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「いらっしゃいませ……ああ、あなたは」
何某かの本を読んでいたキビキは顔を上げ、
「本日のご用向きは」
問いかけた。エミは所在無げに視線を落とす。
「当店に、なにか欲しいものが?」
再び問われ、エミは少し強めに頭を振った。
「ということは、質入れでしょうか?」
顔を上げたエミが、笑顔でうなずく。キビキは閉じた本を本棚に戻すと、
「先日のお絵描き帳を質入れされますか?」
「ううん。あれより、もっといいものだよ」
エミは折り畳まれた紙を差し出した。キビキは白い手袋をはめると、
「拝見します」
エミから受け取った紙を卓袱台に置き、蝶の標本を作るかのように丁寧に広げた。家具店のチラシだ。エミはそこに載せられた学習机の一つを指差して、
「この机なの」
「この机?」
「うん。えみが買ってもらったの、これなの。今、おうちにあるから。しちいれしたいの」
「なるほど」
「それで、いっぱい、いっぱいお金がほしいの」
「承知しました。現物がございませんので鑑定、というよりは契約書の作成に少々お時間がかかりますが」
「いいよ。でもなるべく早くしてね。おそくなると、ママ、しんぱいしちゃうから」
「承知しました」
うなずいたキビキは懐から取り出した片眼鏡をかけると、エミと、エミが指差す学習机の画像とを何度も見比べた。
「お客さまに一つ、お聞きしておきたいのですが」
キビキに問われ、うなずくエミ。
「質入れした代金……お金は、何に使われるのでしょう?」
「パパにあげるの」
エミは即答した。
「……なるほど」
「あ、でもエミのお金だってパパには分からないようにしてね。パパ、えみからお金はもらわないって、まえに言ってたから」
「かしこまりました。それではお支払いは現金ではない方が良さそうですね。匿名でお父さまの元にお金が届くよう手配いたします」
「とくめい?」
「知らない誰かってこと。さ、こちらへどうぞだわさ」
店の奥からやってきたブレイシルドが、バーカウンターへエミを手招きした。やってきたエミを抱え上げて、背の高い椅子に座らせる。足をぶらぶらさせるエミの目の前に供された、ほんのり湯気の上がるカップを差しながら、
「ぬるめのホットミルクだわさ。お砂糖たっぷり」
ウインクするブレイシルドに、目を輝かせるエミ。
「えみ、ホットミルクだいすき!」
両手でカップを持ち、ふーふーしながらミルクをすする。
「おいしい! あまい!」
微笑んでうなずくブレイシルド。
「ホットミルク、おばあちゃんがよくつくってくれたの。ちょっとまえに、しんじゃったけど」
「ふうん」
事も無げなブレイシルドに、
「しんだら、どうなるのかな」
エミが尋ねた。
「パパとママには、きけないの。きいたら、ないちゃいそうだから」
「じゃあ、仕方ない。あたしが教えてやるだわさ」
ブレイシルドは諸手の手甲を打ち鳴らし、咳払いすると、
「戦場で倒れし勇敢な戦士は、我ら戦乙女が住まう冥界の館にて終末の日を待つ」
歌うように言ったブレイシルドを、ぽかんと口を開けて見上げるエミ。そして一言。
「いみわかんない」
「ああ、まあ、とにかく。戦士は死んだ後も、豪華なお屋敷で楽しく暮らせるってことだわさ」
「えみ、せんしじゃないもん」
ミルクをすすり、唇を尖らせるエミ。半目になったブレイシルドは、面倒くさげに頭を掻いたその指で、
「じゃ、あっちだわさ」
天井を指差した。
「あっち? ここ、お二階があるの?」
天井を見上げるエミに、
「もっと上。ほら、空の上の、天国とかだわさ」
「天国?」
花が開いたような笑顔で、エミはブレイシルドを見つめる。
「天国ってほんとにあるのね! ね、天国って、どんなところ?」
「知らないだわさ。行ったことないから」
ぶっきらぼうな応えに、再び意気消沈するエミ。ブレイシルドが再び天を仰いでいると、
「天国がどんな場所なのか、生きている人間は誰も知りませんが」
キビキがチラシに契約書を添えてやって来た。
「きっと、とても良い場所なのでしょうね」
「おにいちゃん、行ったことあるの?」
「いいえ。ありません」
「じゃあ、どうして? 行ったことないのに、どうしてわかるの?」
顔をしかめるエミに、
「行かれた方が、一人も戻ってこないからです」
キビキが言った。が、
「ふうん……?」
納得したような、していないような表情のエミに、咳払いするキビキ。
「さあ。お待たせいたしました。さきほど鑑定が終わりました。現物を拝見しておりませんので暫定ですが、質入れの金額は一億円になります」
「いちおく円?」
「はい」
「それって、百まん円とどっちが高い?」
「一億円は、百万円が百個分です」
「じゃあいいよ。えみ、いちおく円にする」
「それでは、こちらに掲載のお品を質草に、当店はお客さまに一億円を融通致します。利息は元本の一割、一千万円です。こちらを三ヶ月後までにお支払いいただけば、お客さまが所有権を失う質流れを止めることができます。本来であれば、現物のない契約はいたしませんが、商品の性質上、お客さまがご使用を続けていただくほど、商品価値が高まりますので、今回は特別に不問といたします。他の細かな契約内容につきましては、こちらにお目通しの上、サインを」
エミの目の前に差し出された契約書には、細かな文字で色々なことが書かれていた。しかし、ほとんど文字が読めないエミは、そもそもキビキの口頭の説明すら内容を理解できていないまま、文末にサイン代わりの拇印を押す。
「ほら、動いちゃダメだわさ」
エミの小さな親指に付いた朱肉を、ブレイシルドがおしぼりで拭い取るのだが、くすぐったいのか、エミは笑って身をよじらせてしまう。
「人間の体はすぐ壊れるから、力加減が難しいだわさ」
ぼやきながらも、ブレイシルドの口元は心なし緩んでいる。ようやく拭い終えた時、
「お金がたくさんあったら、パパ、ママにも優しくしてくれるよね?」
エミがキビキを見つめていった。
「さあ、どうでしょうね」
キビキは肩をすくめた。
「思っていることは、思っているだけでは伝わりませんから」
続けたキビキに、驚いた視線を送るブレイシルド。口に出したキビキ自身も驚いている。
「どうしたの?」
首を傾げるエミに、
「今回は、お手紙を書かれてみてはいかがでしょうか?」
「えみ、まだ、あいうえおーしかかけないもん」
ぷう、と少し頬を膨らませるエミに、
「文字ではなくても、伝える方法はありますよ」
キビキはエミが持っているお絵描き帳を指差した。
「うーん」
腕組みしたエミは、しかめっ面で悩んでいたが、しばらくすると、
「クレヨンかしてくれますか?」
と尋ねた。円らな目がきらきら輝いている。
「もちろん」
店の一番奥にある文具置き場へ向かうキビキ。
「クレヨンのお貸出し代はサービスにしとくだわさ。ね、店主」
キビキは苦笑しながら、うなずいた。