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60 優しい嘘

 ユリアとグレイブスが応接室から出て行くと、セイラは思わずよろめいて、ソファの背もたれに手をかけて俯く。


「セイラ様!」


 執事長の横をものすごい素早さで通り過ぎ、セイラの元へ駆けつけたのはメイド長だ。メイド長が大丈夫ですか?と心配そうにセイラの顔を覗き込むと、セイラの顔は蒼白になり、今にも倒れそうだ。


「あ……そうだわ、クレア様が呼んでらっしゃるのよね。ごめんなさい、急いで支度します」


 セイラがハッとしてしてからそう言って弱弱しく微笑むと、メイド長と執事長は真剣な顔をしながら首を振った。


「セイラ様、クレア様がお呼びだというのは嘘です。大変申し訳ありませんが、我々は廊下で中の様子を窺っておりました。あの場ではああするしかセイラ様をお守りする方法が見つからなかったのです。嘘をついてしまい、申し訳ございません」


 そう言って執事長がお辞儀をすると、メイド長も申し訳なさそうにお辞儀をする。


(私のために、あえて嘘を……ああ、どうしましょう、泣いている場合ではないのに、泣いてしまいそうだわ。それに、泣いてしまってはみんなにもっと心配をかけてしまう)


 セイラの目に涙がじんわりと浮かんでくる。だが、セイラはそれを悟られまいと必死に笑顔を作った。


「そんな、むしろ嘘をつかせてしまってごめんなさい。私のためにしてくれたのでしょう?本当にありがとう。でも、みんなのおかげでもう大丈夫」


 ね?と微笑むセイラを、執事長もメイド長も複雑そうな顔で見つめて、小さくため息をついた。


「セイラ様、私たちの前では無理して笑わなくていいんですよ?私たちに心配させまいと気をつかってくれているんでしょうけれど、そんなことしなくていいんです。私たちの前では、無理なんかしないでください。言ったでしょう?セイラ様のことは私たちが全力でお守りしますって」


 メイド長がそう言ってセイラの背中を優しくさすると、セイラは驚いてメイド長の顔を見る。メイド長は見た目がふくよかで内面もおおらか、でもここぞという時にはとても頼りになる女性だ。早くに母親を無くしていたセイラにとって、メイド長の母性的な愛情はポリウスにいた頃にも誰からも与えられてこなかったものだった。


「うっ……ううっ」


 セイラの瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。嗚咽を漏らすセイラを、メイド長は優しく、だが力強く抱きしめた。


「セイラ様、たくさん泣いていいんですよ。たくさん泣いたら、温かいお湯にゆっくりと入りましょう。他のメイドたちに湯浴みの支度はさせてあります。湯上りには落ち着く香りの香油を使ってマッサージもしましょうね。ここのところずっとお仕事続きで疲れていらっしゃいましたらから、今日はしっかりメンテナンスしてさしあげますよ」


 メイド長はセイラの背中を優しくあやすようにトントンと叩く。そのリズムと温かさ、メイド長のふくよかな柔らかさにセイラの心はどんどんほぐれていく。


「ありがとう。私、レインダムに来てからずっと幸せを感じられるの。みんなのおかげよ。本当にありがとう」


 メイド長からそっと体を離して、セイラは心からの笑顔をメイド長と執事長に向ける。その笑顔を見て、二人は目を大きく見開きながらほんのりと頬を赤らめ、嬉しそうに頷いた。






(はあ、とっても気持ちよかった)


 セイラが泣き止んだその後、バラが浮かんだお湯に入らせられ、上がったあとは良い香りのする香油でマッサージされ、心も体もすっかりほぐされてしまった。


 食事ができたら呼ぶからそれまで部屋でゆっくりくつろぐようにと言われ、セイラは部屋に戻ってソファに座りながら窓の外を眺める。青空が広がり、窓からは爽やかな風がそよそよと入り込んできた。さっきまでユリアとグレイブスが来ていたことがまるで嘘のように、穏やかで落ち着いている。

 部屋に飾られたサンキャッチャーが陽の光に照らされてキラキラと輝いている。部屋の中に小さな虹がいくつもできていて、セイラはそれを眺めながらほうっと小さく息を吐いた。


「セイラ!セイラ!」


 突然、ばたばたと足音が聞こえてきて、セイラの部屋のドアがバン!と音をたてて開いた。セイラが驚いて扉を見ると、息を切らしたダリオスがものすごい形相で仁王立ちしている。


「えっ、ダリオス様!?」

「セイラ!大丈夫なのか!?セイラに緊急事態だと執事長から連絡が入って、急いで帰って来たんだが……」


 ソファに座るセイラの足元にひざまずき、ダリオスはそっとセイラの手を取る。ダリオスの顔は心配だと言わんばかりの顔だ。


「あの、えっと……」

「ダリオス様、急にセイラ様の部屋に入るのはおやめください。セイラ様が驚いておられます」

「だが……!」

「だがもクソもありません。とにかくセイラ様はようやく落ち着いたばかりなのですから、少しそっとしておいてください。何があったかは私どもから説明しますから、ほら」


 執事長がそう言ってダリオスの脇を抱えるようにしてダリオスを立ち上がらせると、そのままずるずるとドアまで引きずっていく。


(執事長、あのダリオス様をあんな風に引きずっていけるなんて、すごいわ……!)


 ダリオスは唖然として言われるがまま、なすがままだ。ポカンとするセイラをよそに執事長がダリオスと共に部屋から出て行くと、メイド長が入ってきてフフッと笑う。


「全く、ダリオス様はセイラ様のことになるとどうしようもありませんね。ダリオス様とは夜にでもゆっくりお話ししてくださいまし。それまでまだ時間がありますから、のんびりしていてくださいね」


 優しく微笑んでメイド長はお辞儀をすると、部屋から静かに出て行った。



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