44 失いたくない幸せ
「お帰りなさいませ、ダリオス様」
「ただいま」
クレアとの話が終わりダリオスが屋敷に帰って来ると、真っ先にセイラが出迎えた。
「クレア様はお元気でしたか?」
「ああ、セイラに会いたがっていたよ。腕輪の話も直接聞きたかったと言われてしまった」
「そうだったんですね。私もクレア様に直接お礼を言いたかったです」
「それは……はあ。そうだな、今度一緒にクレアのところに遊びに行こうか」
「本当ですか?嬉しい!」
セイラがぱあっと目を輝かせて嬉しそうに笑うと、ダリオスは一瞬複雑そうな顔をして何かを言いかけたが、すぐに口を閉ざした。
(ダリオス様、どうしてそんな顔をなさるのかしら?)
ダリオスが嫉妬心からクレアにさえセイラを会わせたくないということを知らないセイラは首を小さく傾げるが、ダリオスはそれを見て苦笑しながら、なんでもないよと小さく首を振った。
*
その日の夜。セイラは寝る支度を済ませて、いつものように聖女の祈りを捧げていた。祈りが終わると、満足げに微笑んでベッドの端にゆっくりと腰掛ける。
(こうやってレインダムのために祈りを捧げるように、元ポリウスでも定期的に祈りを捧げに行くことができれば、瘴気や流行病を減らすことができるわ)
父と妹がしてしまったことは家族として悲しいことだし、二人の今後を思うと胸が痛い。だが、そのおかげでセイラは自由に元ポリウスへ行くことができるのだ。複雑な思いを抱えたまま、セイラはほうっと小さくため息をつく。
(考え込んだところで元通りになるわけでも、何かが良くなるわけでもない。私は、私ができることをするだけ)
正直、元通りになったとしても、結局は同じようなことになっているのではと思えてならない。何より、元ポリウスにいた頃より、レインダムでダリオスと共に過ごす日々や、聖女として役目を果たすことにこの上ない幸せを感じている。
元ポリウスにいた頃も、聖女として国民のために役に立っていると思っていた。実際、ガイズやルルゥ、教会の牧師など多くの人たちがセイラを大切に思い、感謝してくれていた。だが、やはりそれでも裏聖女としてセイラは自分を押し殺すように、目立たないように、ただひっそりと役目を果たしていたのだ。
(別に目立ちたいわけでもないし、ルシアのように人々の前で堂々としていられるわけでもない。でも、私が私として存在しているとは思えなかったわ。私という人間がまるでいないことが当たり前のような、お前は影でいるべきなのだと押し付けられていたことが苦しかった)
ダリオスに自分を押し殺す必要はない、セイラはセイラとして生きていていいのだと認められた時、本当に嬉しかった。そして、レインダムの聖女として隠れることなく役目を果たせることが、本当に幸せなのだ。
この幸せを失いたくない。もう二度と、自分の存在を消すように生きていきたくはない。何より、ダリオスのために、レインダムと元ポリウスのために、聖女として力を奮いたい。セイラは両手を胸の前でぎゅっと握り締め、そっと瞳を閉じて思いを噛み締めた。
「セイラ」
コンコン、とドアがノックされ、ダリオスの声がする。
「はい、どうぞ」
セイラが顔を上げて返事をすると、ダリオスが部屋に入ってくる。ダリオスも湯浴みを済ませてきたのだろう、部屋着でほのかに湯上がりの良い香りがする。
(相変わらず、ダリオス様の色気がすごいわ……!何度見ても慣れないのには困ってしまう)
セイラは思わず頬をほんのりと赤く染めると、すぐにパッと視線を逸らす。そんなセイラを見て、ダリオスはクスッと小さく笑った。
「隣に腰掛けても?」
「もちろんです」
ふふっと嬉しそうにセイラが言うと、ダリオスはセイラの隣に腰を下ろす。
「どうかなされたのですか?」
二人の寝室ではあるが、セイラの体調を考えて最近は数日おきに別々の部屋で寝ている。毎日一緒に寝ると、セイラに無理をさせてしまうというダリオスの言い分と、セイラも実際にそうだと身に染みてわかったからだ。
「セイラに伝えておきたいことがあったんだ。……元ポリウスから戻る日、アレク殿下とガイズ殿が密会をしているところを目撃した」
「……え?」
(ガイズと、アレク殿下が?どうしてその二人が?)
セイラの瞳が動揺して揺らぐ。ダリオスも、複雑な表情で話を続けた。
「アレク殿下がわざわざ元ポリウスに来てガイズ殿に接触したのは、おそらく妹君が唆したんだろう。ガイズ殿に限ってないとは思うが、アレク殿下がガイズ殿に謀反を起こすような助言をしたかもしれない」
「そんな……!」
(ルシアがアレク殿下に……あの子なら、確かにやりそうなことだわ。でも、それにガイズを巻き込むだなんて)
「ガイズは、謀反を起こすような騎士ではありません!」
必死の思いでセイラがダリオスに言うと、ダリオスは一瞬言葉に詰まる。だが、セイラの両肩を優しく掴んでセイラをじっと見つめる。
「わかってる。俺もガイズ殿は元ポリウスの騎士団長として立派な男だと思っているよ。だが、アレク殿下と密会していたことは事実なんだ。どうか、セイラも二人には気をつけてほしい」
ダリオスのエメラルド色の瞳がセイラをしっかりと射抜く。その瞳は、一人の男としてだけではなく、レインダムの騎士としての強い思いが感じられ、セイラはハッと両目を見開く。
(ダリオス様は何よりもレインダムを思って言っているんだわ。それなのに、私は私個人の思いだけで感情的になってしまった)
セイラはそっと瞳を伏せて小さく深呼吸すると、ダリオスを見上げた。セイラのスカイブルーの瞳は、先ほどまでの揺らぎを消して強い輝きを放っている。
「わかりました。お二人にはくれぐれも気をつけます。どうか、ダリオス様も無茶はしないでください」
「……ああ、ありがとう」
ダリオスはホッとしたように微笑む。それから、少しだけ視線を逸らして口を開き、また口をつぐんだ。まるで何かを言いたいけど言えない、そんな様子に、セイラは不思議そうな顔でダリオスを見つめる。しばらくすると、ダリオスは意を決して口を開いた。
「ここからは、夫としてセイラに聞きたいことがある。セイラは、……ガイズ殿のことをどう思っている?」




