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64 国王の考え

「俺の最愛の妻をそのように侮辱するのはやめていただきたい」

「ひっ!」


 机を叩いたダリオスの拳の周りには机にヒビが入り、恐ろしい形相をしたダリオスにグレイヴス公爵も他の貴族たちも皆震え上がっている。


「今までセイラが聖女としてどれだけレインダムへ尽力してきたか、グレイヴス公爵たちもご存じでしょう。知っているにも関わらず、そのようなことを平気で思っているというのであれば、俺は絶対にあなたたちを許さない」


 相手を死へ追いやってしまいそうなほどの殺気のこもった視線でぎろり、とダリオスがグレイヴス公爵たちを見渡すと、公爵たちはまるで蛇に睨まれた蛙のように放心している。それを見て、国王は片手を上げてダリオスへ合図し、ダリオスはそれに気づいて静かにお辞儀をした。


「ダリオスの怒りはもっともだ。だが、もうその辺にしておいてやってはくれぬか。このままではダリオスの恐ろしさに、そのまま魂が抜けていってしまう者も出てしまいそうだからの」


 ほほほ、と国王は細い目をより一層細めて笑っている。だが、すぐに真顔になってグレイヴスへ視線を向けた。


「グレイヴスよ。そなたたちの国を思う気持ちはいつもありがたいと思っている。確かに、ポリウスから来た聖女とレインダムの次期王位継承者を結婚させれば、ポリウスは完全にレインダムの領地になったのだと、ポリウス国民たちへ思わせることができるだろう。いつかポリウスの再建を、などと思うこともなかろうな。だが、それはダリオスと聖女セイラの間に愛がない場合だ。二人が白い結婚のままであったなら、セイラとアルバートの結婚も可能だったかもしれない。しかし」


 いつもは開いているかどうかわからないほど細い目を、国王はカッと見開いた。


「セイラとダリオスは見ての通り愛し合っておる。二人にはすでに強い絆が生まれているのだ。お互いがお互いを思い、支え合っている。そんな二人を引き離して得られるものが、果たして国にとって良いものだろうか?儂は、誰かが犠牲になって得られる国の幸せは長くは続かないと思っておる。実際にポリウスがそうであろう。セイラに聖女としての役目を任せっきりだったポリウスは、セイラを失った途端に破綻への道を進んだ。誰かに犠牲を強いれば、それは巡り巡って結局自分たちへ返ってくる」


 会議室に国王の声が響き渡ると、貴族たちは顔を見合わせて神妙な顔をする。グレイヴスも、眉間に皺を寄せて唇をぎゅっと結んでいた。


「そもそもセイラはすでにレインダムの国民に聖女として認められており、ダリオスの妻としても認識されておる。それを、わざわざ離婚させてアルバートと無理やり結婚させたなら、国として一体何をしているのかと思われてしまうだろう。むしろ、レインダムの国民だけでなく、ポリウスの国民たちにも不信の念を抱かせてしまうやもしれぬ。……ポリウスの国民は、すでにポリウスがレインダムの領地だということを受け入れておる。それはセイラの聖女としての功績のおかげでもあるのだ。もうこれ以上、セイラに負担をかけることは、儂は許可できぬ」


(……!)


 国王の言葉に、セイラは目を大きく見開いて国王をじっと見つめる。ダリオスは机の下でセイラの手をぎゅっと握りしめ、瞳を静かに閉じた。


「儂の国王としての考えは以上だ。これを踏まえた上で、今一度問おう。グレイヴスよ、聖女セイラとダリオスを離婚させ、アルバートと結婚させるのがレインダムにとって最善だと思うか?」


 問いかけられたグレイヴスは、顔を顰めながら唇を噛み締め、目を瞑る。そしてすぐに目を開き、真面目な顔で国王を見つめた。


「陛下のおっしゃることはよくわかりました。陛下の言う通り、聖女セイラ様とアルバート殿下の結婚は最善ではないようですな。ハロルド卿とセイラ様を離婚させる必要はないかと思われます」


 グレイヴスが静かにそう言うと、他の貴族たちも次々に同意して頷いた。


 セイラが目を輝かせてダリオスを見ると、ダリオスも嬉しそうにセイラを見つめ、微笑む。そして、セイラとダリオスは国王とアルバートを見て静かにお辞儀をした。





 会議が終わり、グレイヴス公爵たちが退室してから、部屋には国王とアルバート、そしてダリオスとセイラだけになった。


「陛下、本当にありがとうございました」

「儂は当然のことをしたまでだ。そなたたちを引き離すことは国のためにならぬ、そう思ったからだ。気にすることはない」


 ダリオスの礼に、国王は細い目を一層細めて微笑み、隣にいるアルバートも満足げに頷いている。そんな国王へセイラが口を開いた。


「陛下、私からもお礼を言わせてください。私は、本来であれば聖女としてあるまじき発言をしました。それでも陛下は許してくださり、あのように場を取り持ってくださいました。本当に、ありがとうございました」


 ダリオスと別れるようなことがあれば、二度と聖女の祈りは行わない。その発言は、聖女としてはあり得ないことであり、本来であればグレイヴスの言う通り反逆だと思われても仕方のないことだ。それでも、国王はセイラを庇い、助けてくれた。


(どんなに礼を尽くしても尽くしきれないほどのことだわ)


 セイラが深々とお辞儀をすると、ダリオスも続くように深々とお辞儀をした。


「セイラよ、そなたの発言は確かに聖女としては不謹慎かもしれぬ。だが、そんな発言をさせてしまったのはグレイヴス公爵であり、我が国でもある。儂はの、たとえ聖女であっても一人の人間だと思っておる。聖女という肩書きで捉えるのではなく、一人の人間として応じるべきだと思っておるのだ。たとえ聖女だとしても、意思を持った一人の人間。その存在を大切にできずに、どうして他の国民も大切にできると言えるのか」


 国王の言葉が、セイラの心へじんわりと広がっていく。それは、ポリウスでただ聖女として、しかも裏聖女として使われるだけだったセイラにとっては体験したことのないことだった。


(こんなにもレインダムの国王は優しく、あたたかく、国と国民を思っている。本当に素晴らしい方だわ)


 ポリウスにいた頃、息を潜め双子の妹であるルシアの陰でひっそりと聖女としての役目をただ務めるだけの毎日。それが当たり前だと思っていた。


 レインダムに来たばかりの頃、ダリオスから腕が治ればすぐにポリウスへ返すと言われ、愛されることはないのだと思っていた。


 だが、レインダムで聖女として生きると決意してから色んなことが起こり、ダリオスと距離を縮め心を通わすようになった。

 ここにいても良い、聖女としてだけでなく、一人の人間として扱われ、自分をもっと大切にするようにと言ってもらえた。


 愛される喜びも、愛してもらえる喜びも、この国に来てダリオスと出会い知ることができ、国王たちに見守られ育むことができたのだ。


「私は、レインダムへ来ることができて本当によかったです」


 涙を浮かべ、嬉しそうに微笑みながらセイラが言うと、国王もアルバートも優しい眼差しをセイラへ向ける。ダリオスは感極まった表情で、また国王とアルバートへ深々とお辞儀をした。






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