5 騎士団長と任務
「君がダリオスの奥さんでポリウスからやってきた聖女様か。初めまして。騎士団長のバルトだ」
セイラがレインダムへ来て三週間後。ダリオスの屋敷に一人の騎士が訪れた。陽の光に当たるとほのかに赤みがかったダークブラウンの短髪に、ルビー色の瞳、鍛え上げられているのがわかるしっかりとした体つきだ。
「初めまして。セイラと申します」
セイラが静かにお辞儀をして挨拶をすると、バルトはニッと口角を上げてダリオスを見る。
「綺麗な奥さんじゃないか。羨ましい限りだよ」
「……腕を治すための契約結婚ですので、彼女には妻のふりをしてもらっているだけです」
「ふぅん、そうか」
硬い口調でそう言うダリオスに、バルトはつまらなそうな顔をすると、セイラに視線を向けた。
「そうなると夫人、と呼ぶのもおかしいか。聖女様と呼ぼう」
「そんな、聖女様だなんて……私のことはどうぞご自由にお呼びください」
「そういうわけにもいかない。あなたはうちの大事な騎士の病を治すためにこちらへ売り飛ばされたんだろう。この国には聖女がいない。そんな国に聖女様が来たんだ。然るべき対応をすべきだろう。というわけで、ここでは聖女様と呼ばせてもらう。公の場では夫人と呼ばざるを得ないだろうが、それはまたその時に」
そう言って、バルトはソファから身を乗り出して目の前の二人を真剣な顔で見つめる。そんなバルトを見て、ダリオスもまた真剣な表情で口を開いた。
「それで、わざわざ屋敷にいらっしゃったのはどういうことでしょうか。任務の話であれば、騎士団内で話せばいいと思うのですが。それに彼女も話に加われというのは一体」
「ああ、聖女様の了承を得ないといけない話だからな。聖女様、騎士団では調査のために近々瘴気の強い土地へ行く予定だ。その際、あなたにも同行していただきたい」
「バルト団長!?」
バルトの話にダリオスが驚いて声を上げるが、バルトはダリオスの反応を流して話を続ける。
「ポリウスでは、聖女様が瘴気の強い場所や災害の多い場所で祈りを捧げ、瘴気を消したり災害を止めたという話を聞いています。我が国でもぜひそれをお願いしたい」
「団長、いくら彼女がポリウスでそれを行っていたとはいえ、あまりにも危険です。こちらとポリウスでは状況が違うかもしれない。危ない場所へ彼女を連れて行くのは気がひけます」
「ほおう、まるで聖女様の身を案じるような口ぶりだな。契約結婚だと言っていたのだからそこまで気にかけなくてもいいのではないか?」
チラ、とバルトがダリオスへ視線を送りそういうと、ダリオスはぐっと喉を詰まらせて黙り込む。
「あの、その任務、ぜひ同行させてください」
片手をそっと挙げて、セイラが静かに口を開いた。セイラの発言にダリオスは驚愕の眼差しを向けるが、バルトはニッと嬉しそうに口角をあげる。
「ポリウスでは当然のように現地へ赴き、祈りを捧げていました。それが聖女としての役目です。私は今、レインダムの聖女としてここにいます。でしたら、レインダムのために祈りを捧げるのが私の役目です」
セイラの言葉に、バルトはほう、と感心したような顔をするが、ダリオスは慌てたようにセイラへ言う。
「だが、ポリウスよりも酷い場所かもしれないんだぞ。どれほど危険かわからないのに、そんな簡単に行くと言うのは間違っている」
「大丈夫です。ポリウスでもかなり悲惨な場所へ何度も赴きました。大抵のことならヘッチャラです」
(そう、私は裏聖女としてどんな場所にも連れて行かれた。死にそうになるような危ない目にだって散々あってきているんだもの)
フフッとセイラは微笑むが、その表情にほんの少しだけ翳りがあることにダリオスは気づいて顔を顰める。そんなセイラとダリオスの様子を見て、バルトは目を細めた。
「それなら、聖女様のことはダリオスが守ればいい。何があっても彼女を守れ。騎士団長命令だ」
「バルト団長……、わかりました」
「申し訳ない、聖女様。だが、我が国のためにと言ってくれたこと、感謝する。あなたのことはダリオスがしっかりと守る。ダリオスだけではない、何かあれば騎士団全体であなたを守ると約束しよう」
「ありがとうございます。心強いです」
静かに微笑みそう言うセイラを見ながら、ダリオスは膝の上で拳を強く握りしめた。
*
バルトが帰り、ダリオスとセイラは二人きりになる。
「本当にあれでよかったのか」
「え?」
ぽつり、と静かにダリオスが呟く。その呟きにセイラが首をかしげると、ダリオスは真剣な眼差しでセイラを見つめた。
「いくらポリウスでそうしていたからと言って、ここでも同じようにする必要はないんだ。自ら危ない目に遭わない選択肢だってあるだろう。君のようなか弱い女性を危険な場所へ連れて行こうとするなんて、騎士団長もどうかしている」
(ダリオス様、契約結婚なのに私のことを心配してくださってる。とてもお優しい方なのね)
少し驚いた顔をしながら、セイラはダリオスを見つめ、口を開いた。
「心配してくださって、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。ポリウスにいた頃、本当に悲惨で……命の危険を感じるような場所にも何度も足を運んでいます。ですから、そこまで心配していただかなくても大丈夫ですよ。それに、私は聖女です。どこにいたとしても、聖女としての役目を果たすのは私の責務です。ですから、どうか行かせてください。皆さんの足手まといにならないよう気をつけますので」
しっかりとした口調でセイラは言う。その眼差しには強い思いが感じられ、ダリオスは息を呑む。
「……わかった。君のことは俺が何に変えても全力で守ると約束しよう」
「ありがとうございます。ダリオス様は本当にお優しい方ですね」
フワッと花が綻ぶような微笑みを向けられ、ダリオスの心臓は跳ね上がった。
「いや、君はこの国で大事な聖女だ。守るのは当然だろう」
思わず視線を逸らしてそういうダリオスを見て、セイラの心はなぜかチクリ、と痛む。
(どうして胸が痛むのかしら……。ダリオス様が私を聖女として守ると言ってくださるのはありがたいことなのに。私は、ただここで自分の責務を全うするだけ。私がここで生きる術はそれしかないのだから)