第3章-聞こえない警告音-
サオリの言葉が、チームの空気を変えた。
「音が逆行しているとしたら?」──この仮説を軸に、Echo5の解析は新たな段階に入った。
火の凍結、音の消失、時間のズレ。
バラバラだった現象が、“順序”という共通項によってひとつの連鎖を示し始めた。
美咲「でも本当に“逆行”だとしたら、音ってどう動いてるの?単に巻き戻されてるんじゃなくて、構造そのものに従って動いてる感じがする」
ミゲル「その通り。だから今、通常波形と反転波形を重ねて、“相互位置の重複領域”を解析してみてる。ある一点だけ、奇妙な対称性が出た」
椿「対称性……それ、図にして見せて」
ミゲルがモニターに表示したのは、見慣れた波形ではなく、幾何学的に再構成された“音の構造図”だった。
そこには、始点も終点も持たないループのような、非ユークリッド的図形が浮かんでいた。
サオリ「これ……“音の経路”ってこと?」
ミゲル「ああ。普通の音は線のように進むが、これは“面”を迂回して折り重なってる。
三次元的には説明できない。たぶん……空間の骨格そのものだ」
健吾「ちょっと待て、それってもう音じゃねぇだろ。
それ、構造の話だ。空間が音に従って歪んでるのか? それとも逆か?」
椿「“空間が音に従う”って表現、あり得るかもしれない。
もしかしたら音は、“構造を読み込む言語”なんじゃないの?」
美咲「言語……って、それ、もう生物的反応に近いよ。
でもさ、仮に音が構造に触れているなら、
私たちが“聞く”って行為自体が、すでに接触になってるんじゃ……」
サオリ「それで……この図形。“見える”の。私には」
チームの視線が集まる。
サオリ「見えるというより、わかるっていうか……。
形じゃないけど、位置や方向が頭の中に入ってくる感じ。
前から、音の中にそういう違和感があったの。今回、それが図になって現れただけ」
健吾「……つまり、感覚で理解してるってことか?
そんなの、科学って呼べるのかよ」
椿「感覚だからこそ拾える異常もある。
健吾、あんたはいつも“言語化できないもの”を拒絶するけど……今この現象がそれじゃない?」
健吾「……」
そのとき、ラボの照明がふっと揺れた。
明滅ではなく、まるで“周波数”ごと揺らいだような感覚。
壁際のセンサーが反応し、全員の端末に小さな“振動エラー”の通知が走る。
美咲「……今、何か変わった。空気の“質”が違う」
ミゲル「波形に変化あり。逆行波と通常波が一瞬、同位相でぶつかった……!?」
サオリ「聞こえた……? いや……聞こえなかったんだ。
でも、確かに何かが“伝わってきた”気がした」
椿「構造が……応答してる? それとも“観測を始めた”のかも……」
その瞬間、サオリの耳にだけ、意味を持たない音の残響が響いた。
単語でも声でもない。だが確かに、“意志”のようなものが込められていた。
そして、それはサオリの脳の奥に、直接触れてきた。
サオリ
(これ……“警告”?……でも、どうやって……)
彼女だけが、“その音の意味”を感じ取っていた。
空間の向こうから──
まだこの世界に認識されていない存在が──
「時間がない」
と伝えていた。
Echo5のチームは気づいていなかった。
その音が、一定の周期で変化していることを。
そのリズムが、わずかに“速くなっている”ことを。
それは、カウントだった。
この世界の“終わり”へ向かう、聞こえない警告音。
――了