第9章-沈む境界-
「これは……元の世界の終わりじゃない」
サオリは、空間の縁に立ちながらそう呟いた。
それは“崩壊”ではなく、“変容”だった。
3次元的構造は保てなくなり、非ユークリッド構造が意味を再定義しようとしていた。
彼女の視界は、明確に“重なって”いた。
眼前には実在する街並み。だがその上に、幾何学的な光と影の網がかぶさっている。
まるで、現実の上に別の“レイヤー”が透けて見えているようだった。
美咲「……あれ、何? 空中に浮かぶ……あれ、“建物”?」
ミゲル「いや、建物じゃない。“位置”そのものがずれてる。現実の座標が、非ユークリッド構造の接触で“再配置”されてる。
空間が、“理解しやすい形”に戻されようとしてるんだ」
美咲「つまり……世界が、“私たちが認識できる言語”に翻訳されてるってこと?」
ミゲルは小さく頷いた。
ミゲル「でも、変換が追いついてない。だから歪む。
……見ろ、あそこ──」
彼が指差した先では、川が“ねじれながら逆流”していた。
しかも水面は立体的に浮き上がっており、空と反射する世界の区別がつかない。
重力の方向も明らかに揺らいでいた。
サオリ「……もう“ここ”に境界はない。
空と地、上と下。現実と観測。
“分けていたもの”が、全部“意味”を失いかけてる」
彼女の声は静かだったが、背後に拡がる“世界の違和感”は刻々と迫っていた。
この状況において、唯一“形を保っている”のは──
非ユークリッド構造で描かれた“構造体”だけだった。
それは、意味を超えて立ち上がる存在そのもののかたち。
崩れない。消えない。ただそこに“ある“という事実だけが残る。
美咲「……私たち、もう戻れないのかな」
ミゲル「“戻る”っていう概念が……
もう、この空間には存在しないのかもしれないな」
風が吹いた。
風は、時間を含んでいた。
過去と未来の“どこか”の粒子が混ざり、耳元をすり抜ける。
その音が、誰にも聴き取れない“別の記憶”を運んでくる。
サオリ「……聞こえる? これは“次の層”からの音。
向こうから、また“変換”が始まってる……」
彼女は立ち上がり、空へと手を伸ばす。
その指先に、空間が少しだけ“撓んだ”ように見えた。
すると、一瞬だけ、空が“裏返った”。
地平線が天へと引き上げられ、星のような点が昼間の空に広がる。
そこには、まだ名のつかない空間が浮かび上がっていた。
サオリ
(……私たちの世界は、ここで終わるんじゃない。
けれど、ここが最後の“理解可能な場所”になる)
その空間の奥で、彼女はかすかに誰かの“意志”を感じた。
言語ではなく、存在そのものの圧。
それはまるで、“次の選択肢”を求めているかのようだった。
空が沈んでいく。
だが、それは恐怖ではなく、変化の予兆だった。
そしてサオリはまだ、選択していない。
その選択こそが──
“終わりのかたち”だった。
――了