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リシ

ゲーム内でのウスキの「鬼ごっこ」を簡単にまとめると、こうだ。


主人公は、今の私のように無一文だ。


ギルドに到着すると、まずは借金をする。名目上は、週給が支払われるまでの一週間分の生活費の確保ということになっている。


ギルドを見学したあと、「村を見物してきます」と外出し、外食をする。だから、ゲームが本格的に始まって借金を返そうとしても、外食代の分だけ残ってしまう。


そのまま外でぶらぶらして日付が変わるまで帰らない。


そして、ウスキの鬼ごっこが始まる。ここまでがゲームのプロローグで、すべて強制イベントだ。


『このときのウスキはほんと怖いんだよな。今実際に会ってる普段の姿とだいぶギャップがある。』


特に、ヒロインとして攻略が完了したウスキは、見た目に似合わず子どもみたいに甘えることもあり、そのギャップに萌えるファンも多かった。


私はギルド運営にしか興味がなかったので、ヒロインたちとの好感度イベントはほとんど進めていない。ウスキの詳しい事情についてもあまり知らない。


『ウスキのお母さんの病気についても、ネットでいろいろ言われてたな。何かの薬で治るとか? いや、呪いだったか? あー、よく覚えてない。もっとちゃんと調べとくんだった。』


もしウスキの母親の病を治してあげられれば、その恩で、借金しても外出するくらいなら黙認してくれたかもしれない。


『まあ、過ぎたことだしな。運が良ければ手に入るかも? なんなのかも知らないけど。』


その霊薬かアーティファクトか分からない特効薬の正体を、ウスキ本人も知らなかった。知っていたらとっくに依頼を出すなり、自分で探しに行っていただろう。


『寮のルールを破らないこと、難病に効きそうなアイテムはチェックしておくこと。まあ、その程度か。』


寮のルールには「借金がある場合は外出禁止」以外にもいくつかあるが、「廊下で騒がない」などごく基本的なものばかりだ。


『もう夕方か。』


窓の外はすでに暗くなっていた。


考えを整理しているうちに、あっという間に時間が過ぎていた。


『まだ早いけど、もう寝ようかな? 店もちゃんと見ておきたいけど……異世界に慣れるだけでけっこう疲れたな。』


ショップのことは明日調べることにして、ベッドに入ろうとしたそのときだった。


――トントン。


ノックの音がした。


「どなたですか?」


玄関の前で声をかけた。


「あっ! わ、私、リ、リシです!」


どこか慌てた様子のリシの声が聞こえてきた。


『……え? もう?』


昼間のこともあったし、リシが訪ねてくる可能性もあるとは思っていた。


私が驚いたのは、受付嬢の勤務時間がまだ終わっていないはずだったからだ。


この世界も一日が24時間。


事務職なら18時頃に退勤するが、受付嬢は21時までが勤務時間となっている。


『依頼完了報告が夕方に集中するし、夜もけっこう来るからな。』


朝も忙しくて早出することも多い。


その代わり、中休みの時間は自由に取れる。リシが事件に巻き込まれたにもかかわらず、業務時間中に長く席を外しても問題なかった理由だ。


もっとも、それは小さな田舎ギルド「パインギルド」の話であって、常に忙しい大手ギルドではもっと多くの人員が交代制で回している。


ひとまず玄関を開けた。


「こんな時間にどうされましたか?」


「えっ? あ、いえ、他の人たちが先に帰っていいって気を遣ってくれて……。」


『ふむ。同じ女性として、セクハラ事件の被害者に配慮してくれたのか?』


「今が一番忙しい時間のはずですが……。皆さん、優しい方々なんですね。」


もちろんこのド田舎の忙しさなんて、日本のブラック企業で働いていた私から見れば可愛いものだけど、気遣いは気遣いだ。


いつも無表情で短く返事するハムスター娘ミアに、そんな気配りができる一面があるとは意外だった。


「……は、はい! もちろん、いい人たちです。ミアも、エリスも。」


『でもなんか、そわそわしてるな。』


ようやくリシの様子に注意を向けた。


彼女はずっとそわそわしながら、私をまともに見ようともせず、体をもじもじさせていた。


その姿に、私の脳は自動的に高速回転を始めた。


そして、結論はすぐに出た。


『……ふっ! なるほどね。告白しに来たのか。』


「リシさん、どういったご用件で私の部屋まで?」


私はしっとりとした声でリシに尋ねた。


「あ……その……渡したいものがあって。」


恥ずかしそうな仕草と口調。そういえば最初から何かを背中に隠していたような?


