前のかりぬし
「いえ、そうではなく、 ―― 妻に、『なにかが憑りついた』のだと考えれば、すべて合点がいくと」
「おお、そうか、」お湯のはいった湯呑を大きな両手で包み、坊主がまた軽い所作でむかいにすわる。
こんなに体が大きいのに、音もたてないのかとショウスケは感心した。
「で?なにか憑りつくものに心当たりがあるのか?」
「はい。 ここにきてきゅうに思い出したのでございますが、いまの家を借りるときに、すこしばかり、いやな噂がございまして・・・」
「幽霊がでるとでも?」
「いえ、たしかにまえの借主が死んでおりますが、その死にざまが・・・、一人で暮らしていた男だったのですが、死んでいるのがみつかる前の晩、だれかと言い争っていた声がひびいていたので近所のものが心配して見に行くと、すべての戸に棒がくわされて、外から入れないようにしていたらしいのです。みつけたときには包丁をにぎったまま死んでいて、部屋の中にはいくつもの刃物が転がり、それらでつけたのか、からだは傷だらけだったようです。はじめは自害とおもわれたのですが、背中にもいくつも刺し傷があり、とても自分ではつけらる傷ではないとわかったと。それが、『家に化け物が憑いていて、それと戦ったからではないか』という噂になりまして・・・」
「ほう。では、その『バケモノ』が、おくがたさまに憑りついたということか」
「はい。そうとしか。お寺からのお札もかまどにくべておりました」
「うむ、それはこわい」
「ですので、なにか、もっと効きそうなお札や、ああそうだ、おかみに紙と筆を用意させますので、ありがたいお経をたくさんかいていただこう。それをわたしが肌身離さずもてば、」
「わかった。では、おぬしの家にまいろう」
「 ―― は?」
すっくと立ちあがった坊主が、さあいそげ、とショウスケをみおろした。
「その、憑いている『バケモノ』をわしがはらってしんぜよう。こうみえて、『そういうこと』が得意でなあ」
にやりとたのしそうにわらうのを目にして、やはり用心するべきだったと後悔してももう遅い。
「いや、その、 とつぜんお坊さまを連れて帰るなどしたら、」
ただでさえおかしくなっているのに、これいじょう・・・・
「突然でなければ、そのバケモノも逃げ隠れてしまうぞ。そういうものを祓うのにはな、なんのまえぶれもなくゆくのが一番よいのだ」くだけたちょうしでわらい、杖をつかみあげると、ぶうん、とショウスケの頭の上でひとふりしてみせる。
「・・・お、おぼうさま・・・あの、じ、じつは・・・いまうちは借金を返すのに火の車で、お祓いをしていただいても、ご満足いただけるだけのお布施をお渡しできるかどうか・・・」
「金も物もなにもいらぬ。さあ、早く立て」
ほかにうまい断り方がおもいつかなかったショウスケは、しかたなくたちあがることにした。