16 睨み合い
「セイラお姉様、お久しぶりです」
セイラの目の前には、愛想笑いを浮かべ丁寧に挨拶をするルシアが座っている。この日、ついにルシアがポリウスからセイラに会いにダリオスの屋敷までやって来た。ルシアはボブの金髪をサラリと揺らし、ルビー色の瞳をセイラへ向ける。
(お姉様、だなんて今まで一度も言われたことがなかったのに。きっとダリオス様たちの前だからよね)
セイラの隣にはダリオスが座り、その少し後ろにクレアがいる。ルシアはセイラからダリオスに視線を移し、またよそ行きの作り笑顔を浮かべた。
「ダリオス様、こうして訪問を許していただきありがとうございます。それに、セイラお姉様のことも……お姉様は控えめであまり面白いところがないので、一緒にいてもきっとつまらないと思いますが……」
「そんなことはありません。大切な我が妻をつまらないなどと言うのはやめていただけますか」
ルシアの言葉を遮って、ダリオスはキッパリと言い切った。ダリオスの言葉に、ルシアの顔は引きつる。クレアは笑いを堪えるのな必死で、思わず咳払いをして誤魔化した。
「それで、わざわざ妹君が直接こちらへいらっしゃったということは、ポリウスの状況についてセイラに話があるからですか」
「え、ええ。ご存知の通り、ポリウスは今、危機的状況に陥っています。私が聖女の力を使えなくなったばかりに……いつも自分が聖女としての役目を果たすからとセイラお姉様が率先して言ってくださるので、それに頼りっきりだった私も悪いのです」
(私は自分から率先して聖女の役目を果たすと言ったことはなかったわ。それが当たり前、それがお前の役目だと言われ続けていただけなのに)
セイラが困惑して顔を伏せると、ダリオスはそっとセイラの片手を優しく掴んだ。それを見て、ルシアは一瞬だけ気に食わない、という顔をするが、すぐにまた表情を作る。
「ですが、そのせいで我が国は苦しんでいます。どうか、一時的で構わないのでお姉様をお返しいただけませんでしょうか。お姉様だって、ポリウスのことが気がかりだと思うのです」
ダリオスへ悲しそうに訴えるような瞳でルシアが言うが、ダリオスは全く表情を変えずに口を開く。
「そちらの状況はわかりました。ですが、たとえ一時的でもセイラをお返しするわけにはいきません。セイラは我が国にとって無くてはならない存在、そして私の妻でもあります。我が国の王からもそちらへそのように伝えているはずです」
セイラの手を握る力を強めながら、ダリオスは淡々とした口調でそう言った。
「それは重々承知です。それでも、お姉様が必要なんです。お姉様の聖女の力がなければ、ポリウスはますます衰退し、滅亡してしまうかもしれません。お姉様だって、故郷が滅亡するなんてことになったら困るでしょう?私と一緒に、一時的でいいからポリウスに帰って、聖女の力を使ってほしいの。お願いよ、お姉様」
身を乗り出し、瞳を潤ませて懇願するように言うルシア。まるでポリウスのためを思い憂ている清らかな聖女のようだ。だが、それが演技でしかないことをセイラは嫌というほどわかっていた。真相を知るダリオスやクレアでなければ、ルシアの演技に簡単に騙されてしまうだろう。
(ルシア、こういうところは相変わらずなのね)
セイラは小さく息を吐いてルシアを困惑した顔で見つめた。ルシアは表情を変えないが、瞳の奥からは底知れぬ圧を感じてセイラは怯む。だが、怯んでいる場合ではない。
「ルシア、私もポリウスのことが気がかりよ。でも、ポリウスに帰ることはできない。私はもう、レインダムの聖女として、ダリオス様の妻として生きているの。一時的であっても、帰ることはできないわ」
「そんな……」
ルシアは絶望的な表情をしてセイラを見つめるが、膝の上にある拳をきつく握りしめ、怒っているのがわかる。瞳の奥から憤怒がチラチラと見え隠れしているようで、セイラは恐怖で血の気がひく思いだ。
ルシアは感情の起伏が激しく、自分の思い通りに行かないとすぐに怒る。表舞台に立つ聖女だからと誰もそれを注意することなく育ってしまったせいで、大人になってからもそれは直ることなく、むしろより一層酷くなった。
(ルシア、絶対に怒っている。ダリオス様たちの前でなかったら、血相を変えて抗議してきたはずだわ)
考えただけでも恐ろしい。それでも、震える声を振り絞って言葉を続ける。