『いきなりプレゼント攻勢か。これは困ったな〜私を贈り物で落とそうだなんて、リシちゃん、かわいいとこあるじゃない。』


私は素直に受け取ってあげることにした。


「これです。」


「わぁ〜! 本当にうれし……い?」


思わずこぼれた笑みで受け取ったそのプレゼントを見て、私は固まった。


『この服は……。』


リシが差し出したのは、服だった。


『この世界では告白の贈り物に服を贈る文化でもあるのか?』とも思ったが、よく見るとそれはリシの贈り物にしては不自然な服だった。


「制服です。ミアが渡すの忘れてたみたいで。」


さっきまでの恥ずかしがる態度はどこへやら、リシはあっさりした口調で言った。


『ミアのやつ……!』


固まった笑みを無理に保ちながら、私は平然を装って軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。ちょうどスーツが一着もなくて困ってたところです。」


ストーリーが外れたときのリスクを確かめるため、孤児院の園長からスーツをもらうのを諦めたのだった。


「ギルドに予備の制服があるはずです。明日、用意しておきますね。」


リシは少し早口になって答えた。


「は、はい。お気遣いありがとうございます。また明日。」


逆に私は、魂が抜けたような声でゆっくりと答えた。


「はい。では、また明日。あっ! 私、隣の部屋ですから、何かあれば気軽に声かけてくださいね。ぜひ、これからよろしくお願いします〜」


リシは今度は早口でまくしたてると、急に何か用事を思い出したようにクルリと背を向け、隣の部屋へ入っていった。


私はその背中を呆然と見つめた。


『まあ……早く用事を済ませて休みたかったんだろうな。』


ドアを閉め、部屋に戻った。


ワンルームの片隅に置かれたベッドに、受け取った制服をポンと放り投げた。


『死にたい……。』


羞恥心が致死量を超えていた。


神は人間を創るとき、「恥ずかしい」という感情を猛毒にするべきだった。


ベッドにうつ伏せに倒れ込み、足をバタバタと動かした。


『うああああああっ!』


その最中、騒音に気をつけて、悲鳴は心の中だけにとどめた。


長い一日だった。


---


リシは自分の部屋に駆け込むように戻った。


そして、偶然にも政嘉男(まさかお)とまったく同じ格好で、ベッドに体を投げ出した。


「きゃああああっ!」


声にならない悲鳴を全身で表現していた政嘉男とは違い、リシは抑えることなく、心のままに叫んだ。


ギルド服を渡した瞬間、嬉しそうに、優しく微笑みながら、自分をじっと見つめてくれたあの眼差し。


「かっこよすぎる……どうしよう!」


この世界には、人権なんてない。


弱者を守ることは、義務でもマナーでもなかった。


ヴェルミスによるセクハラは「していいこと」ではないにしても、「してはいけないこと」でもなかったのだ。


強者に逆らうということは、そのまま死に直結する行為になりうる。


だから、あのとき政嘉男が何もしなかったとしても、リシは決して彼を責めたりはしなかっただろう。


『こんな人、ほんとにいるんだ……。』


ドクンドクン。


壊れた心臓のように早鐘を打つ鼓動が、記憶中枢に昼間の出来事を蘇らせた。


ギルド長がリシに「休憩室で休んでおいで」と言ってくれたあのとき。


政嘉男は急いで階段を駆け下りてきた。


その時点でもう、リシの心は半分以上傾いていた。


政嘉男がマルコスとともに2階に戻るのを見て、こっそりと後をつけて会話を盗み聞きした。


そのときの言葉。


――正しいと思うからです。


女性の気を引くためではなく、


男としてのくだらないプライドを満たすためでもなく、


ただ、信念のために。


まぶしいほどに輝く自分の価値観を、この世界で証明するために、彼は強者の前でも一切ひるむことなく行動したのだと語った。


その真意を知った瞬間、リシの心は完全に彼に奪われた。


痛いほど脈打つ胸を押さえながら、ようやくたどり着いた休憩室で、リシはただただベッドに横たわるしかなかった。


何もできない、強烈な脱力感。


そして、満ちてくるのは、幸福と愛情だった。


その記憶を噛みしめていたリシは、ふと政嘉男の部屋の方向を見た。


「部屋も隣……これは運命ってやつだよね!」


話すのが好きな彼女は、ひとりごとも多かった。リシはそうつぶやきながら、そろりと壁へと近づいた。


少しでも政嘉男の近くにいたかった。


壁の前に立つと、彼女はくるりと背中を向け、壁に寄りかかって目を閉じた。


集中。


政嘉男の寝息でも聞こえないかと、リシは必死に耳をすませた。


「だめだよ。これじゃ変態みたいじゃん……。」


そう言いながらも、自分を恥ずかしい行為に走らせまいと必死でこらえた。


恋に落ちた少女は、壁に耳を当てようとする自分の頭を、懸命に押さえつけていた。


仕事をするうちに嘘が上手くなってしまったとはいえ、生まれつき正直者のリシは、誰が見ていなくても、政嘉男の前では恥ずかしくない自分でありたいと願っていた。


もちろん、たとえ聴診器を当てたところで、隣の部屋の音が聞こえるはずもなかった。


この世界の建物は、どんなに壁が薄くても部屋の中の音が漏れることはない。


一度でも防音魔法を施せば、部屋の中で爆発を起こそうと、隣人が騒音に悩まされることは決してない。


リシもその常識は知っていたが――


片想いでここまで本気で落ちたのは人生で初めてのことだった彼女は、しばしの間は理性的な判断ができない状態だった。


「わっ! 明日は早く出勤しなきゃ!」


出勤時、事務所へと上がっていく政嘉男の姿を少しでも早く見たくて――


夕食も抜きにして、そそくさと就寝準備に入るリシだった。

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