飲み会
受付嬢にとって、夕方は一番忙しい時間だ。
昼食の時間とは違い、ゆっくりと食事を楽しむ余裕はなく、最低限の人数で交代しながら慌ただしく済ませるのが普通だ。
ファインギルドも例に漏れず、夕方は忙しい。
とはいえ、一人で業務を回すのが不可能というわけでもない。
『正直、ファインギルドの受付は人手が余ってるくらいだしな。なんで三人制にこだわってるのか分からないくらいだ』
とにかく、アリスが教えてくれた「夕勤中に飲み会をする方法」はシンプルだった。
「「「かんぱ~い!」」」
私、リシ、アリスの三人はグラスを合わせた。
ミアは今、一人で受付に残っている。
現在時刻は夕方六時。
ここから退勤時間の九時まで、三人で一時間ずつ交代で受付に立ち、残りの二人がゆっくりと食事を取るという方式だ。
もちろん、いくらゆっくりとはいえ、一時間も食事を続けていれば、誰だって満腹になる。
だから、この時間の目的は「一緒に食事をする」ことよりも、「会話を楽しむ」ことにある。
言ってみれば、つまみが豪華なティータイムのようなものだ。
―ゴクゴクゴクッ! ぷはぁ〜!
私たちはまるで示し合わせたように同じ動作、同じタイミングでグラスを飲み干し、満足げに息をついた。
もちろん、私もちゃんとお金を出した。
『どうせ受けるなら派手にいこう』
職員専用の融資限度額は百万ゴールド。この金額を全額借りた。
これだけで行動の幅がぐっと広がった気がして、少し安心感が生まれた。
『どうせ返さなきゃいけない金だけど……今は考えるのやめよう』
「なんだあの男? ギルドに入って間もないのに、もう受付嬢たちとあんなに仲良くしてるぞ」
「それより、まだ勤務時間中じゃないか? あれでいいのか?」
「あれ、酒じゃなくてジュースらしいぞ」
「酒でもジュースでも、俺たちも負けてられねぇ! グラス持て、グラス!」
隣のテーブルで何やらヒソヒソ言っていたかと思えば、急に賑やかに乾杯を始めた。
少し離れた席だったが、私たちはレストランの従業員たちと同じ空間で飲み会を始めていた。
『ガイウスも大人しく座ってるし……』
セラの姿は、まだ見えない。
『何か変化があるまでは、本当に楽しんでおこう』
「ミアさん、一人で本当に大丈夫でしょうか?」
私は半ば本気で心配になって聞いた。
「大丈夫ですよ~! このポンコツなリシちゃんですら、やる気出せばちゃんとこなせるんですから!」
「ちょっと! そんなこと言わないでよ!」
アリスは何故か妙にテンションが高く、派手に答えた。リシは恥ずかしそうにアリスをたしなめた。
……と、その時、ふと気になったことがあった。
「リシ……ちゃん?」
「はい! 年も近いし、リシちゃん可愛いから、プライベートではそう呼んでます!」
『あれ? この世界の言語って“翻訳されて”聞こえてるはずじゃ?』
もちろん、帝国語でもどこの言葉でも、関係性に応じた呼び名や愛称は存在するけれど……まさか“〜ちゃん”なんて親しみのある呼称がそのまま耳に入るとは思わなかった。
『なんか……ちょっと安心できった』
ベルミスの時はリシという特異点のせいで少し無茶をしたけど、元々私はスリルより安定を好むタイプだ。
もし今、自分で帝国語を覚えて話していたら、まるで外国にいるような不安感がもっと強かっただろう。
「……いいですね」
思わず口からそう漏れた。
「……!」
なぜかリシの視線が強くなった気がして、顔を上げた。
「羨ましいですか? マサカオウガさんも、何か呼び名をお付けしましょうか?」
途中からアリスが会話に割って入ったので、視線をそちらに向ける。
『前からちょっと気になってたけど、言ってみるか……』
私は、うっかりあちこちで自分の名前を「マサカオウガ」とフルネームで紹介してしまったせいで、“マサカオ・ウガ”ではなく、“マサカオウガ”になってしまった。
そうなると、“ウガ”の部分がオーガ(鬼)を指しているように聞こえて、誤解を招くことが多い。
それに、常にフルネームで呼ばれるのも正直ちょっと気になる。
帝国では、明治以前の日本のように、平民には姓がないのが普通だ。
名前を分けて呼んでほしいと言うと、「貴族ぶってるのか?」と誤解される可能性もある。
だから今までは黙っていた。
けれど、今感じたこの“安心感”を頼りに、思い切って言ってみることにした。
「“政嘉男”……と呼んでもらえますか?」
「マサカオ……? 名前の一部だけを使って呼んでほしいってことですか? 貴族みたいに?」
案の定、アリスからそんな反応が返ってきた。
「あっ……い、いえ、何でもありませ……」
「いいですよ! マサカオさん!」
なのでごまかそうとしたところ、リシが急いで言った。
「リシさん?」
「私は構いません。これからマサカオさんって呼びますね。たとえ貴族の真似だって気にしません。マサカオさんは、きっと貴族より偉大な人になるんだから!」
誰かに聞かれるのが恥ずかしかったのか、小声で……でも、はっきりとそう言ってくれたリシ。
「本当に、ありがとうございます」
私は深く頭を下げて感謝の意を伝えた。
「ふふふっ。私も賛成です。マサカオさん、ほんと面白い人ですね!」
こうして呼び名が決まると、私はさらに二人に親しみを感じた。
そこから先は、文字通り和やかで楽しい時間だった。
ゲームでは知ることのできなかったリシのことも、たくさん知れた。
ゲームではただの無個性のNPCだったアリスも、意外と色々と新しい一面があった。
例えば、アリスは騒動が大好きだという。