「あなたが聖女の力を使えなくなったのは、聖女として祈りを捧げていないからだと思うの。今からでも、毎日国と国に住まう人々のために祈りを捧げれば、もしかしたら聖女の力が戻るかも知れない。私が一時的にポリウスに帰ったところで、私がレインダムに戻ればまた同じことが起こるでしょう。あなたが聖女の力を使えるようになることが何より大切なことよ」
セイラがそう言うと、ルシアは片眉をピクリと動かし、表情も固くなる。それから顔を伏せ、静かになった。
(ルシア、何を考えているのかしら。わかってくれたならいいのだけれど)
あのルシアがはいそうですか、と簡単に納得してくれるとは到底思えない。ドキドキしながらルシアの反応を待っていると、ルシアは顔を上げてセイラを見つめる。その顔は先ほどまでの悲しそうな顔から一転して、微笑みさえ浮かべていた。
「わかりました。お姉様がそうおっしゃるのであれば、そうするしかないのでしょうね。これから毎日祈りを捧げてみます」
ルシアの意外な返事に、セイラは驚いて目を見開く。ダリオスとクレアは視線を合わせ、小さく頷いた。だが、ルシアは思いもよらない言葉を続ける。
「ですが、今から祈りを捧げても、私の聖女の力が戻るのはいつになるかわかりません。戻った頃にはポリウスは手遅れかもしれない。お姉様はそれでもいいのかしら?よくないわよね」
「それは……」
「ポリウスで苦しむ人々を一刻も早く助けたいのでしょう?だったら、私の聖女の力が戻るのを待っている時間なんてないわ。やっぱり、お姉様にはポリウスに一時的に戻ってきてもらう必要があります。最低限の土地だけでも、浄化をしてほしいの。本当にポリウスを、ポリウスの民たちを助けたいと思うなら、お姉様もどう答えるべきなのかわかるはずよね」
有無を言わさぬ圧をかけてルシアは微笑みながら言う。絶句するセイラの横で、ダリオスが思わず声を荒げる。
「そんな、まるで脅迫めいた言い方じゃないか!」
「脅迫?そんな、人聞きの悪い。私はただ、お姉様の気持ちを重んじて言っただけです。誰よりもポリウスのことを大事に思い、そのために力を尽くしてきた聖女であるお姉様だったら、ポリウスを見捨てることなんてできませんもの。ね?お姉様。どうしたって、お姉様がすぐにポリウスに行って浄化しないとダメな状況なの。どうすればいいか、わかるでしょう?」
ルシアは微笑みながら畳み掛ける。そんなルシアを見て、セイラは不安げに瞳を揺らした。
(確かに、これからルシアが毎日聖女の祈りを捧げたところで、力がいつ戻るかなんてわからない。その間に、ポリウスがもっと悪化してしまうとしたら……)
行かない選択をした自分を後悔する時が来てしまうかもしれない。最悪のシナリオに、セイラの顔は青ざめ、手は震えてしまう。そんなセイラの手を、ダリオスは強く握り締めた。そんなダリオスにセイラは視線を向けるが、ダリオスはそのセイラの表情を見て言葉を失う。
「ダリオス様……やっぱり、私が行くしか、ポリウスを助ける方法は、ないのかも知れません」
悲しげに瞳を潤ませ、弱々しくそう呟くセイラに、ダリオスは胸が引き裂かれるような思いだ。
「セイラ……!」
「決まりね、お姉様。私と一緒に来てくださいな。とりあえず主要の土地を浄化さえしてくだされば、またレインダムへお返しします」
ルシアの言葉に、ダリオスは思わずルシアを睨みつける。
「あら?まるで信じてもらえていないような態度ですね。そんなにお姉様が必要?ああ、レインダムには聖女がいなかったから、お姉様を手放すことができないのね。レインダムでも聖女としてこき使われるなんて、可哀想なお姉様」
クスッと笑いながら言うルシアに、ダリオスの怒りは頂点に達する。ダリオスが思わず立ちあがろうとしたその時、クレアが口を開いた。
「こちらを煽ったところで、あなたに利点はありませんよ。そんなことより、セイラ様が一時的にでもポリウスに帰還する必要があるのであれば、夫であるダリオス様と、現在この屋敷の専属魔術師である私がセイラ様に同行します。セイラ様をポリウスに戻してほしいのであれば、この条件はのんでください。のめないのであれば、セイラ様をポリウスにお返しすることはできかねます。たとえ、セイラ様がどんなに望んだとしてもです」




