6
薄暗い寝室。
ブルーライトで照らされた大蔵の横顔が安らいだ笑みを浮かべている。遠くに聞こえるシャワーの音。
『うっわああああ!』
嬉しさを爆発させたエミが、届いた学習机の周りをぴょんぴょん跳ね回っている。正面にはアニメのキャラクターがあしらわれ、テーブルに敷かれたビニールマットには、ひみつ道具の一覧表が描かれている。それをじっくり眺めたエミは、
『やっぱり、タイムマシンがさいきょうね!』
自信満々に言った。
『だって、いつでも、どこにでも行けるんだもん!』
まだちょっと高さが足りない椅子に腰掛け、エミはお絵描き帳を開いた。キャンプでカレーを食べる絵を何枚かめくり、
『今日からは机の絵にするからね!』
一心不乱に絵を描き始めた。いつもの通り大蔵を左、美咲を右に。そして中央のエミは学習机に座ってバンザイしている絵だ。
『タイムマシンがあったら、エミはどこで何をしたいの?』
美咲が問うと、
『子供のころのパパやママと会いたい! いっしょに遊んであげるの!』
エミは絵に色を塗りながら答えた。
『おじいちゃんになったパパ、おばあちゃんになったママにも会いたいなあ』
「なあに見てるの?」
アリサがベッド脇にやってきた。いつのまにか、きちんとスーツを着ている。それでも抜群のプロポーションは隠しようがない。
大蔵は携帯の画面をオフにしつつ、
「なんでもないよ。もう行くの?」
「うん。飛行機乗る前に、お土産とかも買いたいし」
「分かった。気をつけて」
「じゃあ、またね」
軽いキス。バイバイと手を振ったアリサはスーツケースを引いて部屋を出て行った。もともと通訳として雇ったアリサは、想定外に優秀だった。今回の契約が取れたのも、彼女の助力あってこそ。今ではすっかり大蔵の右腕、敏腕秘書だ。
あとは、一億。融資でも寄付でも、なんでもいい。一億、準備できれば……。
携帯が鳴った。美咲だ。
『パパー?』
エミだ。あわててビデオ通話に切り替える。病院の談話室。画面に映るエミは笑ってはいるが、ずいぶん痩せて見える。
『まだおしごとしてるの?』
「いや、こっちは夜だから。ちょうどいいよ」
『よかった。えみ、きょうは点滴、なかなかったんだよ。ね、ママ』
エミの背後でうなずく美咲。
『あと、お絵かきもしたよ』
お絵描き帳を広げるエミ。大蔵と美咲を左右に、中央のエミは黒い服を着て学習机に座っている。それがまるで喪服のように見える。
「これは、なんの絵?」
おそるおそる尋ねる大蔵に、
『これは大人のえみ。パパの会社にしゅうしょくして、リモートワークしてるの』
よく見れば、机の上にノートパソコンらしき物体が描かれている。
『おしごとする時もつかうからね。パパ、あの机、買ってくれてありがと』
「うん。エミ、入院、頑張ろうな」
大蔵の言葉に、大きくうなずき、照れ笑いするエミ。そこへ、
『あなた、ちょっといい?』
美咲が割って入ってきた。
『エミ、一人で病室に戻れる? ママ、パパとお話しがあるから』
『だいじょうぶだよ。おとなりだもん』
『そう、えらいね。じゃあ先にベッドで横になっててね』
画面越しに大蔵に手を振ったエミが、談話室を出て行く。
「話ってなんだ?」
『エミのこれからの治療のことなんだけど、病院としては、もうこれ以上、やれることがないって』
「やれることがないって、どういうことだよ」
『今の治療を続けることはできるけど、あまり効果はないって。それでネットで調べたら、エミと同じような症状で治ったって人の体験談があったの。保険適応外だけど』
「そんな胡散臭いのに、金を払えるか! 今は一円だって多く欲しい時なのに」
『でも、治るかもしれないじゃない』
「騙されてんだよ。保険適用外ってことは、科学的に効果が認められないってことなんだ」
『だけど……』
「しっかりしてくれよ。医者がなんて言ってるのか、最初から聞かせてくれ」
『だから、もうやれることがないって』
「いや、そうじゃなくって……」
電話越しに言い合う両親を、ドア脇から覗き見ていたエミは、きゅっと口を結んだ。両手でお守り代わりのお絵描き帳を胸に抱き締め、歩き出す。時折、急にふらつくので、ゆっくり歩かないと転んでしまう。転んで怪我でもしたら、またママがパパに怒られる。
エミは談話室の隣にある病室へは戻らず、廊下を反対側へ進んで行った。幸い、ナースステーションには誰もおらず、無事にエレベーターまでやって来れた。下行きのエレベーターを待って、乗り込む。少し咳が出たので、子供用の小さなマスクを付けた。
エレベーターが一階に到着。廊下を進み、ずらりと待合の椅子が並んだエントランスを抜けて病棟の外へ出た。ひさしぶりの外。真上の太陽が眩しい。息が切れてきたので、ちょっと木陰で休憩することにした。
(ママがまだ気付きませんように)
両手を合わせて、二拍。神様へのお願いも完了だ。歩行者信号が緑に変わるのを待って立ち上がり、横断歩道を渡る。いつもお菓子を買ってもらうコンビニだ。
(このおとなりよね。しちやさん)
エミの記憶通り、質屋はコンビニの隣に以前と同じ様子で佇んでいた。緊張した面持ちでそろそろとドアを開けると、吊られた鈴が小さく鳴った。