
「理由についても、おおよその見当はついています。最近、私たちのバザールでは――残念なことに――女性冒険者の失踪が相次いでいますよね。その混乱に乗じたのでしょう」
「ですが、シュク男爵が和解を申し出たのは、女性冒険者の大量失踪が起きる前のことでは? もしその話が本当なら、どうして彼は事前にその混乱を予見できたのです?」
「それは……」
セラの推理は、そこで止まってしまった。
「では、和解の申し出は本心からのものだったと考えるのが妥当ですね」
「……納得はいかないけど、そうみたいですね」
シュク男爵家と長年対立関係にあったセラは、しぶしぶそれを認めた。
「ではもう一つ、疑問が残ります。なぜシュク男爵は、訓練を受けた情報員ではなく、素人同然の冒険者をスパイとして送り込んだのでしょうか?」
「それは……ワナサマの存在が理由だと思います。訓練を受けたスパイであれば、かえって『罠』に引っかかりやすい。でも、冒険者なら一応疑いの目を避けることはできますから」
冒険者が領地間を移動するのはごく普通のことだ。実際、エイブもまったく疑っていなかった。
ただ、それはその冒険者が本格的にスパイ活動を始める前だったからに過ぎない。
もしあの場にマサカオがいなかったとしても、あの冒険者がバザール男爵の話を盗み聞きしようとした時点で、エイブに捕まっていたことだろう。
マサカオがエイブに見破られなかったのは、単にゲームでその方法を知っていて、偶然にもそれを使ったからにすぎない。
もちろん、今回その手法をエイブに見られてしまった以上、今後はもう通用しない。
「すみません……捜査報告書はすべて書き終えました。そろそろ失礼しようかと思うのですが、出る前に一つだけ、発言してもよろしいでしょうか?」
そうしてセラと警備隊長がじっくりと推理を進めていた最中――
既に真相に気づいていたマサカオが、遠慮がちに口を開いた。
「……ひっ!」
思わずマサカオの存在を忘れていたセラは、込み上げてきた羞恥心に顔を赤らめ、条件反射でお腹を隠した。
「ふむ? ああ、どうぞ、聞かせてください」
警備隊長はセラの妙な反応に首をかしげながらも、マサカオに発言を促した。
「スパイを送り込んだのは、マヤギルドの独断だったのだと思います。シュク男爵に、ワナサマのような人物に見破られるリスクを避けつつ、あえて素人をスパイとして使うような知恵は……ありませんから」
マサカオは、まるで過去の出来事を思い出すかのように静かに語った。




