25 最強の騎士の恐ろしさ
「近いうちに、小国ポリウスはレインダムのものになる」
「……は?」
ダリオスの言葉に、ルシアは思わず疑問の声をあげる。セイラは言葉を失い、ただ唖然とダリオスを見つめる。ダリオスは、ルシアと兵士たちの顔をゆっくりと見渡しながら話し始める。
「ポリウスの王は、セイラの一時帰国に乗じて俺とクレアを殺そうとした。レインダムの国王はそのことについて大変お怒りだ。和平のためにセイラをレインダムへ差し出したくせに、セイラを取り返そうとした挙句、俺とクレアを殺そうとし、レインダムより優位に立とうとした。到底許されることではない」
ダリオスの尋常ではない険しい表情と声色に、ルシアはひっ!と小さく悲鳴をあげた。ダリオスの纏う空気が、明らかに変わっている。まるで視線だけで殺されてしまうかのような恐ろしさに、ルシアの近くにいる兵士たちも膝をガタガタと震わせ、立っているだけで精一杯だ。
「レインダムの国王は、今すぐにポリウスの王の首を取ってきても構わないと言っている。俺とクレアならそれが可能だとわかっているからだ。だが、ポリウスの王はセイラの父親だ。セイラのことを思い、ポリウスの王に猶予を与えるそうだ。自分がしたことを謝罪し、すぐに降伏すれば命は取らない。だが、誠意が見られない場合は、俺に王の首をはねてレインダムへ持ってこいと言っている。このことは、ポリウスの王へも書簡が届けられている。今頃、青ざめながら読んでいることだろう」
ああ、そうだ、とダリオスはより一層低く恐ろしい声音を発しながら、冷ややかな視線をルシアへ向ける。
「俺は、貴様の首も今すぐに簡単にはねることができる。ここにいる兵も俺がわざわざ手を下さずとも、クレア一人で全員皆殺しにできる。だが、なぜそれをしないか、言わなくてもわかるよな?」
ダリオスにそう言われ、ルシアは呆然としながらその場に膝から崩れ落ちた。周囲の兵士も、剣を構えるどころか完全に戦意を喪失している。クレアはいつものように微笑んでいるが、目は全く笑っていない。
セイラはダリオスを見つめながら恐怖に慄いていた。聞いたこともないような低く恐ろしい声、まるでその場にいる全ての者を蹂躙するのではないかと思えるほどの威圧感。ポリウスの王城での強さも驚いたが、その時よりも遥かに恐ろしい。目の前にいるダリオスは、セイラの知っているダリオスではなく、全くの別人のように見えてしまう。もしかすると、これがレインダム最強と言われる騎士としてのダリオスの姿なのかもしれない。
「ポリウスが降伏しレインダムのものになれば、セイラは気兼ねなくポリウスに足を運べる。ああ、その頃にはポリウスという国名は無くなっているかもしれないが。ポリウスの王は、セイラの同行が俺とクレア二人だけということを好機と思ったのだろうが、逆だ。セイラと同行することで、俺とクレアは簡単に王の前に近づくことができる。命を危険に晒していたのは、ポリウスの王の方だ」
ダリオスはそう言ってから、セイラの肩を優しく抱く。ダリオスの手が触れた瞬間、セイラは驚いて肩を震わせるが、ダリオスは一瞬悲しそうな顔をして、すぐに優しく微笑んだ。
「セイラ、行こう。ここにもう用はない」
そう言って、ダリオスはセイラを馬車の中へ連れて行く。クレアはそれを見て、単身馬に乗って馬車を先導する。馬車が動き出すと、馬車の前を塞いでいた兵士たちは自然に道を開けた。ルシアは腰が抜けて立てないのだろう、兵士に引き摺られるようにして道の脇に置かれた。
(ルシア……)
セイラは馬車の窓からルシアを見る。ルシアは、まるで魂が抜けてしまったかのようにその場に座り込んだままだ。目も合わず、セイラを乗せた馬車はルシアの横を通り過ぎていった。
馬車の中で、セイラはずっと小さく震えていた。ダリオスはセイラの横に座ってセイラの肩を抱いているが、セイラの震えは止まらない。
「……セイラ、怖がらせてしまってすまない」
ダリオスの悲しげな声がすぐ横から聞こえて、セイラはハッとする。ダリオスの顔を見上げると、ダリオスは辛そうな顔でセイラを見つめていた。
(ダリオス様、どうしてそんな……辛そうな顔をしているの?)
自分がこんなにも震えてしまっているからだろうか。だが、震えを止めたいのに、止まってくれない。寒い訳でもないのに、恐怖でずっと小刻みに震えていた。
「レインダムの国王からの話は、セイラにはレインダムに戻ってから言うつもりだった。だが、争うことをせずにあの場をおさめるには、ああするしかなかったんだ。……本当に、すまない」
(ダリオス様……)
頭をさげ苦しそうに声を絞り出す今のダリオスは、さっきまでの恐ろしい形相とは違い、セイラの知っているいつもの静かで柔らかい雰囲気を纏うダリオスだ。ほんの少しだけセイラはホッとする。心なしか、震えも弱まったように感じた。
「ダリオス様、そんなに謝らないでください。レインダムの国王の判断は当然のことだと思います。そう判断されても仕方ないことを、父は、してしまったのですから」
(そう、お父様は本当に取り返しのつかないことをしてしまったんだわ)
膝の上で、セイラは両手をキュッと握り締める。
「だが、俺は君をこうして怖がらせてしまっている。……俺のことを嫌いになった?」
「……え?」
「セイラがずっと震えているのは、何よりも俺のことが怖いからだろう?俺のあんな姿を見て、怖がるのは当然だし、本人を目の前にして平然と父親や妹の首をはねてやると言うような男だ。最低だろう」
はーっと大きくため息をついて、ダリオスは項垂れる。そしてすぐにセイラの顔を見つめた。
「でも、君がどんなに俺を怖がろうとも、俺は君を手放さない。絶対に」
そう言って、ダリオスはセイラをきつく抱きしめた。
「……ダリオス様、私はダリオス様のことを嫌ったりしません。確かに、さっきはすごく怖かったです。でも、あの姿がダリオス様の、レインダム最強の騎士としての姿なのでしょう?だとしたら、私はその姿を否定しません。どんな姿でも、それがダリオス様なのであれば、私はそれを受け入れます。それに、私の知っているダリオス様は穏やかで優しい方ですから。怖いだけではないですもの」
セイラの優しい口調に、ダリオスのセイラを抱きしめる力が強くなる。
「……本当に?嫌いになっていない?」
「はい、嫌いになってません」
セイラがそう言うと、ダリオスは体を少し離してセイラの顔を覗き込む。
「よかった」
そう言って、ダリオスは心底嬉しいと言わんばかりの、ふわりと優しい微笑みを浮かべた。その微笑みを見た瞬間、セイラの心臓はドクンと大きく高鳴る。
(やっぱり、どんなに恐ろしい姿を見ても、私はダリオス様を嫌いになんてなれない)
ダリオスの微笑みを見てセイラも微笑むと、ダリオスはセイラの頬にそっと手を添える。そして、セイラの唇にキスを落とした。




