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質屋・籠の回顧録  作者: 甲乙イロハ
1.学習机
7/11

7

「いらっしゃいませ……ああ、あなたは」


 何某かの本を読んでいたキビキは顔を上げ、


「本日のご用向きは」


 問いかけた。エミは所在無げに視線を落とす。


「当店に、なにか欲しいものが?」


 再び問われ、エミは少し強めに頭を振った。


「ということは、質入れでしょうか?」


 顔を上げたエミが、笑顔でうなずく。キビキは閉じた本を本棚に戻すと、


「先日のお絵描き帳を質入れされますか?」

「ううん。あれより、もっといいものだよ」


 エミは折り畳まれた紙を差し出した。キビキは白い手袋をはめると、


「拝見します」


 エミから受け取った紙を卓袱台に置き、蝶の標本を作るかのように丁寧に広げた。家具店のチラシだ。エミはそこに載せられた学習机の一つを指差して、


「この机なの」

「この机?」

「うん。えみが買ってもらったの、これなの。今、おうちにあるから。しちいれしたいの」

「なるほど」

「それで、いっぱい、いっぱいお金がほしいの」

「承知しました。現物がございませんので鑑定、というよりは契約書の作成に少々お時間がかかりますが」

「いいよ。でもなるべく早くしてね。おそくなると、ママ、しんぱいしちゃうから」

「承知しました」


 うなずいたキビキは懐から取り出した片眼鏡をかけると、エミと、エミが指差す学習机の画像とを何度も見比べた。


「お客さまに一つ、お聞きしておきたいのですが」


 キビキに問われ、うなずくエミ。


「質入れした代金……お金は、何に使われるのでしょう?」

「パパにあげるの」


 エミは即答した。


「……なるほど」

「あ、でもエミのお金だってパパには分からないようにしてね。パパ、えみからお金はもらわないって、まえに言ってたから」

「かしこまりました。それではお支払いは現金ではない方が良さそうですね。匿名でお父さまの元にお金が届くよう手配いたします」

「とくめい?」

「知らない誰かってこと。さ、こちらへどうぞだわさ」


 店の奥からやってきたブレイシルドが、バーカウンターへエミを手招きした。やってきたエミを抱え上げて、背の高い椅子に座らせる。足をぶらぶらさせるエミの目の前に供された、ほんのり湯気の上がるカップを差しながら、


「ぬるめのホットミルクだわさ。お砂糖たっぷり」


 ウインクするブレイシルドに、目を輝かせるエミ。


「えみ、ホットミルクだいすき!」


 両手でカップを持ち、ふーふーしながらミルクをすする。


「おいしい! あまい!」


 微笑んでうなずくブレイシルド。


「ホットミルク、おばあちゃんがよくつくってくれたの。ちょっとまえに、しんじゃったけど」

「ふうん」


 事も無げなブレイシルドに、


「しんだら、どうなるのかな」


 エミが尋ねた。


「パパとママには、きけないの。きいたら、ないちゃいそうだから」

「じゃあ、仕方ない。あたしが教えてやるだわさ」


 ブレイシルドは諸手の手甲を打ち鳴らし、咳払いすると、


「戦場で倒れし勇敢な戦士は、我ら戦乙女ヴァルキリーが住まう冥界のヴァルハラにて終末のラグナロクを待つ」


 歌うように言ったブレイシルドを、ぽかんと口を開けて見上げるエミ。そして一言。


「いみわかんない」

「ああ、まあ、とにかく。戦士は死んだ後も、豪華なお屋敷で楽しく暮らせるってことだわさ」

「えみ、せんしじゃないもん」


 ミルクをすすり、唇を尖らせるエミ。半目になったブレイシルドは、面倒くさげに頭を掻いたその指で、


「じゃ、あっちだわさ」


 天井を指差した。


「あっち? ここ、お二階があるの?」


 天井を見上げるエミに、


「もっと上。ほら、空の上の、天国とかだわさ」

「天国?」


 花が開いたような笑顔で、エミはブレイシルドを見つめる。


「天国ってほんとにあるのね! ね、天国って、どんなところ?」

「知らないだわさ。行ったことないから」


 ぶっきらぼうな応えに、再び意気消沈するエミ。ブレイシルドが再び天を仰いでいると、


「天国がどんな場所なのか、生きている人間は誰も知りませんが」


 キビキがチラシに契約書を添えてやって来た。


「きっと、とても良い場所なのでしょうね」

「おにいちゃん、行ったことあるの?」

「いいえ。ありません」

「じゃあ、どうして? 行ったことないのに、どうしてわかるの?」


 顔をしかめるエミに、


「行かれた方が、一人も戻ってこないからです」


 キビキが言った。が、


「ふうん……?」


 納得したような、していないような表情のエミに、咳払いするキビキ。


「さあ。お待たせいたしました。さきほど鑑定が終わりました。現物を拝見しておりませんので暫定ですが、質入れの金額は一億円になります」

「いちおく円?」

「はい」

「それって、百まん円とどっちが高い?」

「一億円は、百万円が百個分です」

「じゃあいいよ。えみ、いちおく円にする」

「それでは、こちらに掲載のお品を質草に、当店はお客さまに一億円を融通致します。利息は元本の一割、一千万円です。こちらを三ヶ月後までにお支払いいただけば、お客さまが所有権を失う質流れを止めることができます。本来であれば、現物のない契約はいたしませんが、商品の性質上、お客さまがご使用を続けていただくほど、商品価値が高まりますので、今回は特別に不問といたします。他の細かな契約内容につきましては、こちらにお目通しの上、サインを」


 エミの目の前に差し出された契約書には、細かな文字で色々なことが書かれていた。しかし、ほとんど文字が読めないエミは、そもそもキビキの口頭の説明すら内容を理解できていないまま、文末にサイン代わりの拇印を押す。


「ほら、動いちゃダメだわさ」


 エミの小さな親指に付いた朱肉を、ブレイシルドがおしぼりで拭い取るのだが、くすぐったいのか、エミは笑って身をよじらせてしまう。


「人間の体はすぐ壊れるから、力加減が難しいだわさ」


 ぼやきながらも、ブレイシルドの口元は心なし緩んでいる。ようやく拭い終えた時、


「お金がたくさんあったら、パパ、ママにも優しくしてくれるよね?」


 エミがキビキを見つめていった。


「さあ、どうでしょうね」


 キビキは肩をすくめた。


「思っていることは、思っているだけでは伝わりませんから」


 続けたキビキに、驚いた視線を送るブレイシルド。口に出したキビキ自身も驚いている。


「どうしたの?」


 首を傾げるエミに、


「今回は、お手紙を書かれてみてはいかがでしょうか?」

「えみ、まだ、あいうえおーしかかけないもん」


 ぷう、と少し頬を膨らませるエミに、


「文字ではなくても、伝える方法はありますよ」


 キビキはエミが持っているお絵描き帳を指差した。


「うーん」


 腕組みしたエミは、しかめっ面で悩んでいたが、しばらくすると、


「クレヨンかしてくれますか?」


 と尋ねた。円らな目がきらきら輝いている。


「もちろん」


 店の一番奥にある文具置き場へ向かうキビキ。


「クレヨンのお貸出し代はサービスにしとくだわさ。ね、店主オーナー


 キビキは苦笑しながら、うなずいた。

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