59 毒のある微笑み
「セイラ様にはハロルド卿と離婚していただきたい」
グレイヴスの低く通る声が部屋に鳴り響く。グレイヴスの言葉に、ユリアはより一層嬉しそうに微笑んだ。
「離婚、……ですか?」
セイラが戸惑うようにそう言うと、グレイヴスはその通りだというように冷めた瞳でひとつ瞬きをする。
「アレク第一王子、いや、今は罪人アレクでしたな。その罪人アレクの一件で、次期王位継承は第二王子のアルバート殿下に決まりました。セイラ様はその場に居合わせたとお聞きしたので、むろんご存じのはず」
グレイヴスの言葉に、セイラは戸惑いながらも静かに頷いた。
「アルバート殿下が次期国王となるのであれば、この国の聖女であるセイラ様とアルバート殿下が結婚することが、国にとって一番いいと言うのがレインダム王城内の大多数の意見です。そうすれば、元ポリウスの人々ももはやポリウスはレインダムのものだと確実に示しがつく」
「それは……今でもじゅうぶんにポリウスの人々はポリウスはレインダムの領地だとわかっています」
「それでも、騎士の妻よりも次期国王の妻の方がわかりやすいでしょう。もうポリウスは国として機能することは二度とないのだとわからせることができる」
グレイブスの有無を言わさぬ圧に、セイラは言葉に詰まる。そんなセイラを見て、ユリアは嬉しそうに声を上げた。
「セイラ様、ご存じかと思いますが私、セイラ様がいらっしゃる前にダリオス様の婚約者候補になっていたんです。私とダリオス様は幼いころからの顔なじみで、親同士も仲がいいんですよ。ダリオス様は騎士として立派な方ですから、結婚はしないと頑なにおっしゃっていました。でも、私に対してはとても優しく、結婚はできないけれど君に対しては好意を持っていると言って、いつも気にかけてくださっていたんです。よくお花を私にプレゼントしてくださいました」
うふふ、と嬉しそうにユリア。その言葉に、セイラの胸はチクリと痛む。
「もし、セイラ様がダリオス様と離婚してその後のダリオス様のことを心配なさるのであれば、ダリオス様の側には私がいるので大丈夫ですとお伝えしたかったんです。セイラ様はお優しい方だと聞いていたので、きっと罪悪感で心を痛めてしまうだろうと思って」
そう言って、ユリアはふわっと花が咲くような微笑みをセイラに向ける。
「セイラ様がいなくても、ダリオス様は何も問題ありません。むしろ、セイラ様はレインダムのことを第一に考えていただきたいのです。ポリウスも国として無くなりレインダムの領地になった今、セイラ様は聖女としてレインダムのために何をすべきかを考え、行動すべきです。そうでしょう?」
ユリアは微笑んでいるが、その微笑みにはまるで毒があるかのようでセイラの心を蝕んでいく。
「アルバート殿下にはすでにこのことはお伝えしてあります。王城内の主力の貴族たちはみなこの案に賛成ですので、あとはアルバート殿下のご意思のみ。ですが、アルバート殿下は頑なに拒否するのです。セイラ様とハロルド卿の仲は固いものだ、自分が国のためだけに割り込んでいいものではないと。全く、アルバート殿下は優しすぎるところがネックですな」
グレイブスはそうつまらなそうに吐き捨てた。
(アルバート殿下は、私とダリオス様のことを思ってくださっているのね)
アルバートの思いに、セイラの胸は少しだけ救われる思いだ。
「恐らく、ハロルド卿もアルバート殿下が拒否し続ける限りこの案をのまないでしょう。そうなると、最後の望みはセイラ様、あなただけだ。あなたがハロルド卿と離婚しアルバート殿下の元へいくと言ってくだされば、全てが丸くおさまる。なので、あなたにはハロルド卿と離婚していただきたい。それがレインダムのためです」
グレイブスは感情のこもらない瞳でセイラをじっと見つめた。どこまでも深い海底のような冷たいその瞳はセイラの心をどんどん冷やし重くしていく。
「セイラ様、失礼します」
コンコン、とドアがノックされ、執事長が応接室に入って来た。
「お話の最中に申し訳ありません。クレア様よりセイラ様に聖女として急ぎの用件があるとの連絡が入りました。支度をしてすぐに王城へ向かう必要がありますので、申し訳ありませんが本日はここでお引き取りを」
そう言って執事長がうやうやしくユリアたちにお辞儀をすると、グレイブスは興味のない顔で視線をそらした。
「まあ、せっかくこうしてお会いできたのに、残念だけどお忙しいのであれば仕方ありませんわ。行きましょうか」
「そうですな。セイラ様、またお訪ねしますので、本日の件、よくお考えください」
ユリアとグレイブスは立ちあがりドアへ向かって歩き出した。ふと、ユリアがセイラのすぐそばで立ち止まる。セイラが不安げにユリアを見つめると、ユリアは今までの笑顔を無くして真顔になり、セイラの耳元でそっと囁いた。
「私、ずっとダリオス様のことをお慕いしていました。ダリオス様と結婚するのは私だと思っていましたし、結婚できなくてもダリオス様がずっとお一人であるならそれでも構わないと思っていたんです。でも、隣国から来たさえない聖女なんかに最愛の人を取られるなんて絶対に認められませんわ」
セイラから体を離すと、ユリアはまた大輪の花が咲くかのような笑顔をセイラに向けた。
「それではセイラ様、ごきげんよう」




