第4章-構造の応答-
音は、すでに“情報”を超えていた。
それは意志であり、接触であり、構造の震源そのものとなっていた。
Echo5は、サオリの仮説を元に音響変調装置の設計を変更し、初めて「逆位相入力」と「時間軸干渉波」を同時に送る実験を行った。
目的は明確だった──逆行する音が“どこへ向かっているのか”を測定すること。
美咲「入力準備完了。逆位相同期……マイナス3.1ミリ秒」
ミゲル「セーフティ切った。何か起きても止めないでくれ。構造そのものが答えるなら、それを逃すわけにはいかない」
椿「これ、本当にやるの……?」
健吾「俺は反対だ。ここで止めなきゃ、マジで戻れなくなるぞ」
サオリ「……私はやる。“あの音”は私にだけ聞こえた。
意味はわからないけど、あれは……警告だった。
誰かが、向こうから“伝えようとしてる”」
装置が起動すると、ラボ全体が微かに揺れた。
空気が圧縮され、すべての音が“外側へ向かって押し出されていく”ような奇妙な感覚。
耳では聞こえないが、脳が反響する。
サオリは、頭の奥に広がる“かたちのない音”に触れた。
そして、空間の一部がひずんだ音を返してきた。
それは、ただの反響ではなかった。
答えだった。
ミゲル「構造が……応答してる。これは……この空間の内部じゃない。
“向こう側の構造”が触れてきてる」
美咲「逆行波との干渉……周期が変わってる。
これ……自然現象じゃない。誰かが、“合わせてきてる”」
サオリの視界が揺れた。
図形が、言語のように脳内に焼き付く。
円でも螺旋でもあり、点であり線である。
終わりも始まりも同じ場所にある構造。
それが、彼女の意識に触れてくる。
サオリ
(これは……“入口”。音を通して、構造の“中”に引き込まれていく)
その瞬間、サオリの身体が傾ぎ、床に倒れた。
全身の力が抜け、意識が闇に沈む。
美咲「サオリ!?」
ラボの装置が一斉に点滅する。
振動、周波数、時間軸データ──すべてが異常領域へ突入していた。
そして次の瞬間、地球の空に異変が起きた。
空に浮かぶ月が、ふたつに増えていた。
まるで鏡に写したかのように、もう一つの月が視界に重なる。
さらにその背後、遥か彼方に──
もうひとつの“地球”が浮かんでいた。
それは空のほぼ全てを覆うほどの大きさで、
まるで空間の奥に“重なったもう一つの世界”が現れたかのようだった。
それはもはや幻覚や錯覚とは呼べなかった。
ミゲル「……これはもう、超常現象じゃない。
次元が“重なった”んだよ。音の干渉で」
美咲「空間反映現象……空間が鏡のように“反映”される……」
椿「“空間反映現象”それ、呼びやすくした方がいいかも。
“空反”空間の反映、空反で」
健吾「ふざけてる場合じゃないだろ。お前ら正気か?
こいつ(サオリ)が倒れて、空に月と地球がもうひとつ浮かんで……それで、まだ“観測”続けるつもりかよ」
椿「観測じゃない、“接触”よ。今さら後戻りできないわ」
健吾「……なら俺は降りる。
もうお前らの“実験”にはついていけない」
彼が静かに荷物をまとめる。
椿もその背に視線を向けたまま、小さく言った。
椿「……私も。あれは……サオリの意識だけじゃない。
世界の方も反応した。
私たちが彼女を使って開けようとしたのは、言語じゃなくて扉だったんだよ……」
彼女もまた、研究棟を後にした。
美咲とミゲルは沈黙したまま、意識を失ったサオリの傍に立ち尽くす。
その瞬間、モニターにふたつの月と、重なる地球の輪郭が、対称軸のように表示された。
Echo5の残されたメンバーは知る由もなかった。
今まさに、構造の深部で、サオリの意識が“内側”と接続し始めていることを。
それが──
人類の知覚の限界を超えた、最初の“応答”だった。
――了