夜の河原
四、
それは、みつきほどまえからはじまったと、暗いところで出会った暗い顔の女がはなしはじめた。
「・・・仕事にいったはずなのに・・・、家のなかにいるのでございます・・・」
つかれきったように下をむき、自分の手をみつめている。
ジョウカイが散歩のとちゅうで声をかけたのは、 ―― 夜の河原で、一心不乱に包丁を研いでいた女だった。
そばに置く提灯のろうそくに照らされるその顔は、鬼に間違われてもよさそうなもので、ジョウカイのみたところ、女はすでに『鬼』をうみだしそうな気配をみせていた。
なので、悪いとは思ったが声をかける前に女の気をうしなわせ、倒れていたのを介抱したといいわけしながら、そばに落ちた砥石と包丁をゆびさして、わけをきいたのだ。
「・・・夫を、・・・せめて、どちらかを、・・・殺して埋めてしまおうかと」
月のあかりをうけてながれる川をながめそうもらした女は、肩をふるわせて泣き始め、ジョウカイが先をうながさなくとも、事の次第をかたりだした。
「・・・からだの具合でもわるくなって戻ったものかとおもい、声をかけますと、・・・消えました」
女はここですこしわらった。
「ええ。はじめは、消えたのです。あとかたもなく。こちらは夢をみたような気になり、ああ、まだねぼけているのかと、顔をあらってみたり、と。 ―― はじめは、わらっておりました」
だが、廊下をよこぎり、庭の掃除のとき目の端にいたり、ふすまを開けたときにむこうのふすまを閉める姿をみるようになり、いいかげん戸惑うようになった。
『ねえ、このごろ家に戻ってこられることが多いけど、お仕事に障りはないんですか?』
お茶をさしだしながらようやく夫に質したとき、夫はおや、というような顔をしてわらい、こちらにわらいかけていった。
『なんだよおまえ、 ―― ようやく、気づいたか?』
「そういったとたん、・・・・消えました。ですが・・・座布団が、・・・暖かかったのです。まるで、いままでだれかが座っていたように・・・」