自分で起こすんじゃなくて、他人が起こす騒動を見るのが好きらしい。
そんなふうにして楽しい時間が流れ、気づけば一時間が過ぎていた。
「交代〜」
ミアもなんとなく機嫌が良さそうで、語尾が微妙に伸びていた。
『この人たち、本当にこういう集まりが好きなんだな』
それだけ仲が良いということだろう。微笑ましい光景だった。
「わっ! もうそんな時間? うう、楽しかったのに。マサカオさん、行ってきますね」
「はい。頑張ってください」
リシは名残惜しそうに何度も振り返りながら、受付へと戻っていった。
一時間も会話を交わしていれば、さすがに気づく。
リシの、私への気持ちに。
リシは――私を好きだ。
『……っと、また勘違いしてみたり。恥ずかしがり屋で男に慣れていないのが見え見えなのに、一生懸命我慢して向き合ってくれてるのが、なんだか可愛いんだよな。まあ、昨日みたいな勘違いはもうしないように気をつけよう』
私と話す時、リシの声は緊張で無駄に高くなっていて、目を合わせると顔を赤くしてそっと逸らす……その繰り返しだった。
好きって勘違いしても無理はないが、普通に考えれば、内気な子が必死に社会生活をこなしてるってだけだ。
「もぐもぐ! ぱくぱく! ずるずる! ごくごく!」
ミアは席に着くなり、無心で食事に集中していた。
小さな手で次から次へと料理を口に運び、小さな口がせわしなくもぐもぐ動いている。
『食べてる姿もハムスターみたいだな……君は今日から“ハムミア”だ』
勝手にそんなあだ名をつけていると、ミアは黙々と食べ続け、会話は自然とアリスと私の二人で進んでいった。
――と、ようやく異変が起きたのはその頃だった。
「私は用事があるから先に帰るぞ。お前たちは適当に楽しんで、後片付けもちゃんとして帰れ。お前もだ!」
『……何で私にだけ……いや、それより問題は――』
会食が始まってから約一時間半。セラが消える原因になりそうな出来事は何も起こらなかった。
ガイウスは今夜の営業を休んで店を貸している分、後片付けはしっかりしろと言い残して席を立った。
念のため周囲を素早く見渡したが、セラの姿は見えない。
『会食中に何か起こるって話じゃなかったのか!? くそっ!』
「アリスさん、申し訳ありません。突然なんですが、大事な用を思い出しまして……せっかく用意していただいた場なのに、本当に申し訳ありませんが、先に失礼させていただきます」
「……へえ〜」
アリスは、騒動の予感を感じ取ったのか、口元をゆるませた。
「こちらは心配いりませんよ! 私に任せてください!」
「ありがとうございます!」
私は懐にしまっていた貯金証書の束と、腰に吊るした小銭入れを確認しつつ席を立った。
「くひひひひ!」
背後では気味の悪い笑い声を漏らすアリス。
私はその声を背に、レストランをあとにした――。
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マサカオが出てから、およそ一時間半後。
今日はなぜか締め作業が異様に忙しかったが、それをニコニコ顔で終わらせたアリスが、足早にレストランへ駆け込んできた。
「ふえええ〜んっ! ほんっとにひどいよぉぉぉ〜!! うわあああん!!」
マサカオの話を聞くなり、“お酒は夜の九時以降”という暗黙のルールを無視して酒瓶を開けたリシは、それから一時間近く泣き続けていたようだった。
「くくっ……どんだけ飲んだのよ……ん? え?」
アリスが酒瓶を手に取って振ってみると、中身はまだたっぷり残っていた。
「リシちゃん、やっぱりお酒弱いままだね。すぐ酔っちゃうし、でもすぐ醒めるのがリシちゃんの長所だけど」
アリスは、可愛い妹を見るような目でリシを見つめた。実際には、リシのほうが一年ほど年上なのだが。
「もう泣くのやめなよ、リシちゃん〜。急な用事ができたって言ってたじゃん? 仕方ないよ〜。くくっ」
「だからぁ! その急用がなんだったのかって言ってるのぉ〜!! うえええ〜ん!!」
アリスは口ではリシをなだめつつも、漏れ出す笑いを隠す気もなかった。
「ひっく……もう無理っ! マサカオさん、追いかけるっ!」
「えっ? いきなり? 今から?」
アリスが受付に戻っていた一時間のあいだ、ずっとおとなしく席で泣いていたリシが、突如として夜の街に飛び出そうと宣言した。
騒ぎが好きなこととは別に、普通の市民が夜の街を一人で歩くのは危険だ。
「ダメだよ! リシちゃん、ちゃんと部屋に戻って……」
「待っててください、マサカオさ〜ん!!」
酔っ払ったリシは、アリスの言葉を最後まで聞かず、そのままレストランを飛び出してしまった。
「ちょっ……!」
アリスは引き止める間もなく、リシを見送ってしまった。
「どうしよう……。こんなことになるなら、マサカオさんを行かせるんじゃなかった!」
リシによる“騒動”をちょっとだけ期待して、あっさり送り出したことを今さら後悔し始めたアリス。
「……あっ! あの人!」
焦って頭をフル回転させたアリスの脳裏に、一人の人物が思い浮かんだ。
アリスが締め作業に入る直前に、依頼の完了報告に来たDランクの冒険者。
無口でぶっきらぼうに見えるが、マサカオに負けず劣らず弱者に優しいという、珍しい性格の持ち主。
元は傭兵だったが、初めて“サラリーマン”という道を選び、明日から出勤にも関わらず、今日中に依頼を終わらせたという勤勉さ。
「今なら、まだそんなに遠くへ行ってないはず!」
アリスは、リシのためにマルコスに迷惑をかける覚悟を決めて、走り出した――。




